1996年09月23日:何故、データを確定することに執着するのか 1996年09月24日:藤子・F・不二雄死す 1996年09月25日:ライブラリの性能について 1996年09月26日:没落について 1996年09月27日:あるプレッシャー 1996年09月28日:神も仏も悪魔もないはなし 1996年09月29日:追憶の日曜洋画劇場目次へ戻る 先週へ 次週へ
「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」の作業は、解説の執筆を遅らせてまで、未詳データの確定を急いでいるのが現状である。無論、全ての未詳データを確定することは不可能であるし、可能な範囲の作業をやり終えるだけでも何年もかかるから、それをすませるまでは解説に取り掛からない、という訳にはいかない。解説の執筆も、並行してスピードアップを図るつもりであるが..
どうして、未詳データの確定にこだわるのか。
未詳データには、2種類ある。
A.連載の期間しか判っておらず、各章(各話)個別の掲載号が判らないもの。この両者の属性を兼ね備えているデータも、無論、多数ある。
A.が困るのは、「全漫画作品発表年代順リスト」を、エレガントに構築出来ないからである。つまり現行のこのリストは、実に不細工な様相を呈しているのだ。
この「解説総目録プロジェクト」には、ふたつの大きな目標がある。ひとつは、全作品の解説を書くこと。もうひとつは、「全漫画作品発表年代順リスト」の完全(とまでは言わないが、非常に使い易く完全に近い)版を作ること。前者については多言を要しまい。後者は、例えば「昭和45年(万博の年)の1月には、どんな作品を書いていたんだろう?」という疑問が、
A>grep "70/01" osamu-3
という検索で、さらりと解決出来ることを意味する。現行版では、これが出来ないのだ。具体的には、上記の検索をすると、
年賀状::1:デラックス少年サンデー:70/01:0 2001年テレビ時代::?:讀賣新聞:70/01/01:0 万国博はこれでいこう イラスト::?:中日新聞:70/01/01:0 ザ・クレーター:巴の面:28:少年チャンピオン:70/01/07:219 I.L:第11章 南からきた男:20:ビッグコミック:70/01/10:263 聖女懐妊::23:プレイコミック:70/01/10:261 大宇宙のお正月::1(1コマ):少年サンデー:70/01/11:0 黒い河::20:少年キング:70/01/18・25:0 ザ・クレーター:大あたりの季節:30:少年チャンピオン:70/01/21:219 敷金ナシ!::25:漫画サンデー:70/01/21:83 ガラスの城の記録:第1章 ガラス屋敷の人々:42:現代コミック:70/01/22,70/02/12:322 I.L:第12章 ラスプーチン:20:ビッグコミック:70/01/25:263
という結果が得られるが、昭和45年1月に書かれた作品は、これだけではないのである。少なくとも、
火の鳥:鳳凰編::COM:69/08 - 70/09:205 海のトリトン(原題 青いトリトン):::サンケイ新聞:69/09/01 - 71/12/31:189 冒険ルビ(小学二年生〜小学三年生版)::130:小学二年生 - 小学三年生版:69/10 - 70/06:315 冒険ルビ::114:小学一年生 - 小学二年生:69/10 - 70/07:280
が、昭和45年1月をはさんで書かれており、これら4作品の、どのエピソード(章)がこの月に書かれたかは未詳なのだ。(あるいは休載したかも知れない。)つまり、この目的では「使えない(あるいは、使いにくい)」リストなのである。
参考までに書いておくと、私は上記追加4編を、A>grep " - " osamu-3 >tempfile
として、連載期間が範囲指定でしか判っていない作品をセレクトし、その連載範囲が 70/01 をはさんでいるものを、目で探した。後者の作業を自動化することは勿論できるが、どのみち、該当月における章番号は判らないので、全然とは言わないが半分しか役に立たない(ので、そういうツールやスクリプトを書く元気が出ない)。単純な grep 一発で検索できるように、連載期間全域にわたって冗長なデータをばらまくことも出来るが、一覧性が非常に悪くなってしまい、現実的でない。結局、これら“曖昧な”データを詳細化する以外には、筋の良い解決策は、ない。
以上が、タイプAの未詳データを看過し得ない理由である。次に、タイプB(複数の二次資料間で矛盾しているデータ)であるが、これを(ゼロには出来ないまでも)極力減らしたい理由は、論理的というよりはむしろ、情緒的なものである。
無論、データは正確な方が望ましいに決まっているのであって、「複数の説のうち、どれが正しいか判らない」というデータをひとつひとつ確定していきたい、こんなことは、当たり前である。それよりも..
私は、「どちらが正しいか判らない“数字”」というのが、不憫でならないのである。
数字は、自ら望んで“正しくないデータとして”生まれついたわけではない。その数字を(あるいは創造/想像して)書きとめたのは、人間である。そしてその人間も、わざわざ不正確な数字を好んで書いた訳ではない。人間が作業する以上、どうしても避け得ぬ“誤植”。あるいは、その時点では確実だと思われていたが、実は正しくなかった“資料”..
