1998年01月19日:mnews に切り替える 1998年01月20日:「さかしま」 1998年01月21日:“世界の王” 1998年01月22日:揺れる、まなざし 1998年01月23日:ルータのトラブル 1998年01月24日:連絡先を名乗れぬ人 1998年01月25日:「ループ」目次へ戻る 先週へ 次週へ
従来、ネットニュースを Netscape で読んでいたのだが、ついに(ようやく)我慢の限界を越えた。あまりの使いにくさが、である。今後当分の間、ホスト(UNIX)に TELNET で login して、mnews を使うことにする。もとより会社では mnews(等)を日常的に使っているので、勝手は判っている。
mnews は UNIX のキャラクタ端末で動くので、ポインティングデバイスをサポートしておらず、全てキーボードから操作することになるが、やはり、これ故に決定的に使いやすい。
画面が広く使える。Netscape News は、ニュースグループ選択画面と、タイトル一覧画面と、記事内容表示画面を、全て同時に開くのだが、これは SVGA の大画面ならともかく、リブの VGA の 640 * 480 画面には、過ぎたるスペックである。その点、mnews は、これら3画面を切り替えて表示するので、どの画面モードでも、TELNET 端末の 80 文字 * 32 行を、目一杯使えるのだ。
スピードも速い。Netscape だと、1記事ごとに全文転送してくるのだが、mnews の場合、login して読んでいるので、電話回線を転送されてくる情報は、画面に表示された文字だけだ。数画面に及ぶ長い記事の、最初の1画面だけ読んでスキップした場合、転送されるのは、その1画面分の文字情報だけなのである。
デメリットとして、記事の保存と投稿が、やや不便である。なにしろホスト上で作業しているので、向こう側に(向こう側から)、なんらかの方法でコンテンツを転送する手間がかかる。記事の保存や投稿を頻繁に行う人であれば、これは無視できない欠点だが、私の場合は、記事の保存はせいぜい1日に数本、ポストは週に1本位なので、このデメリットは、問題としない。
ま、いずれは WinVN などに再度鞍替えすることになるかも知れないが、暫くはこの環境で行く。
目次へ戻る「さかしま」(ユイスマンス)を再読する。
先日は、「悪徳の栄え」(マルキ・ド・サド)を再読していた。なんでこんな“妙な”本ばかり再読しているのかと言うと..その筋の人には説明するまでもあるまい。「澁澤龍彦翻訳全集」を読み進めているのである。
澁澤龍彦マニアである私は、かなり以前に、彼の書いた“全ての文章”を読むべく、「澁澤龍彦全集」(全22巻、別巻2)を購入、読破している。しかしこの全集には、訳業が一切、収録されていないのであった。「悪徳の栄え」「さかしま」を始めとして、既に何冊もの翻訳を読んでいたとはいうものの、バラで収集していると、網羅することは難しい。
96年10月に刊行が始まった「澁澤龍彦翻訳全集」(全15巻、別巻1)は、従って、まさに待望のものであったのだが..これほど待ち望んでいた全集を、つい1ヶ月ほど前まで、既刊10数巻、全て積読していたのである。何故かと言うと、第1巻劈頭の「大胯びらき」(ジャン・コクトー)が、到底読み進められないほど、つまらない作品だったからだ。20〜30頁かそこら読んで、ぶん投げてしまったのである。
澁澤龍彦の責任ではない。とにかく、私のいっとう嫌いなタイプの小説だったのだ。うじうじした青春群像..あぁ嫌だ、いやだ。[;^.^]
じゃあ飛ばして読めばいいじゃないか。そうでなくとも半数は既読の翻訳なのだし、全集だからといって、隅から隅まで読む必要など無い。気にかかる(あるいは読む必要のある)作品だけ、拾い読みすればいいじゃないか..
ごもっとも。しかしそんなことは、私には不可能なのだ。第1巻の第1頁から順番に。これ以外の読み方は、有り得ない。(「解説/解題」を先に読むことは、ある。)これが私のオブセッションなのである。ましてや(「澁澤龍彦全集」もそうだったが)編年体。彼が仕事をした順に、収録されているのだ..
..かくして、読むに読めない状態のまま、毎月1冊ずつ、積読の山を高くしていたのだが、この2月下旬に全巻完結してしまうことに、昨年末に気が付いた。完結時点で、何巻か読み残しているのは仕方が無いとしても、刊行と同時進行形で購入してきたというのに、全巻完結時点で1冊も読んでいないとすると..
..これは、まずい。これでは、負けたことになる!(なんに。[;^J^])
..ということで、もうひとつの別のオブセッションに駆り立てられ、強引に「大胯びらき」を突破して、第7巻まで読み進めてきた、というわけである。(「全集」の時と同様、彼の仕事を時系列に追体験するために、既読の作品であっても、全て再読している。)
この小説をご存知無い方のために、ざっと紹介してみると..
