手塚治虫エッセイ集 3

*SFマンガについて

 SFマンガの“夜明け前”の短文。1960年といえば、SFマガジンが創刊された年である。

*「科学マンガ」というおかしなものについて

 「0マン」などに、科学マンガという(存在しないジャンルの)レッテルを貼られるのは不本意である。これは未来のおとぎ話であり、夢物語なのである、という声明。

*SFと私

 「ロストワールド」「メトロポリス」「ロック冒険記」「ライオン・ブックス」……。これらが日本のSFマンガを拓き、SF作家たちを育ててきたのである、という自負。

*SFと私(つづき)

 SF小説は、実はあまり読んでいないのだから、海外のSF小説に似たものがあるとしても、それは偶然の一致である、とのこと。また、自分のSF作品の二つの要素として「世界破滅テーマ」と「ミュータントテーマ」をあげ、まだ一度も本当に破滅に終わった作品が書けていないのは、生来の気の弱さからであろう、としている。

*時代マンガと私

 「新選組」が、第一部で打ち切られて、「ビッグX」に切り替えられた事情。何か冒険すると、大抵読者に受けない。

*「スーパー太平記」のこと

 「スーパー太平記」は10年ほど早すぎたか、という述懐。(確かに相当支離滅裂な漫画では、ある。10年どころか20年早すぎたような気もする。)

*西部劇マンガと私

 考証無茶苦茶、勢いだけで描いた「拳銃天使」により、西部劇も描ける男というレッテルを貼られたこと。「化石島」「漫画大学」「サボテン君」「レモン・キッド」「黒い峡谷」「荒野の弾痕」と続く系譜。

 「西部劇はパターンが決まっているところが魅力なのだ。ミステリー仕立てや心理ものや、ばかでかい見世物じみた作品は、何かの点でムードを消している事になる」という、職人としての明快な言明。さまざまなジャンルでパターンを破り続けた作者ならではの、説得力である。

*私と「ジャングル大帝」

 SF三部作に続く動物三部作として「恐怖菌」「魚型人間」「ジャングル大帝」を構想し、「ジャングル大帝」だけが実現したこと。

*「ジャングル大帝」について

 レオは決して理想主義的な傀儡ではなく、もっと人間くさいコンプレックスの持ち主であること。

「しかし私は、やっぱりレオやライヤのすむ世界は、人の誰も知らない森や山の向こうで、動物たちが俗塵も浴びず天使のように無邪気に跳ね回っている世界が一番好きです」

 そして、パンジャの活躍→死→レオの誕生→アフリカへ、という部分が、自分の気持ちが一番盛り込まれている箇所だ、と語る。

*「火の鳥」と私

 「火の鳥」各バージョンの誕生にまつわる諸事情と述懐。ストラヴィンスキーの「火の鳥」にインスパイアされた、最初の「漫画少年」版は、雑誌が廃刊になって中断。「少女クラブ」版は、締め切りが遅すぎて切られる。三度目の正直が、今回の「COM」版。今度こそ。(この後も、紆余曲折が待っているのだった。)

*「火の鳥」のロマン

 「アトム大使」以前に、「少年」誌に持ち込んだのが、天の岩戸伝説と日食を結び付けた「天岩戸」だが、これが没にされた時のエピソード。

「神話をマンガにするなんて、……それに茶化すなんてことは、言語道断です。これは残念ながら採用できません。もっと科学に基づいた未来的なものを描いてください!」

 戦後5年目というのは、まだそういう時代だったのだ。

 のちの「COM」版「火の鳥」(の黎明編)を読んだ三島由紀夫に、左だと批判されたこと。(三島由紀夫は、マンガもしっかり読んでいたのだ。)

 自分の作品に古代史が頻繁に登場するのは、古墳や遺跡に豊かに接することが出来た、幸福な学生時代故である、という。

*アトムと私

 人工衛星もガガーリンも、テレビですら夢物語だった時代に描き始められたアトム。15年たって、ほとんど何もかも現実に追いつかれたが、もっともっと科学が進歩して、本当にアトムのような素晴らしいロボットが作られる日まで、アトムの活躍は続くだろう、と。

 別になんということもない短文であるが、こういう、未来に向けた曇りのないまっすぐな視線と姿勢は、本当に爽やかなものだ。1960年代というのは、確かに(ある意味で)黄金時代だったのだ。

