*1997年12月22日:人の心を操る人
*1997年12月23日:PD/ミュシャ展/環境破壊
*1997年12月24日:上書き再インストール失敗
*1997年12月25日:有休取って、環境修復
*1997年12月26日:ホストアクセストラブル
*1997年12月27日:「マグマ大使」
*1997年12月28日:帰省/「SF大将」
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*1997年12月22日:人の心を操る人


 大昔に、半村良の対談か何かで読んだ話である。

 彼の芸者遊びというかなんというか、とにかく水商売の女の子の口説き方に、こういうのがあるそうだ。

 彼女の郷里の町の名を訊く。へえぇ、僕もそこの出身なんだよ! えっうそ、ほんと〜!? そうだよ、ほら、駅の前に雑貨屋があって。うんうん。その店の側を歩いていくと、小さな川があって。そうそう。その川沿いに歩いていくと、橋があって、それを渡ってしばらくすると、小学校があって。そうだったわ、うわ〜、懐かしいわぁ、また帰りたいなぁ..

 ..で、もてまくる、という寸法である。

 無論、彼は、そんな町に行ったことなどない。名前も知らなかったかも知れない。なのに何故、彼女の記憶を“先回りして”トレースすることが出来るのか?

 これは、非常に面白いトリックなのである。彼は、彼女の郷里ではなく、“自分の故郷の町を想い出して”描写していたのだ。

 大概、どんな町にも、駅や、雑貨屋や、川や、小学校はあるだろう。半村良が、自分の記憶の中の町の構成要素として語ったそれらを、彼女は、彼女の追憶の中の町に、当て嵌めていったのである。

 半村良の語る“町”は、けっして想像上の産物ではない。彼が生まれ育った、実在の町なのである。だから、その語り口には迫力がある。事物の配置にリアリティがある。彼の想いの“懐かしさ”は、真実なのである。

 そして、ここが本質的なのだが、彼の言葉と彼女の記憶が多少矛盾していても、それは彼女の側で解決してしまうのだ。何しろ違う町の描写をしているのだから、橋と小学校の位置関係が違う位の矛盾は、ぽろぽろあるはずだ。しかし、彼が確かなリアリティと真実の心情をもって語る言葉は重く、彼女は、あれ?憶え違いしていたかしら?と、意識的に、あるいは半村良の言葉に合わせて、無意識のうちに、記憶を修正していくのである。自分自身の記憶の断片を、彼の言葉でつないで行き、どこにも存在しない架空の町の地図を、心の中に作り上げてしまうのだ。

 それは、かくあれかし、と(意識下で)望むからである。この男は、私の郷愁を呼び覚ましてくれた。この男と望郷の念を共有したい..こういう心理的傾向がある時に、多少の、自分の(本当の)記憶との齟齬は問題にならない。逆に、それは間違いであるとして、無視してしまうのである..

 ..確かイーデス・ハンソンではなかったかと思う、その対談相手は、「人畜無害な、金のかからない遊びやねぇ」と、面白がっていたが、こうして分析してみると、意外に“恐い”心理操作の技術である..

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*1997年12月23日:PD/ミュシャ展/環境破壊


 盛りだくさんな一日であった。

 休日ではあるが、ちょっと仕事が混んで来たので、今日はなんとか昼前には出社して、少なくとも半日は仕事をして、いくらかでも片づけておきたいところ。まず駅前まで出て、今月28日の東名バスの切符を買う。事前に買っておかなくても、フリで乗れるのだが、乗車は(当然のことながら)切符を持っている人が優先である。年末には、あるいはとても混むかも知れないので、念の為、前売券を確保したという次第。

 となりのビルの地下ホールで、「ミュシャ展」をやっている。今日までだということを、ころっと忘れていた。10時開場なので、これを観ていると、出社前、午前中に片づけるべき用事が他にもあるので、遅くなる。惜しいが見送り。ヤマハで楽譜を買う用事もあったのだが、ヤマハの開店はさらに遅く、10時45分。不要不急ではあるので、これも見送り。

