*1996年06月03日:異次元を覗く瞳
*1996年06月04日:モノ・マガジン編集部から、礼状が来る
*1996年06月05日:ミサイルについて
*1996年06月06日:追憶のビューティフル・ドリーマー
*1996年06月07日:霜焼けが治ったかもしれない
*1996年06月08日:ダンスシーンに想うこと
*1996年06月09日:環境の改善と悪化
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*1996年06月03日:異次元を覗く瞳


 数年前、「裸眼立体視」が大流行した。私も会社で昼休みに、後輩が持参してきた問題集(?)を、眺めたりしたものである。確か交差法(疲れる方)と平行法(楽な方)があって、私は前者が苦手であった。さらに、あのガイドの黒い点を合わせるのも下手で、それを意識すればするほど、何も見えてこなかった。ところが、何も考えずにぼんやりと眺めると、たちまち視線が“ロック”して、(平行法で見えるものならば)像が浮び上がって来るのである。

 そう、私の眼は、立体視に対する抵抗が無いどころか、簡単に立体視してしまう癖がついてしまっていたのであった。一番まずいのが、ミーティングに使っている会社の小部屋の壁で、等間隔で無数の(消音用の)穴が開いている。その壁に視線をやって、距離感を喪失するまで、1秒。あっという間もなくトリップしてしまうのである。ミーティング中に。

 最近では、ウィンドウズの壁紙。そしてホームページのバックグラウンドイメージ。目の前の平凡な2次元イメージの前に、突如として3次元空間が出現する。理屈は判っている。理屈は判っているが、これは異次元を覗きこんでいるのだと、思わずにはいられない。異次元空間は偏在しており、そして私の視覚は、それに対して耐性がないのだ。見ているだけなら問題はないが、「そちら側」に引きずり込まれたら、帰ってこられるだろうか?

 諸星大二郎の妖怪ハンターシリーズの近作(確かまだ単行本には入っていないはずだ)に、裸眼立体視で異次元トンネルを発見し、その異界からあるものが飛び出して来て..という物語があったが、ちょっと真剣に恐かった。

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*1996年06月04日:モノ・マガジン編集部から、礼状が来る


 吾妻ひでおの連載漫画、「でんじゃらすももちゃん」の連載回数の通し番号が間違っている件で、5月18日にモノ・マガジン編集部に、封書を出したのだが、丁寧な礼状が返って来た。[;^J^] 今月16日発売の号から、直っているそうである。

 G誌から、「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」を紹介したいとの、メールが来た。もちろんOKであるが、発売日の29日までに、もう少し解説を増やしておきたいものだ。

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*1996年06月05日:ミサイルについて


 学生時代、OR(Operation Research)の単位を取ったが、その教授が教えてくれた昔話である。まず先に説明しておくと、ORというのは応用数学の一分野で、教授に言わせると「金儲けのための数学」である。具体的には、統計学だったり確率論だったり線形数学だったり、それほど珍しいことはしないのであるが、要するに、世の中の具体的な問題を解くことに、フォーカスしているのである。(18年位前に聞いた話の受け売りであるから、真剣に読まないように。)

 自衛隊が採用する次期対空ミサイルを、大型ミサイルにすべきか小型ミサイルにすべきか、その教授が調査したことがあったという。前者はコストが高く、配備数も少なくなるが、破壊力は大きい。後者はコストが低く、多数配備できるが、破壊力は小さい。いずれにせよ、命中確率の問題がある。いずれを採用すべきか、教授がORの手法を用いて調査して、小型ミサイルの勝ち、と出た。その結果を、当時の航空自衛隊の幹部(統幕長だったかも)であったG氏のところに持っていったところ、一発必中主義の氏は、そもそも命中確率が問題になっている所を読んだだけで、報告書の本体はいっさい読まずに投げ棄てて、「馬鹿もん! 日本のミサイルは、撃てば当たる!」..

 ..で、この話にはオチがある。結局、大型ミサイル、小型ミサイルのどちらが採用されたかと言うと、実は、その教授には調査する前から判っていたことなのだが、「中型」ミサイルが採用されて、今も使われている、と。

 さらに、教訓もある。ORという学問(数学)の特異な点として、最初から答えが決まっている(動かせない)事が珍しくないのである、と。

 向学心に燃える純真な大学2年生に取って、まことにタメになる話ではあったのだが、いささか出来過ぎの感があるので、その教授の作り話だったのかも知れない、と、今になって考えていることである。

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*1996年06月06日:追憶のビューティフル・ドリーマー


 ホームページのアップデートを済ませたら、もう深夜の2時半である。0時前後に2時間ほど仮眠を取っていたので、眠くはないのだが、明日(今日)の仕事に差し支えるので、もうひと眠りしなくては..と思ったら、寝酒(ビール)が切れている。自動販売機は23時に閉まっているので、酒類を扱う24時間営業のコンビニに行かなくてはならない。コンビニは近所にいくつもあるが、酒類を扱っている店までは、車で15分ほどかかる。

 深夜のドライブ.. ほとんど条件反射的に想い出すのが、1984年公開のアニメ映画、「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」である。高橋留美子の世界というよりは、監督の押井守がやりたい放題やった作品である。これは素晴らしい傑作であった。前半は。

 この映画は、ふたつのユートピアを描いている。前半は、「学園祭の前日が、無限に繰り返される世界」である。明日は学園祭!という、高揚した気分の非日常的な一日が終わって、朝になってみると、(昨日の記憶を失って)今日もまた学園祭の前日なのである。これはまさに、ユートピア以外の何ものでもない。実に見事な着想であり、ギャグも作画も脚本も、細かい台詞のトリックも、非常に緻密に作られている。

 後半は、「衣食住を保証されたサバイバル世界」である。一夜にして無人の廃墟となった町内に、何故か無人のコンビニがひとつだけ存在し、全ての商品が補充され続け、あろうことか新聞まで来るのである。(ちょっと、P.K.ディック的なイメージだ。)腹が膨れれば何も悩まない主人公たちは、廃墟で遊びまくる。これもまた、ひとつのユートピアであるが..