*鉄腕アトムのおいたちと歴史 その1

 「少年」に、いくつかの没アイデアののちに「アトム大使」の連載を開始するまで。面白いのは、新連載予告に対する(旧来の描き下ろし単行本の)読者の反応で、雑誌連載に対する反発が非常に強かったらしい。映画に対するTVのようなものか? 当時の雰囲気を知る資料になる。

*鉄腕アトムのおいたちと歴史 その2

 「アトム大使」の人気が思うように上がらず、迷いが生じたこと。「少年」の編集長から、雑誌にストーリー漫画を送り込んだのは成功だが、「アトム大使」は、少し話が高級すぎた、と指摘されたこと。(つまり、単行本の読者と雑誌の読者は、層が違うのである。雑誌連載を開始するにあたって、単行本の読者の反発が、非常に強かったのは、この事情によるものか?)

 編集長の示唆で、アトムを主人公にすることにする。どうやったら、人間味を出せるか?という試み。

*鉄腕アトムのおいたちと歴史 その3

 アトムというロボットマンガが、SFマンガやSF小説の元祖になったこと。アシモフのロボット三原則よりも、アトムのロボット法の方が先であること(これは、裏を取る必要がある)。

 アトムで描かれた「未来イメージ」は、予想よりも遥かに早いテンポで現実化してしまったのだが、それでもなお、手塚治虫の描くマンガはデタラメだ!とけなした人々や、手塚治虫の書く未来像は古臭い!と批判した人々を、作者は、膨大な発行部数と、世界の人々の心をとらえたという実績をもって、笑い飛ばしている。

*ボク流のマンガの作り方

 芝居の経験から、まずシナリオ作りから始めること。それで演劇的な作品ができあがる。調子にのって描きすぎて、あとでずたずたにカットされること。及び、スターシステムについて。

*アシスタント

 弟子は取らない。その代わり、若いマンガ家のタマゴたちに、1〜2年手伝ってもらい、その間に勝手に(自然に)マンガの世界を覚えてもらうようにしていること。

*手塚治虫への弔辞

 自分の作品を最高に評価させるために、マスコミを利用してきた。これまで何度も(実力以上の)評価を受けてきたが、全ては計算の上のこと。アトムがその例である..に始まる、本音の発露。迫力のある戦闘表明。必読。

 (この時期にスタートした「バンパイヤ」に、(オールドファンからの)非難が集中したというのは、興味深い事実だ。この時代には「バンパイヤ」ですら、従来の手塚カラーをぶち壊すほどの、アバンギャルドな作品であったのだ。同時に、「バンパイヤ」の衝撃と先進性を、改めて再認識した。)

*おとなマンガ家よアグラをかくな−−まいまいかぶり1−−

 青年マンガ誌の隆盛を、従来の大家たちが見てみぬフリをしているのは、いかがなものか、という警鐘。手塚治虫自身、この時代の青年マンガの“質”に、何度も疑念を表明しているのだが、同時に、時代感覚から外れてしまったら、(コドモ)マンガ家としておしまいである、ということを、知り抜いていたからだ。

*劇画について−−まいまいかぶり2−−

 劇画批判。その形式に対する疑義表明ではなく、制作態度があまりに安易ではないかと。(これは、当時の貸本劇画誌を読んでみると、かなり説得力のある話なのだ。実際、平均的な作画能力は、コドモマンガ誌のそれを、かなり下回っていたのではないだろうか?)

*ささやかな自負

 タイトルどおり。結局戦後マンガの歴史は、自分が開拓してきた手法の踏襲でしかない、これでいいのか、と。

*マンガ空気論

 マンガの主人公の実在を信じる読者の実例として、身体障害者や入院患者の読者 から、ブラック・ジャックを呼んでくれ、という手紙を度々もらい、困惑しているという話。まるで、バルザックのようだ。(バルザックには、死の床で「ビアンションを呼んでくれ」と言ったという、有名な伝説がある。(真偽はともかく。)オラス・ビアンションとは、バルザックの生み出したキャラクターで、「人間喜劇」シリーズに登場する、名医である。)

*マンガ五十年
「マンガブームからマンガ世代が受けた影響がある限界以上に達したとき、いつの時代にか、マンガにも言論統制の圧力がふりかかってこないとは、だれがいえるでしょう」

 この暗い予感は、残念ながら的中した。

*かわいらしさをどう表現するか

 球体を基本とする造型。(これはディズニーに由来するとのこと。)

