*1998年02月09日:ROAD7、試用
*1998年02月10日:私とペリー・ローダン
*1998年02月11日:映画「リング」「らせん」
*1998年02月12日:ビデオな大衆
*1998年02月13日:無題
*1998年02月14日:ISDN導入計画、着々と進行中
*1998年02月15日:「エロティシズム」(バタイユ)
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*1998年02月09日:ROAD7、試用


 ニフティのROAD7を試用してみた。

 今はROAD5を使用していて、特に速度に不満を感じている訳ではないし、実は以前、述べたように、これ以上速くしても、少なくとも経済的メリットは無いのだが、近い将来、ニフの回線群は、低速のROAD2と高速のROAD7に統合される、という話を聞いたからである。(無理も無い。やたらと種類が多すぎて、ユーザーも混乱していたし、管理コストも相当なものだったろう。)

 ..これがまぁ、論外に遅い。ROAD2より遅いのではないか。無論、こんなのがROAD7の実力のはずは無いのであって、今日だけのことか、あるいは浜松AP(アクセスポイント)固有の現象なのだろう。なんにせよ、現状では使えない。そうでなくとも、ROAD7には、OFFしてもすぐには電話が切れない、という、 嫌な癖があるのだ。

 それはそれとして、ISDN申込書をNTTに郵送する。希望工事日は16日としておいたが、近すぎるかな? 20日までに切り替えたいのだが。

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*1998年02月10日:私とペリー・ローダン


 松谷健二、死す。

 ペリー・ローダン・シリーズの翻訳者として名前が通っているかと思うが、私にとっては、「思考の網」(Herbert W. Franke)「巨人頭脳」(Heinrich Hauser)等の、マイナーなドイツSFの翻訳者であった。その他の(というか、そもそもそちらが本職であったかと思うが)いわゆる“主流”のドイツ文学の訳業については、知らない。

 私は、ペリー・ローダンを一冊も読んでいない。せっかくここまで読まずに引っ張って来たのだから、このまま一生、一冊も読まずにおこうと思う。というのも、以下に述べるような、いきさつがあるからなのだ..

 70年代初頭、中学生だった私は、野田昌宏の名著「SF英雄群像」(の、SFマガジン連載時の切り抜き)に、完全に人生を狂わされ、「火星シリーズ」「金星シリーズ」「ペルシダー」「キャプテン・フューチャー」「レンズマン」「スカイラーク」と読み漁り、書店で、さらにこの手の小説はないか、と、目を輝かせて探していた。「“スペース・オペラ”は、全部読もう!」と、意気込んでいた訳だ。

 そんな私の目に、ふと引っかかったのが、「大宇宙を継ぐ者」..

 私はそれを手に取って..そして何故か、“読まずに、棚に戻した”のである..

 なぜ、棚に戻したのかは、今となっては、わからない。表紙が少し地味だったからかも知れない。「宇宙英雄ローダン」というシリーズ名の、「宇宙英雄」というセンスに、あるいは「ローダン」というネーミングに、華麗なアメリカSFとは明らかに異なる、どこか無骨で鈍重な印象を受けたからかも知れない。

 ともあれ、これが、私と「ペリー・ローダン」が、その人生に於いて、ただ一度だけ“交叉”した瞬間だったのだ。

 これは、美しい。美しかったと思う。そのシリーズの“正体”を知らず、“総巻数”も知らず、いったん読み始めたが最後、決して読み終えることの出来ない底無し沼に、まさに足を踏み入れかかっていたのだということも知らず..自分でも説明できない理由で、何かの“勘”が働いて、その「第1巻」を棚に戻した..

 この“情景”と“行為”には、確かに“ポエジー”があった。私はこの瞬間を“永遠化”したいのだ。そのためには、これがただ一度の邂逅であるべきだ。

 かくして、私は、「ペリー・ローダン」を封じたのである。

 (ペリー・ローダンはいいとして、困っているのが、25巻めで挫折してしまった、グイン・サーガである。その後も、いつか再開する日も来るだろう、と、さらに20巻ほど買い(積み)続けたあげく、約3年前に、この買い置きも中断してしまった。どうしよう。この、いまさら読む気力の湧かない20冊..)

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*1998年02月11日:映画「リング」「らせん」


 映画「リング」「らせん」を観る。

 (文化水準的には色々問題がある浜松だが、「東京に勝っている」と言える点が、ひとつある。それは、(文化水準の低さの顕われでもあるのだが)映画館がすいていることである。東京では混んでいて、何時間も行列した末に立ち見でないと観られず、それ故、忙しい人は結局観るのを諦めざるを得ないような映画でも、浜松では並ばずに、特等席で悠々と観られるのだ。)

 実に結構。特に「リング」が素晴らしい。(以下、ネタバラシにならないように書くので、安心して欲しい。)

 もちろん、原作(小説)よりはストーリーが簡略化されており、情報量も少なくなっている。映画化では避けられないことであるが、「リング」では、これが大きな問題には、なっていない。明らかに説明不足な点はあり、「あと15分あれば」と思わないでもなかったが、ホラー指向のまとめ方としては、間違っていない。

 確かに恐い。「リングビデオ」も(原作とはかなり違うが)十分、不気味である。そして、あの シーンには、久々に、声にならない悲鳴をあげてしまった。

 これに対して、「らせん」には、やや問題が残る。

 「リング」から“説明”の多くが省略されたことがわかった時点で、「リング」の“超常(ホラー)パート”に対する、“科学(説明)パート”としての「らせん」を期待したのだが..