 街中の駐車場に停めておいた車に戻る道すがら、本屋で週刊アスキーを見つけたので、確保。先日の日記で、車内広告にあやをつけた [;^J^] ので、責任を取るというわけでもないが、現物をチェックしておこうというわけだ。300円だしさ。

 会社に車を走らせる途上、書店をもう一軒冷やかし(収穫なし)、COXで若干衣類を仕入れ、OAナガシマでSCSIケーブルを買う。昼前に会社着。

 休憩時間に、週刊アスキーに目を通す。ははぁなるほど、旧・週刊アスキーを潰して、EYE−COMをリネームしたのか。思うに、週刊アスキーという名前の雑誌は、どうしても存続させたかったということか。内容を総替えしてでも。

 唐沢なをきが「電脳なをさん」を連載している。そう言えばそうだった。「からまん」をリンクリストに入れているくせに、まじめにチェックしていない証拠である。ただの言い訳だが、連載が多すぎて(しかもマイナー雑誌に)、追いかけるのがしんどいのである。他に追っかけている、吾妻ひでお、諸星大二郎、高橋葉介あたりのスローペースに慣れすぎていて、体が鈍ってしまっておる。[;^J^](ちなみに、今月号掲載分は駄作。)

 ストレージメディア特集を読んで、むらむらとLF−1600JB(PDドライブ)が欲しくなる。ジャストスペックなのだ。私は現在、携帯可能なCD−ROMドライブも、携帯可能なバックアップメディアも持っていない。それが一台で兼用出来る上に、ドライブもメディアも価格が手頃。(要は、この年末年始、実家で、リブのバックアップを取ったり、CD−ROMを使ったりしたいのだ。)

 こういう局面での、私のこらえ性の無さたるや、天下一品である。[;^J^] OAナガシマに電話。出社途上に寄った浜松西インター店では在庫切れだったが、ささがせ店にはある。価格は398。週刊アスキーによると、秋葉の主要4店舗の12月上旬の相場が468。浜松が廉いと考える理由は無いので、秋葉が高いのだ。もうだいぶ以前から、この傾向がある。今では新宿がプライスリーダーか?

 仕事を早々に切り上げて、ささがせ店に車を飛ばす。メディアは1980円。5枚で8300円というパックもあったが、バックアップストレージである。不良品を掴む確率は低くしておきたいので、手を出さない。ちなみに、壁面にズラーッと並んでいるメディアは、多い順に、FD、MO、CD−R、ZIP、CD−RWで(JAZはあったかな?)、PDは、探し回ったら、隅の方に少しあった。[;^J^] まぁいい。仮にそう遠くない将来に姿を消すとしても、自己責任で選んだのである。それに少なくとも、20倍速CD−ROMドライブとしては使えるわけだ。CD−ROMの読み出し速度は、もうこれ以上、そうは速くならないはずである。

 ついでに、Mobioが展示されていたので触ってみる..

 ..遅いおそい! 話にならん。CPUもクロックも、私のリブ30(DX4相当100MHz)よりも遥かに上を行くはずなのに、体感速度は遥かに遅い。

 IE4の遅さと、DSTNのとろさの相乗作用であろう。IE4については、実は今回、初めて触ったので、なんとも言えないが、この液晶では..なにしろ、CTRL+ESCでスタートボタンを押しても、メニューがパッと現れない。ぼわんとフェードインするのである。ESCで消す時も、フェードアウト..ずっと(D)STNを使い続けて来た人ならば、液晶とはこんなものだと思い込んでいるだろうから、問題無いのかも知れない。しかしTFTに馴染んでいる目には、論外である。

 それはともかく、LF−1600をカードで購入。レジの職員が、私のサインとカードの裏のサインとを目視照合していたのには、感心した。これは彼らの義務なのであるが、私のこれまでの経験では、多くの場合、署名の確認などしていないのだ。(「(私がサインしておきますから)お名前をお聞かせ下さい」と抜かした、大馬鹿者に遭遇したことすら、ある。お客の手数を省くという、サーピスのつもりだったらしい。[;^J^])

 17時過ぎに買い物が終わってしまった。(仕事を切り上げるのが、早すぎたか。[;^J^])インストールに気がはやるが、もうひと活動ふた活動出来る時刻なので、それは夜の楽しみに置いておくとして、再度駅前へ。

