管弦楽作品を2曲聴いて、非常に割り切れない思いが残ったので(「交響曲 第2番」を聴いて、条件(留保)付きながらも感心し、「創造神の眼」を聴いて逆上 [;^J^])、作品集をもう一枚買ってみた。これは室内楽編成の作品のみ収めている。
素晴らしい! この連載の他の回と形式を揃えるために、集中、最も優れている「風音」を挙げたが、気持ちとしては、作品集としての推薦である。
1.風音(かざね) (クラリネット、ヴァイオリン、チェロ) 2.横豎(おうじゅ) (チェロ) 3.風韻II (尺八×3) 4.青の島(おうのしま) (二十絃箏×2) 5.風を聴く (篠笛×2、尺八×3、二十絃箏×3、十七絃箏)
1.、3.、5.が、このCDの中心をなす「風」のシリーズであり、「風音」が特に良い。基本的には“持続音”で風を表現しているのだが、これは発想の逆転に近い。「風韻II」も「風音」と同じ方法論に寄っており(作られたのはこちらが先。なお、旋律素材は既存のフレーズのコラージュらしい)、出来もいいのだが、尺八の音が“風の音”そのものであるが故に、「風音」よりも抽象度が低い。
「風音」は、風を、ただそれだけを表現した音楽としては、最高峰に近いのではあるまいか。西洋音楽でこれに匹敵するものとしては、「タピオラ」(シベリウス)の、あの“嵐”しか思い付かない。そしてこの両者は、モノトーンの峻厳な響きという共通点は持つものの、“静”と“動”という観点からは、まさに対極にある。「風音」の“持続音”は、目の前を風が吹き過ぎてゆく、という印象を与えないのだ。静止した風、そこに“ある”風、言い換えると、その風と共に自分も漂い(従って、その風と自分との相対速度は0となり、すなわち自分から見ると、その風は静止していることになる)、宇宙の彼方へと運び去られていくような、そういう、風。
“宇宙を吹きわたる風の音”が、ふと、聴こえてしまったことがある。それは、ジャン・コクトーの忘れがたい映画、「オルフェ」だった。
オルフェ 「君は、万能だろ?」 死神 「命令を受けて働く死神はたくさんいるわ」 オルフェ 「命令にそむいたら?」 死神 「極刑よ」 オルフェ 「命令はどこから?」 死神 「アフリカの原住民の太鼓や、木々を揺さぶる風が伝えるわ」 オルフェ 「誰が命令を?」 死神 「誰でもないわ.. 私達の意識の中にいるの.. 私達は、それの悪夢なの」
シュルレアリスムの神髄とも言うべき、身震いするほど素晴らしい対話であるが、この死神の言葉に、宇宙の背景音としての、風の音、木々のざわめき、遠く小さく響いてくる太鼓の音が、聴こえてこないだろうか? この境地に到達した音楽など存在しないと思っていた。「風音」は、あるいは、この高みに接近しているかも知れない。
チェロ独奏の「横豎(おうじゅ)」は、風のシリーズではないが、その深みのある響きは、前後の風の作品の中に違和感なく収まっている。技法的なことは良く判らないし、12段の構成も聴き分けられないのだが、立派な作品だと思う。二十絃箏のデュオの「青の島(おうのしま)」は、琉球旋法を核とするリズミカルな作品で、スタティックな作品が並ぶCD全体の構成を、良く引き締めている。ジャケットデザインも素晴らしい。このCDはお薦めである。
新実徳英は、合唱曲の佳作を多数書いているらしいが、私はこのジャンルには暗い。識者の御教示を願う。取り敢えず、CDの現役盤は2枚ほどある由。
Fontec FOCD3182 “風を聴く … 新実徳英 作品集”Last Updated: Jul 13 1995
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