だから私は、あるデータが誤りであったからと言って、そのデータそれ自体、あるいはそれを書き記した人間を責める気は、毛頭ないのだ。むしろ逆である。
ある数字(データ)が、調査の末、誤りであったと確定した時。私はその数字を書き直すと同時に、「ご苦労様」と、心の中で手を合わせている。私の調査が事実を明らかにするまで、その数字は(それが正しいという確信あるいは推定の元に)通用してきたのだ。結果として、それを参照する人を惑わせてきたかも知れないが、それは不可抗力というものだ。“誤りである”ということが確定した時点で、彼(数字)の仕事は、終ったのだ。あとはゆっくり休め..二度と君が表舞台に立つことはない..だから、何も考えずに、静かに眠れ..
“誤りである”ことが確定した数字は、こうして“成仏”することが出来る。しかし、「どちらかが誤りであるが、どちらが誤りであるかは判定できない」一対の(あるいはさらに多数の)数字を、なんといって慰めればよいのだ。誰かひとりだけが、真実なのである。しかしそれが誰であるかは、誰にも判らない。例えてみれば、誰かひとりだけが本当の子供であって、他は取り違えの子供であり、誰が本当の子供であるかは、誰にも判らない。そういう状況だ。親の苦しみもさることながら、当の子供たちの苦しみも、実のところ、私には想像できない。しかし、この“どれが正しい数字か判らない”数字たちの苦しみは、これに類するものではないかと、思うのだ。
だから私は、“誰が真実であるか”を確定するために、そして“真実ではなかった”子供を、数字を、安らかに死なせるために、眠らせるために、昨日も今日も、そして明日も、調査し続けるのである。
目次へ戻る言葉を重ねても虚しいだけだ。
私は、「ドラえもん」を体系的に(あるいは網羅的に)読んで(観て)いない。私の藤子・F・不二雄体験といえば、なんといっても「21エモン」と「モジャ公」である。特に後者は、私の人生を(良くも悪くも)歪めたはずである。
「SF全短篇」(全3巻)を、何度読み返したか判らない。その品質の高さたるや、まさに圧倒的である。日本という国は、これほどの作品群を産み得た国なのである。近ごろ、日本と日本人に対して、自虐的な言動のみ目立つが(60年代の高度成長期とバブルの最盛期を除いて、いつもいつもそうだったような気もするが)、私は、これらを読み返すたびに、藤子・F・不二雄の偉大さを、彼の祖国の偉大さを、想う。
お休みなさい。
目次へ戻るもう、私の勤め先を離れられているが、私が今の会社に入社した時の、とある大先達のプログラマーが、厳しく教えさとして下さった金言は、いまも私の財産である。(少しも生かしていないではないか、という誹りは、甘んじて受けよう。)
中でも印象深いのは、ライブラリ(といってもいろいろあるが、具体的には、プロッタなどに組み込む算術演算ライブラリの類)の性能の目安として言われた言葉で、優れたライブラリとは、「小さいこと、速いこと、そして、もっと速く出来ること」というものである。
つまり、今の時点で最高水準までチューンナップされたライブラリは、駄目なライブラリなのである。何故ならば、次の機種では必ず現在以上の性能を要求される訳で、現在以上の性能を発揮できる可能性のないライブラリは、員数外におかざるを得ないからだ。
これは、汎用的に通用する智慧だと思う。どこかに「突破口(となる可能性)」を残した設計をする。(そして出来れば、その周辺を、可能な限り特許出願をして固めておく。)なかなかそのようなことを考えている時間も余裕も無いのだが。
目次へ戻る土井たか子が、社会党(正確には社民党)に復帰するという。その条件として土井氏が呈示していた、消費税の根本的な見直し(税率云々以前の話)などの5条件を、社民党側は、全て飲むという。つまり、村山政権が押し進めてきた政策は、全て「なかったこと」にするというわけだ。
完全に死に体である。土井氏が上記の条件を呈示してから、僅か1〜2日での決定。事実上、議論はなされなかったものと推測される。政策の連続性とか責任とか、そういうものを顧みている余裕はないのであろう。
これはこれで、面白い見物だ。自民党に抱かれて捨てられ、どこまでぶざまに身を落とすやら。とことん惨めにのたうちまわって欲しい。ギャラリーの視線は残酷なものだ。堕ちるほどに血迷うほどに拍手喝采。もうあと(長くて)数年間の命なのだから、せめて楽しませておくれ。
目次へ戻るこのページ(廃墟通信)を、毎週火曜日(まれに月曜日)に更新している理由は、以前述べたとおりである。
さて、ホームページ開設以来のアクセスログを、全て保存しているのであるが(こういうところが粘着質)、それを集計してみると、アクセス数には一週間単位の波があることが判る。
週末(土日)は減る。これは、会社や大学からアクセスしている人が、相対的に多いことを示していると思う。
そしてもうひとつ。2ヶ月ほど前から、明らかに火曜日にピークが来るようになった。火曜日が突出して多く、水曜日がそれに次ぐ。ログの内容を細かく分析しても、確かに火曜日と水曜日には、廃墟通信へのアクセスが多い。
ありがたいことである。更新を待ちかまえられているのである。と同時に、結構なプレッシャーでもある。特に、原稿の整理・執筆が遅れ、更新が火曜日の深夜から最悪水曜日の早朝にずれこんでしまう時など、あとからログをチェックして、同じアドレスから何度も何度も廃墟通信にアクセスに来た形跡を見出し、「待たせてしまった」「無駄なクリックをさせてしまった」と、胸を痛めることになる。
しかし、こうして〆切に追われる状況を作らなければ、怠惰に流れてしまうというもの。己を叱咤勉励するために作り上げたこのシステム、うまく回っているようである。
目次へ戻るニューギニア奥地人にとっては、神も仏も、それどころか原始宗教も呪いも、有害な悪魔すら存在しない、と聞いた。非常に大雑把で粗雑な一般化として、(寒い)北方の民族には文明が発達し、(温暖な)南方の民族には発達しない(そのようなものを必要としない)という話だが、それにしても極端ではないか? 敬うべきものは存在しないのか?