*ボクとオンナのマンガ

 おとなのオンナが描けないのは、ろくな女性体験がなく、想像だけで理想像を作り上げているから。

*動物マンガの美女たち

 動物と人間では、美人(美獣?)の基準が違うのだから、動物マンガで美女を描くのは至難の技であること。

*怪獣と恐竜

 きょうびの子どもたちは怪獣が大好きだが、怪獣の原型であるリアルな恐竜には、さして興味を示さないようだ、とのこと。(「ジュラシックパーク」はなやかなりし頃ならば、「時代が違う」という感慨を抱いたはずだが、さて、恐竜ブームが通り過ぎた今となっては、どうか。)

*東西変身譚

 白鳥やキツネの変身譚あれこれ。

*外国の動物マンガ

 日本においては、もはや「動物マンガ」というジャンルは、(「ジャングル大帝」あたりを最後にして)絶えてしまったが、外国では依然として人気を集めている。日本と違って、残酷描写はほとんどない。これに関連して、アトムの「ホットドッグ兵団」が拒絶されたエピソード。(これについては、手塚治虫は何度も書いている。全く納得いかないのだろう。私もそうだ。これを残酷描写であるとする神経が、根本的に理解できない。)

*二つのタイプ

 表現に限度(節度)のある「サザエさん」タイプのマンガは、革新左翼や婦人団体に受けが良く、急進的・暴力的・ポルノ的マンガは、ジャーナリズムやヤングに受けが良い。アベコベではなかろうか、という感想。

*親愛なる妖怪たち

 変身の視点からの、東西妖怪談義。後半、西洋の妖怪は全然舌を出さない、というネタを展開するが、これは「三つ目がとおる」で使われた。

*手塚治虫的ドラキュラ

 ドラキュラの魅力は、何よりも、あの大マントである、と喝破する。さらに、ドラキュラこそ日本人男性そのもののパロディである、とも。後者の着眼点は、なかなかのもの。

*SFマンガ紹介

 初期の「SFマガジン」に掲載されたエッセイ。「スーパーマン」「フラッシュ・ゴードン」「アレイ・ウープ」「リル・アブナー」「幽霊一家」「アダムとイヴ」「天地創造」「タンタン」「飛倉絵巻」「百鬼夜行図」「正チャンの冒険」「スピード太郎」「タンク・タンクロー」「火星探検」「ふしぎな国のプッチャー」「ペリーの冒険」などに言及している。

*鉄腕アトムとスーパーマン

 アトムとスーパーマンは似ている。単純な“善”では押し切れなくなり、悩みぬくところまで..

*アメリカン・コミックの巨匠ウィンザー・マッケイ

 「リトル・ニモの夢の冒険」の作者への、オード。

*ブラジルのディズニー

 「モニカ」の作者の紹介。ブラジルに、これほどの巨匠がいるのである、と。

*田河水泡−−「のらくろ」の魅力−−

 のらくろ頌と蘊蓄。特に、そのギャグの素晴らしさから、多大な影響を受けたということ。

*のらくろの思い出

 兵隊ごっこのメロドラマが、侵略戦争入門に結び付けられ、すりかえられた、のらくろの悲劇。今の読者は、この背景をしっかりと認識しておかなくてはならない、という指摘。

*のらくろもどき

 手塚治虫による、のらくろの偽作。たいして面白いものではない。[;^J^]

*21せいきのフクちゃん

 四コマ漫画。ネタはまずまず。アトムが特別出演している。

*島田啓三−−「冒険ダン吉」の魅力−−

 島田啓三に自作を見せたところ、こんな形式のマンガが世にはびこるようになったら一大事だ、と言われたことについて、コマ運びの散漫さが密度の薄さに結びつくのではないか、という危惧だったのだろう、そしてその懸念は事実となった、という指摘(自戒)。

 「冒険ダン吉」を、侵略主義、人種偏見と弾劾するのは、ただの結果論に過ぎない、当時の子どもは、そんなことには無頓着に楽しんでいた、と。むしろ、これほど人間愛にあふれた、立派な黒人を描いたマンガが、それまで世界のどこにあったか、と指摘する。

*山川惣治先生

 山川惣治の絵は暖かく、性格描写が素晴らしく、つまり映画であった。

*うしおそうじさん

 努力家・うしおそうじを懐かしむ、短文。

*杉浦茂先生

 杉浦タッチからギャグポーズをひとつ拝借し、いまだに良く使っているという、告白。

*藤子さんは凸凹コンビです

 習作時代の「ベン・ハー」を見せられて驚愕したという、追憶。

*『体験的作家論 石森章太郎・落書ノート』を読んで

 石森章太郎を、ファンタジー作家としての側面から、その足跡を辿り、将来を展望する。「竜神沼」から、極め付きの「ジュン」へ。しかし、今後、石森章太郎とは全く異なった資質を持った、数多のファンタジー作家からの挑戦を受けることになるであろう、と..