 「らせん」は、そもそも原作でも、相当に無理(無茶)な説明で、強引に押し切っているのだが、詳しくは書かないが、これらの“無理め”の説明があってこそ、形をなしていたものを、その説明の多くを省略してしまったために、特に終盤、原作を読んでいない人を混乱させてしまったのではあるまいか? これも、あと15分と言わず、台詞の4つか5つも追加すれば、十分押さえられていたことなだけに、むしろ、省略のし過ぎが不可解である。

 それやこれやで、「リング」に比べると「らせん」は落ちる。しかし原作(小説)も、「らせん」は「リング」よりは落ちるのであって、映画化にあたって、リニアな関係は保たれたわけであり、その意味では問題は感じない。[;^J^]

 ということで、「らせん」に不満は残るものの、この連作、一見の価値は、絶対にある。公開期間はさほど長く無いので、お見逃しなきよう。(とはいえ、大画面で観る必然性は感じられなかったので、数ヶ月待って、「ビデオで観る」のも悪くはない。)

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*1998年02月12日:ビデオな大衆


 昨日の話題が「ビデオ」だったので思い出した。昭和天皇崩御の日のことである。

 全国の貸しビデオ屋に、客が殺到したらしいのである。なぜなら、レギュラー番組が、片端から飛んでしまったからだそうな。

 信じられないとは、このことだ。私は心底、驚いた。休日の過ごし方は、TV画面を観ている他には無いのだろうか? いつもの番組が無くなって、とてもつまらない番組ばかりになってしまった時には、貸しビデオを観るしか、時間のつぶしようが無いのだろうか?

 あとから振り返ってみると、この日の各テレビ局の、全く“画一的な”行動を批判する“識者”ばかりだったように思う。たまらず、貸しビデオに走った人々に対する、同情的な見解ばかりだったように思う。

 しかし私は、「TVが使えなくなった」日に、貸しビデオ屋に殺到した人々の、全く“画一的な”行動の方が、遥かに不気味だと思う。

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*1998年02月13日:無題


 妙に暑くて気色悪いので、まとまったことが書けない。思い付きの断片を、二、三書き留めて、お茶を濁させていただく。

* SFM(に限ったことでは無いだろうが)の“著者近影”は、ひとつも近影ではないぞ。10年以上前から、同じ写真を使っている。例えば(特に名は伏せるが)O原M子!
* “著作権違反”という言い方をする人が多いが、おかしいとは思わないのだろうか? 正しくは“著作権侵害”。大体、“人権違反”とか“選挙権違反”とか言うかね?
* “PnP(Plug and Play)”も、すっかり時代の言葉になったが..これはもしかすると、猥褻な語彙なのでは?[;^J^]

 (NTTから、ISDN工事日程について電話連絡。希望した16日は無理で、18日の午前中でどうか、とのこと。問題無し。)

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*1998年02月14日:ISDN導入計画、着々と進行中


 今日も、奇妙に暖かい。

 朝寝坊して起きたら、NTTから封書が来ている。工事当日のDSUへの接続換えについての図解説明である。結構、フォローできてるじゃん。ISDN導入への最大の関門は、NTTの怠慢さ(and | or 担当者の無知)である、と、複数のチャンネルから聞かされていたのだが、これまでのところ、(アクション(反応)のタイミングも含めて)NTTの対応には、なんの問題も無い。

 居酒屋Tが満員で入れず、向かいの焼肉屋(姉妹店)でも同じメニューが取れますから、と、案内されて入ったら、同僚4人がいたので、同席する。焼肉は久しぶり。

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*1998年02月15日:「エロティシズム」(バタイユ)


 今日は寒さが戻った感じだが、もう冬の寒さではない。

 再度「リング」を観る。「らせん」を二度観る必要は無いので、これはパスし、居酒屋Eにて、一昨日から取り掛かっている、「澁澤龍彦翻訳全集13」(ようやく第13巻まで読み上げた)所収の「エロティシズム」(バタイユ)を、読み続ける。

 いやはや、全く時間がかかる。1ページ読み進めるのに、何分もかかってしまうのだ。論理的に厳密な表現をしようとしているのは判るが、もう少し言葉を減らして、平明に書くこともできるだろうに。これは原文の問題であって、翻訳者の責任ではない。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Feb 18 1998 
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