 まず、午前中パスしたヤマハ。ボイトレの教科書として、低声用の“第15曲が「O Cessatedi Piagarmi」であるところの”イタリア歌曲集を探すが、見当たらない。

 次に、これも午前中パスした、ミュシャ展。これが実は10ヶ月前同様の、展示即売会であった。まぁ、1000円払って入場する前に、見当はついたんだけどね。

 なかなか狡猾なのである。順路の最初の方では、スカな素描が延々と展示される。(ミュシャのデッサンなど、観てもたいして面白いものではない。)進むに従って、それが徐々に大判のカラーのリトグラフになり、いよいよ、と期待が高まってきたところで、「ここから先は展示即売会。ここで引き返すことは出来ますが、中に入ったらこちら側には戻れません」。んな商談会に付き合わされてたまるかと思えど、ここまで餌を見せられて引き返せるわけもなく、覚悟を決めて先に進む..

 ..狭い通路を抜けた先は、広々としたホールで、その壁面一杯に、目を奪う色彩と曲線とデザイン感覚の作品が、ずらーっと。良く知っている馴染みの作品もあるが、初めて観る作品も少なくない。10脚以上の丸テーブルで、接客・商談が進んでいる。各テーブルの側には、売り込めそうな作品を、より近くで品定めさせるためのイーゼルが設置されている。

 各作品の値札を見ると、10ヶ月前よりも、かなり値上がりしているようだ。大体、50万が100万に、100万が150万になっているように思える。300枚前後刷るとして、残数が少なくなって来ているからだろう。

 ホールに入って、5つ数えるうちに、セールスレディが張り付いてきた。彼女の獲物というわけである。[;^J^] 展示即売会と知って入ってきた以上、観にきただけ、というのは通らない。それだけの作品に巡り合い、販売員のセールストークに負けたら、ローンを組む覚悟である。それがルール(マナー)というものだ。

 幸か不幸か、彼女のテクはいまいちで、私を落とすには至らなかった。実にそそられる作品はあったんだけど、300万じゃあねぇ..

 ..というわけで、借金を背負わずに、無事に帰宅。PDは手持ちのケーブルと合わず、リブ、MO、スキャナのどれとも接続できない。実はこのことは半ば以上予想していたのだが、各機器のコネクタの形状を正確には覚えていなかったので、無駄な買い物をする危険を回避したというわけ。何しろ、SCSIコネクタの形状の多様性は豊饒に過ぎるというもの。変換コネクタは、明日、購入する。

 久しぶりにスキャナを接続する。(午前中に購入したSCSIケーブルは、このためのものであったのだ。)相変わらず、リブ30では認識出来るのに、T2150からは認識出来ない。まぁいいや。スキャナとMOをデイジーチェーン接続し、同時に使用する(HDを経由せずに、直接MOに取り込む)ことにも成功。出来て当たり前のことなのだが、SCSIには困ったことに、“相性”というものがあるのだ。あとは明日、このMOをPDに差し替えて、スキャナからPDへの直接読み取りの実験に成功すれば、当面の目標はクリア出来る。その次のステップが、いよいよCD−Rへの焼き込み..そのためには、大容量HDが必要か..

 ..とかしているうちに、なんたることか、デスクトップとメニューが壊れてしまった。何をやったのか、正確には覚えていないのだが、確かDOS窓でファイルコピーか何かをしようとしたところでハングしてしまい、ALT+TABもCTRL+ESCも、ALT+CTRL+DELも、何もかも効かず、やむを得ずハードリセットしたら、この始末。

 壊れ方は、実に浅い。階層構造は無事なのだが、各アイテムが .lnk や .pif に化けてしまったのだ。レジストリの中かどこかで、関連付けが破壊されたか、ディレクトリファイル自体がダメージを受けたか。