*横山光輝さんのこと

 横山光輝頌。「鉄人28号」「伊賀の影丸」「三国史」が(やはり)エポックメーキングなものであろう、とする。

*松本零士さん1

 「蜜蜂マアヤ」で手塚治虫に見出された、松本零士。功なり名とげた今になっても、初心を忘れず「『蜜蜂マアヤ』をアニメにすることが夢だ」、と語る彼に、多いに期待する由。

*松本零士さん2

 エピソード三題。ヒゲヅラで、海外では赤軍派のコマンドと間違われること。九州時代に原稿を手伝ってもらったついでに、生ウニをたらふく食わせたこと。マンガの蔵書家であること。

*永島慎二氏の人と作品1

 その人柄について。

*永島慎二氏の人と作品2

 カリスマ的“マンガの詩人”であることについて。

*大友克洋のカミソリ感覚

 ルーカスのILMで、スタッフのひとりが「AKIRA」をアニメにしたいと言っていたこと。人物のマスクが日本人的であることなど問題ではなく、国際的な共感を得られているのだ、と期待している。

*ファンタジーなんか書けません

 本物のファンタジーを描くことは、実に難しく、それを受け手に理解させることは、さらに難しい。常識的合理的な擬似ファンタジーは描けるけれども、という告白。

*転向マンガ家

 気合の入った決意表明である。

 ナウな感覚がマンガの生命なのであり、それを身につけるためなら、主義主張も捨て、読者も裏切る。何度でも。

 ただひとつだけ捨てられない主義は..戦争はごめんだということ。これだけは殺されても翻せない。

*マンガの教科書

 教則本としてのマンガがあっても良い。それから入り、それから卒業して行く。あるとすれば、それは私のマンガだろう。

*マンガの商品化

 日本において、マンガのマーチャンダイジングを引っ張ってきた手塚治虫。ここでもビジネスライクに、ドライに述懐している。

*マンガ大国日本

 マンガの本質は、絵ではなく記号なのではないだろうか。日本人は、それを高度に発達させてきたのではないだろうか。ならば、日本のマンガは、もっと海外で受け入れられてもいいはずだが..という問題提起。

*アメリカ・マンガ行脚
「ことに西海岸では押しかける日本人観光客が購入する、もしくは読み捨てる劇画誌はかなり膨大なもので、それを手に入れたアメリカ人の中には結構日本の劇画ファンになってしまい、日本からマンガ本をわざわざとり寄せるマニアさえいるのである」

 矢野徹や野田昌宏がSFを輸入・定着させた経緯と、全く同じだ。“進駐軍”に代わって“観光客”がマンガをばらまく。まさに平和的侵略である。

 それはそれとして、日本のマンガの大多数は、まだまだ国内の読者だけを相手にしている、と指摘する。

*サンディエゴのコミック・コンベンション

 日本のマンガ(の多く)が受け入れられないのは、質の高低の問題ではなく、風俗習慣の異質さと文字の問題。インターナショナルなテーマの作品は、問題無く喝采を得られる、という報告。

*七色いんこの国際漫画祭ルポ

 フランスのアングレームで開催された、国際漫画祭のルポ。日本人には信じられないほどの規模である。政府が肩入れし、大臣も(大統領も?)来る。町中、マンガ一色。(翻って日本では、コミケ会場に“封じられて”いる訳だ。[;^J^])

*一コママンガについて

 戦前と異なり、言論の自由が確保された今こそ、自由奔放奇想天外痛快無類な一コママンガを描かなければ損なのに、なぜかこれといった傑作が描かれなくなってしまった、と残念がる。

*クリエートのヒント

 アイデアが乏しくなると、外に出て自然を見つめる。広い場所は、それだけ多くの世界とつながっているからだ。

*怒り。なぜ? それから?
「マンガの場合、もちろん小説や戯曲でもそうですが、テーマになんらかの怒りが含まれなければならないと思うんです」

*手塚治虫漫画全集 別巻7 389

(文中、引用は本書より)


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jan 29 1997 
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