 前半と後半の落差は、無残なほどである。幻想換起力が決定的に欠如しているのだ、この後半の生温いユートピアには。(前半と後半の、いずれにせよ非日常的な設定が、何によってもたらされたのか、という種明かしは、しないでおこう。)ちなみに、後半はガクンと出来が落ちるとは言え、前半がウルトラ級の大傑作、後半が駄作なのだから、全体としては大傑作である、と、私は高く評価している。

 序盤に、実に印象的なシーケンスがある。深夜に及ぶ設営作業中に、夜食の牛丼を買いに、車で出かける主人公たち。深夜の無人の街中を走りぬけ、明るい(無人の)ショーウィンドウのある交差点で停車して、青信号に変わるのを待つ。静寂.. 流れる雲.. 夜の街の魅力を描ききった、夢のようなシーン.. そして美しい悪夢が始まるのだ..

 私は今も忘れない。それ自体は散文的で日常的な“夜のドライブ”の先に、異世界への扉を開いてくれた映画、「ビューティフル・ドリーマー」を..

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*1996年06月07日:霜焼けが治ったかもしれない


 ようやく霜焼けが気にならなくなってきた。まだ耳たぶは、どうもおかしいが。

 G誌から、「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」だけでなく、ホームページ全体を紹介したいとの、メール。願ってもないことなので、もちろん承諾メールを、即刻出す。

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*1996年06月08日:ダンスシーンに想うこと


 ダンスミュージックが流行している。(私はもはや、音楽シーンの最先端からは脱落してしまった、その意味では完全に旧世代の人間であり、この流行の本質は、全く理解できていない。“ダンスミュージック”などと言う呼び方自体、もしかしたら“ださい”のかも知れないが、まぁ無理しても仕方がない。笑わば笑え。)一つの特徴的な方法論が“パッチワーク”である。ブレイクビーツとか色々な呼称があるようだが、要するにパクリである。それもフレーズやリズムを真似するなどのレベルではなく、レコードやCDから直接サンプリングして(あるいはその場で再生して)それらを組み替えるのである。極端な場合、彼らは全く“演奏”しない。他人の作った音楽の順列組合せだけで、新しい“音楽”を作る、このタイプのミュージシャンを、DJと言う。

 旧世代の人間にとっては、いまいち納得が行かないところである。素材となっている音楽は、誰が供給しているのか。それらの素材を使いきってしまったら、どうするつもりか。結局自分では、何一つ作り出していないではないか。等など.. もちろんこんな呟きは、新しい世代の人間にとっては無意味であって、要は、結果が出せればいいのである。旧世代の人間だって、同じノリで結果を残してきたはずだ。

 しかも、自らは素材を作らず、過去の(他人の)創造物の組み替えだけで、新しい“創造物”を作る、という方法論は、実は古色蒼然たるものなのである。言うまでもなく“コラージュ”だ。今世紀の初頭に発明された、この技法(その萌芽は、恐らく前世紀に遡るのであろう)、大成者マックス・エルンストが、「百頭女」という、まさに今世紀のあらゆる創造物の頂点のひとつともいうべき、偉大な“暗黒小説”に結実させたのが、1929年。(これは持論だが)あらゆる芸術の中で“最も進化の歩みが鈍く、同時代の他の芸術様式に比べて数世代以上遅れている”のが“音楽”なのだ。ようやく今になって、この手法に“追い付いた”のである..いやいや、そうですら、ない。クラシック音楽の世界では、とっくの昔に“追試済み”の実験だ。ベリオの「シンフォニア」(1968年)を聴いてみるがよい。最も遅れていたのは、ポップ・ミュージックの世界だったのである。

 さて、ダンスシーンは、「百頭女」や「シンフォニア」に匹敵するほどの、戦慄的な傑作を生み出した(あるいはこれから生み出す)のであろうか? これも恐らく、無意味な設問だ。なぜなら彼らは、そんなことには、なんの興味もないように見えるからである。

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*1996年06月09日:環境の改善と悪化


 今日は高速バスで上京して、現代マンガ図書館で、吾妻ひでおの初出誌調査をする予定だったのだが、走れば間に合う程度に寝過ごしたので、やめた。いまさら急ぐ必要はない。

 いまさらと言えば、まさに今頃になって、Netscape でネットサーフィンならぬキャッシュサーフィンをする方法を覚えた。[;^J^] ディスク(とメモリ)に残っているキャッシュイメージを、オフラインでブラウジングする方法である。私は商用プロバイダではなく、同好会のホストを使っており、これは月500円の会費で言わば定額制、テレホーダイと合わせて、深夜ならば格安でアクセスし放題なのであり、その限りではオフラインのブラウジングを切実には必要としていないのだが、同好会の電話回線の数は少なく、その意味では、接続時間の短縮は切実な問題である。このテクニックは活用しなくては。

 NIFTY-Serve用の(NIFに限らず使えると思う)チャットアダプタである「井戸端」が、絶不調である。頻繁にアプリケーションエラーを起こすようになってしまった。まぁ落ちる度に起動しなおせばいいし、井戸端の生成するログファイルは穴だらけになるとはいえ、通信ソフト自体のログファイルは生きているので、別に致命的ではないのだが、あとでログファイルを修復するのが面倒である。どうしたものかな。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jun 9 1996 
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