 どこかのツボをひと押しすれば直りそうなのだが、すでに夕方から、上善如水が一本あいており、精確な判断が望めない状態。

 かくして、ぐれて、ふて寝して、盛りだくさんな一日が終わった。

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*1997年12月24日:上書き再インストール失敗


 会社で同僚と相談した結果、リブは再インストールするのが安全だろう、ということになった。

 帰路、OAナガシマでPD用のSCSIケーブルと変換コネクタを買う。また、イブに敬意を表して、廉い鳥肉とスモークサーモンとスパークリングワインも買う。

 バックアップを取ってから、まず、上書きインストール。これでうまく行けば、以前の環境が綺麗に残るのだが..駄目だ。

 ほとんどのアプリは問題なく動いているのだが、ダイヤルアップネットワークが、16進数文字列のエラーメッセージを吐く。やはり、フォーマットから始めてフルインストールしないと駄目か。

 すでにスパークリングワインが一本あいており、精確な判断が望めない状態。

 かくして、ぐれて、ふて寝して、充実したクリスマス・イブが終わった。

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*1997年12月25日:有休取って、環境修復


 というわけで、有休取得である。[;^J^]

 昨夜は日記の更新日だったのだが、当然出来ていないので、まず、言い訳を、ホストにテルネットで入って、直接 ruin.html にエディタで書いておく。

 午前中いっぱいかかって、フロッピーからインストール。PDから出来れば良かったのだが、それをつなぐ以前に壊れてしまったのだ。この機会に、PDからの再インストール環境を同時に作ればいいという気もするが、同時に複数のことをするのは、誤操作の元である。アプリ環境の再構築に、午後いっぱい..

 ..情けないことに、私は、この環境の再構築作業を、面白く感じないことはないのだ。[;^J^] これでは、負けである。とっくの昔に捨ててきたはずのマニアの血が、まだ、どこかに残っているのであった。

 三船敏郎、死す。

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*1997年12月26日:ホストアクセストラブル


 環境の復旧作業が終わり、昨夜遅くに一日遅れで日記を更新したのだが、今朝調べてみると、外部からアクセス出来ていない状況のようである。

 実は、私のホームページのサーバーである、インターネットクラブの、回線の切り替え作業が、なかなかややこしい事情もあって、スパッと終わっていないのである。

 この機会に、再度念押ししておくが、メールアドレスとURLに roland が含まれているので、会社のホストに置いたホームページを公開出来るとは、羨ましいですね、と言われることが多々あるが、これは会社とは全然関係無いのである。

 あくまでも、社内の「インターネットクラブ」という同好会が管理しているホストなのである。物理的に社屋の中に置かれ、回線を共有しているので roland の文字列が入っているが、ファイアーウォールの外側にあるのである。

 従来、この形で運営してきたのであるが、回線相乗りというのは、上流とのパイプを増速しようにも、何かと制約が多く、回線費用の負担の仕方も、ややこしくなる。また、アドレスに roland の金看板が入ってしまうと、音楽系のMLやチャットページに、無垢な立場では参加しづらい、という切実な要望も、多くの会員から寄せられていた。

 それやこれやで、会社の回線から独立してOCNにつなげることになったのである。それの工事が終わったのが、冬休み前ぎりぎりだったというわけ。工事がすめばOKとはいかず、色々と尾をひいているのだ。スタッフも、会社の業務の合間を縫って、手弁当で作業しているので、多少のもたつきは仕方がないし、それに文句をつける会員はいない。

 という訳で、来年からは、メールアドレスとURLが変わる。


kurata@rinc.or.jp
http://www.rinc.or.jp/~kurata/

である。ブックマークされている方は、変更をお願いします。[_ _](旧アドレス、旧URLも、当分は使えるはずであるが。)

 あらま。新聞報道によると、アスキーが、セガ、CSKの傘下に入ったとか。だから、「デジタル日記」はやめなさい、と言ったのに。[;^J^]