デ・ゼッサントという独身の青年貴族が、自分のための“城”を作る。それは郊外の小さな邸宅であって、そこには誰も寄せ付けず、極力姿を見せないように申し渡した召使いの他は、完全に彼ひとりの世界なのである。
そこで彼は、ひたすら本を読み、思索にふける。版画を眺め、室内の配色に凝る。窓ガラスに水槽を嵌め込んで太陽光線に色を付け、絨毯上の動く装飾として“亀”を購入し、それを宝石で飾り立てる。
特徴的なのは、彼の“見立て”癖である。ここは郊外なのだが、ある部屋の窓を、船舶仕様の(丸い)窓にし、その室内に船舶用の道具を取り揃えると、彼はその部屋の中でくつろぐだけで、もう、外洋航海をしている気分になれるのである。また、ロンドンに旅行しようと考えたものの、かつてのベルギー旅行が、彼に全くの失望しか与えなかったこと(フランドルの画家たちの描く世界は、現実には存在せず、結局、ベルギーは、ただの普通の国でしかなかったこと)を想い出すと、パリの一角の、いかにもロンドン風な雑踏に身を揉まれ、(書物で知っている)ロンドン風のパブで、(書物で知っている)ジョン・ブルそのものの顔をしているバーテンに給仕されて、これでロンドンを満喫したつもりになって、“城”に帰ったりする。現実のロンドンが、彼がイメージしたロンドン以上にロンドンらしいわけが、ないからである。
「本物の花を摸した造花はもう沢山で、彼がいま欲しいと思っているのは、贋物の花を摸した自然の花であった」
デ・ゼッサントの驚くべきペダントリイ。文学(特に、ラテン文学と世紀末フランス文学)。美術。酒。料理。香料。装飾。家具。装丁。音楽。小説であると共に、評論集でもある。世紀末の現代芸術シーンの、重要な証言でもある。
これは、オタクの教科書、オタクの聖典なのである。いやしくも(書斎派)オタクについて何か語ろうとする者、あるいは(書斎派)オタクたらんとするものは、必ず、これを読まなくてはならない。
デ・ゼッサントは、オタクとしては、あるいは古いタイプであるかも知れない。しかし、これが基本なのだ。ここが出発点なのだ。デ・ゼッサントからの「足し算、引き算」でカバーできる領域。これが、正統派オタクの領土である。“オタクの神様”澁澤龍彦による翻訳は、夢のように美しい。
目次へ戻るいわゆる“トンデモ系”の「超科学者」について、思うことを述べよう。
元々、私は「トンデモ本」の類を、ほとんど読んでいない。“狭義の”関連書籍を書棚から探してみると、
「奇妙な論理 I・II」(Martin Gardner、社会思想社) 「アーサー・C・クラークのミステリー・ワールド」(Welfare, Fairley、角川書店) 「禁断の超「歴史」「科学」」(別冊歴史読本、新人物往来社) 「トンデモ本の世界」(と学会、洋泉社) 「トンデモ本の逆襲」(と学会、洋泉社) 「トンデモ超常現象 99の真相」(と学会、洋泉社) 「と学会白書 Vol.1」(と学会、イーハトーヴ) 「トンデモさんの大逆襲!」(別冊宝島、宝島社)
位のものである。(荒俣宏らによる、様々な“奇人伝”の類は、数えない。ニコラ・テスラの伝記等も、もちろん除外する。)
つまり、「禁断の超「歴史」「科学」」に収録されたいくつかの文章を別にすると、「トンデモ側」の立場から書かれたテキストを、ほとんど読んでいないのだ。「未来の追憶」(デニケン)「衝突する宇宙」(ヴェリコフスキー)位は読んでおきたいのだが、積読の待ち行列の中で、どうしても優先順位が落ちていってしまう。“名著”中の“名著”、“古典”中の“古典”である、この2冊すら、この状態なので、ましてやその他のトンデモ本に手を出している時間は、とてもとても..
従って、当然、トンデモ本の批判などは、しない。オリジナルテキストを読んでいないからである。この稿で言いたいことは、批判ではなく、
「なんと羨ましい、幸せな人たちなのだろう」
..ということなのである。
「トンデモ本」を全然読んでいないわけではないのだ。中学生か高校生の時分に読んで感動したのは、「灼熱の氷惑星」(高橋実)。「惑星直列」も読んだかも知れないが、これは記憶にない。清家博士の本も、何冊かは拾い読みしているはずだ。
..なんて、彼らは幸せそうなのだろう。なんて、楽しそうなのだろう..
なぜなら、彼らは「世界の王」なのだから。
自分だけが、「世界と宇宙の秘密」を知っているのだから。
それは“波動”かも知れないし、“フリーエネルギー”かも知れない。ひとたび、それが“宇宙の真理である”という認識を獲得すれば、その日から彼の目には、世界は全く異なって見えるだろう。その甘美さ!