火はどうか? 木をこすればすぐ作れるし、いつも燠があるし別に有り難くない。つまり、砂漠の民と異なり、恐れおののくような自然現象がないのだという。地震や台風と向かい合って生きている日本人とも、無論、異なるわけだ。
随分と平穏で退屈な人生(歴史)ではないか、とも思うが、しかし日本人(あるいは西欧人)の考える死後の楽園というのは、大体こんなもんである。もしかして、我々は、死んだのちの娯楽(暇潰し)のことを、真剣に考えてはいないのではないか? 死んでから考えても、遅い。それこそもはや、神も仏も、悪魔すらいないのだ。
目次へ戻るもちろん、日曜洋画劇場は、その生ける伝説とも言うべき解説者とともに、今も健在である。が、テレビから隔絶されて(確か)19年目の私にとっては、遠い昔の思い出話なのだ。(素直に呆れるように。)
高校を卒業するまでは(テレビのある)実家にいたわけなのだが、どういう訳か、高校生になってから日曜洋画劇場を観た記憶がない。いや恐らく観ていたはずなのだが、まるで印象に残っていない。ほとんど全て、小学生(もしかすると、一部は中学生)の時の記憶である。
理由は明らかである。小学生時分の私にとって、“夜、9時から11時まで「日曜洋画劇場」を観る”というのは、ほとんど“祭り”に近い、ワクワクする、“非日常的な”事件だったのである。ビデオのない時代の、一期一会ともいうべき映画との出会いのスリルももちろんあったはずだが、それよりなにより“夜更かしを黙認される”のが嬉しかった。何しろ、夜9時からは、子供は布団に追い込まれる“大人の時間”である。その時間に起きていても許される、しかもそれが11時まで続くのだ!
従って、実のところ、どんな映画を観たか、あまり覚えていないのだ。[;^J^] 夜更かしできることが肝心であって、映画は、その口実に過ぎなかったらしい。
それでも、いくつかあげることは出来る。
なんといっても、「史上最大の作戦」だ。記憶に間違いがなければ、これは毎年、夏休みの時期に、前・後編でやっていたはずだ。定例だったのだ。前編の最後は、水平線の彼方に連合軍の大艦隊が現われるところ。私にとって、ザ・ロンゲストデイは、その陽気な口笛の主題曲共々、日曜洋画劇場の代名詞であり、少年の日の夏休みのイメージそのものでもある。
夏休みと言えば、何かしら怪談もやったはずだ。ほとんど断片的な記憶しかないが、男女(の幽霊)が、ぼぉっと立っている幕切れは、「東海道四谷怪談」だったか? ドラキュラものも定番だった。どれもこれも恐ろしかったが(偉大なる、クリストファー・リー!)、終盤近く、長い恐怖の夜が終り、空が白々あけ始めた中で、主人公の博士が十字架を持って、ドラキュラを追い詰めてゆくシーンは、今も忘れられない。フランケンシュタインものや、ポーの原作を翻案した素晴らしいB級品たち。(そう言えば、夏休みの夜の「日曜洋画劇場」には、梅酒がつきものだった。これもまた、大きな楽しみのひとつだったのである。)
ヒッチコック! 「ダイヤルMを回せ」など、ほとんどストーリーも覚えていないが、探偵が懐中電灯を片手にダイヤルを回すシーンだけが、何故か鮮やかに記憶に残っている。そしてもちろん、「鳥」だ!
あぁぁ、書いているうちにどんどん思い出して来たぞ。これではきりがないのでこの辺で切り上げるが、あの“いけない時間に、大人にまじって、(時にはいけない)映画を観ている”という高揚感。こればかりは間違いなく、今後一生、二度と味わうことのない、取り返すことのできない宝だった。この追憶だけは忘れないように、大切に大切に抱いて行きたい。
最後にひとつだけ。もう映画のタイトルも内容も全く覚えていないが、とあるローマ時代の史劇(恐らくはスペクタクル)を観終わった時、亡父が言うには、
「この皇帝の次に現われた皇帝の名前を知っているか?」「『暴君ネロ』だ、さぁもう寝ろ!」
こういうしょうもない記憶こそ、一生消えないのであろうなぁ。[;^J^]
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