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*1997年12月27日:「マグマ大使」


 今日の午前中に、外部からのホームページアクセスが、無事、再開出来た様である。

 終業後、会社の先輩宅で、年末恒例の鍋。計10人ほども集まったか。マイティジャックのビデオを観たあと、マグマ大使のビデオの、最初の4話分を観る。

 これは確か、ウルトラマンに先駆けること1週間。初のカラー特撮番組であった。勢い、ウルトラマンとの比較談義に花が咲く。

 円谷系よりも、技術的には見劣りがする。例えば光線関係の処理である。また、怪獣の造型であるが、リアルタイムに観ていた私が、子ども心にも、ひと目視て問題だと思ったのは、第一の怪獣・モグネスが、「後足の膝をついている」ことである。歩くときに、後足の足の裏が、上を向くのである。[;^J^] こういう例は、ウルトラQ・マン・セブンには、無かったと思う。というか、四つ脚怪獣を雑に作ると、こういうことになりかねないので、そもそも四つ脚怪獣自体が、少なかったはずだ。

 そして全体として、話の展開のテンポが遅い。ウルトラ系は、少数の例外を除いて1話完結だが、マグマ大使は、ひとつの怪獣で何話もひっぱる。モグネスが爆発したのは、実に第4話になってからであり、この第4話の終わりで、初めて、マグマ大使がゴアへ名乗りをあげるのである。つまり、ここまでがプロローグだったわけだ。

 これは、ひとつひとつのエピソードを丁寧に描いているからだ、とも言えなくはないが、単純に演出のテンポが遅いからでもある。しかし今の目で観ると、このゆったりとした話の流れは、結構快感である。

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*1997年12月28日:帰省/「SF大将」


 東名バスで帰省する。これが存外、すいている。最後まで満席にならず、私の隣はずっと空席だったし(とても楽で助かった)、車も少ない。首都高で一度も渋滞につかまらなかったのは、珍しい。

 まず、現代マンガ図書館で、高橋葉介調査の続き。「竜神伝説」が、まだ見つからない。神保町に出て「『SF大将』、ついに発売!」と貼り紙されている [;^J^] 高岡書店に入るが、既に山は消滅。書泉グランデで確保する。

 渋谷へ移動。東急ハンズで書棚を見繕うが、適当なもの見当たらず。まんだらけ、スカ。まんがの森、スカ。カワイで、ボイトレの教科書として、“第15曲が「O Cessatedi Piagarmi」であるところの”イタリア歌曲集」を確保。「イタリア古典声楽曲集1 低声用」(教芸)であった。これであっているんだろうなぁ。[;^J^]

 楽譜売り場のレジの貼り紙。


「年内は休まずに営業します。12/29(水)まで」

 ..これを指差して「30日からは休みなんですね?」と確認すると、平然と「はい」。気が付いていないらしい。[;^J^]

 続いて新宿。伊勢丹で恒例の大古本市。恒例といっても、年末に開催するのは、確か今回が初めてである。夏休み後の盆休み開けでは足を運びにくいので、これは歓迎。いい加減疲れていたので、あまり気合を入れて探さなかったが、「吾妻ひでお大全集」の、ちょっと表紙が汚れている奴が1500円で出ていたので、地方在住で古書店事情に恵まれないファンに、プレゼントする機会があるだろう、と、確保しておく。

 最後に、信濃町。FCLA関東望年会が、駅舎の上の「ジョン万次郎」で。えらく広い店である。今年は関東では、演奏は無し。ただの飲み会である。ビンゴの景品で、何を血迷ったか、綾波フィギュア5点セットを確保し損ねた。20時半頃に、お開き。

 FCLAのオフからの帰宅時に電車の中で寝過ごすのは、私の持ち芸であるが、今夜はビールとワインと水割りをひっかけただけなので、何ほどのこともない。問題は電車の方で、新宿から横浜に帰るのに、新宿→渋谷間が事故で不通である。そこで割高ではあるが、東京に出て東海道線で横浜に向かう..

 ..大船から引き返して、横浜着。ま、些事である。

 相鉄線で鶴ヶ峰の実家へ。

 車中で「SF大将」(とり・みき)を読み始めていたのだが、目次をいい加減に読み飛ばして、本文を最初から読んでいたので、途中から訳が分からなくなってしまっていた。帰宅してから、改めて目次をじっくりと解読..なるほどね。こんなことをしていたから、4ヶ月も発売が遅れたつうわけね。["^J^](ちなみに私見では、本書は来年度の星雲賞コミック部門の、有力候補である。)

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Dec 31 1997 
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