「選ばれし者の恍惚と不安、共に我にあり」(ヴェルレーヌ)
これこそが、「トンデモ本」や「超科学」が、人々(特に青少年)を惹き付けてやまない、真の理由なのである。これは手強い。人間の夢を、本性を、がっちりとつかまえているのだから。
私だって、心が世間に負けそうになれば、現実世界と折り合いをつけるのが辛くなれば、超科学の誘惑に抗しきれないかも知れない。この潜在的傾向は、誰もが持っていると思うのだ。
トンデモ本を批判するとき、この、人間の心の弱さと哀しさを思いやる視点だけは、忘れたくないものである。
目次へ戻るビュワーソフトで、JPEG画像の拡大縮小をしていて、ドキッとした。
×1/16 → ×1/8 → ×1/4 → ×1/2 → ×1 → ×2 → ×4 → ×8 → ×16
×16 → ×8 → ×4 → ×2 → ×1 → ×1/2 → ×1/4 → ×1/8 → ×1/16
と、ズームイン/ズームアウトをしている途中で、画像の中の(“たまたま”あられもない格好をしていた)女性の視線の向きが変わり、一瞬、私を睨んだからである。(なぜ、ズームインする必要があったのか、などと、余計な詮索はしなくてもよろしい。)
なんのことはない。ドットの粒子の粗さの限界で、ズームアウト(縮小)した時に、瞳の中の“黒目”の位置が、相対的にずれたのである。
判ってみれば、なんの変哲もない現象だが..これは不気味だ。何かのトリックに使えないだろうか。(連想回路に問題あるかも [;^J^]。)
目次へ戻るログを読むと、昨夜の丁度0時頃から、外部からのアクセスが途絶えている。出社してから確認したところ、ホストの問題ではなく、外部とのルータがトラブルを起こしている模様。
クラブのスタッフ(もちろん専従者ではなく、仕事の合間に手弁当でメンテをしているのである)が、別回線のルータを通すように設定を変えてみたものの、やはりアクセスは回復しない。まぁ業務ではないのだし、焦っても仕方がない。この週末は、メールの対応に追われずに、ゆっくり休めるかも。[;^J^]
目次へ戻る来月22日に、久々のお気楽オフがある。二次会(反省会)が終わるまで、目一杯堪能するつもりなので、夜行「ムーンライトながら」のチケットを手配する。一週間前に買いに行っても入手出来ないことが多いのを思い知らされているので、早めに動いたというわけ。(それにしても、今回は、バッハの「ロ短調ミサ」全曲と「マニフィカート」をやるのである。あと1ヶ月も無いではないか。「ロ短調」は、以前、前半だけは歌って、音取りもすませているが、後半は手付かずだぞ。少しは準備できるだろうか。う〜ん。[;^J^])
浜松駅構内の旅行業者の窓口で購入したのだが..列のふたり前のお兄さんが、妙な振る舞いをしている。チケットの手配だか宿の手配だか、とにかく、この場では解決出来ずに、のちほど旅行業者の方から(確認)電話を入れることになったらしいのだが、窓口のお姉さんが「お名前と電話番号をお願いします」「..じゃあ、いいです」「それでは困ります。連絡が取れませんので、お名前とお電話番号だけで結構ですから」「いや..いいです」..このループを、数十回。
私はその時は暇だったので、面白がって見ていたが、あとに並んでいる人たちは、さすがにぶち切れかかっている。当然である。結局、買わないんだかキャンセルしたんだかも良く判らない状況で、列から離脱していったが..私の推測では、住所不定状態だったのではあるまいか。即ち、放浪あるいは失踪中..
帰宅してから、登録されている各サーチエンジンに、URLの変更連絡を送りかけたのだが..ルータがトラブル中であることを思い出し、中断する。外からアクセス出来ないのである。きちんと運営されているサーチエンジンであれば、変更通知を受けたら、確認のためにアクセスするはずだ。その時ダウンしていれば..数日おいて、何度かリトライしてくれるかも知れないが、変更通知自体キャンセルされ、結果的に二度手間になる可能性、なきにしもあらずである。
目次へ戻る休日というのに、朝から工事の騒音で起こされてしまう。
窓から外を覗いてみると、アパートの前の地下防火水槽(の廃墟)を、掘削機で破壊しているのだ。すぐそばに大きな道路を通すべく、道路工事が急ピッチ、もとい、亀の歩みで進んでいるが、その一環として下水配管を敷設しなおす、そのための布石の工事である。
しかしそれにしても、うるさい..もとい、面白い。[;^J^] 目が離せない。[;^J^] 私はこういうのを、一日中でも見ていられる性格なのだ。そんなに暇では無いというのに。[;^J^]
書店をざっと回る。「日本幻想文学全景」(須永朝彦、新書館)という、便利そうな本を見つけて、購入。ついでに、山積みになっている「ループ」(鈴木光司、角川書店)を発見したので、これも確保。
帰宅。騒音を聴きつつ「ループ」読了。ねたばらしを読みたい人は、これをクリック。→ (言いのこしたことは、多分、無いはずである。)
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: Jan 29 1998
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