うたえペニーよダムの底に沈んだ「とんから谷」の物語。ずっと昔の物語。
リスたちの大王を決める戦いで、よそものの「三角」に、「まき毛」は負けた。まき毛は一家(妻と、子どものチョコ、タロ、ジロ)を連れて、谷の奥へと旅立つが、途中でキツネと遭遇し、これと戦ったジロは川に落ちて、下流に流されてしまった。
これを拾ったのは、サナエと(サナエ家の使用人の息子の)ごん太である。サナエは、リスを狙ったトンビに襲われ、目を傷つけられる。父に連れられて東京に帰ったサナエたち。リスのジロは猫のムク、犬のウドと仲良くなる。
ジロは、父のかたきを討つために強くならなければ、と、ムクにネズミの捕り方を習い、ドブネズミたちと戦って、ドブネズミのかしらに勝つと、彼からしっぽを譲り受ける。これを囓ったジロは、その晩、地震の夢を見た。ネズミの予知能力を受け継いだに違いない!、と、ムクやウドは騒ぎ出すが、人間たちには警告が通じず、襲ってきた大地震で家は崩壊する。そして火が..
東京を襲った、戦災以来の大災害であった。ごん太とその父、サナエと動物たちは助かったが、サナエの父母は亡くなったのだった。彼らは、ごん太たちの故郷であるとんから村へ帰ることにする。ジロは、とんから谷へ帰れるので、大喜びであるが..
他の乗客にネズミと間違えられたジロは、駅で窓の外に放り出され、それを捜しに出たサナエと動物たちは、汽車に乗り遅れてしまった。目の見えないサナエは、人さらいのハム・エッグとランプに騙されて、反対側の汽車に乗せられてしまう。彼らから逃げるために、走行中の汽車の外に飛び降りて、谷川へ。これは、昔、ジロがキツネと一緒に転落した川だ。これを遡っていけば、とんから谷に帰れるかも..
一行は、道中、かつてまき毛にちょっかいを出してやっつけられたことのあるヘビに出会い、そのヘビの口から、ジロの家族の消息が明らかになる。まき毛はキツネに殺され、家族は川上でほそぼそと暮らしている、と。ジロは一家と再会するが、このあたりの土地一帯を三角に押さえられ、(先代の大王の一族である)一家は、困窮していた。
ジロは三角と決闘するが、三角の腰巾着に目つぶしをかけられ、負けてしまう。三角は、まき毛の一族を根絶やしにしてしまえ、と命じるが、そこに銃声! 逃げまどう動物たち。銃創を受けた鹿の夫婦は、気絶しているジロを助けて手当をし、サナエとウドとムクは、髭もじゃの狩人の家に案内される。
翌朝、狩人はサナエを町に連れていく。やっぱりひとさらいだ、と、ムクとウドはバスを追跡して大騒ぎをするが、実は眼科医院に連れていったのであった。毎日通えば、じきに見えるようになる、という診察結果。当分、うちで暮らせ、いっそ自分の子どもになるか? 狩人は、亡くなった母親を慕う、優しい男なのであった。
全快したジロは、蓑虫の案内で、家族たちの隠れ家へ。兄のタロも、三角に殺されていた。かたきを討たねば! ジロとチョコは、河原の焚き火の跡に、食べ残しの入った空き缶を見つける。これを罠として三角を誘い出しせる! ひとりで空き缶のところまでやってきた三角は、その中に潜んでいたジロと一騎打ちになり、空き缶の中に押し込まれて川下に流されていった。子どもたちが見事にかたきを討ち、既にひとりだちできたことを見届けた母は、リスの世界の掟に従って、子別れをする。ひとり、どこかに去っていったのだった..
その頃、手当てのかいあって、ついに目が見えるようになったサナエは、初めて見る狩人のひげ面に怯え、弱ってしまった狩人は、床屋で髭を綺麗さっぱり剃ってしまう。そんな彼らの前に現れた、建設省の調査員たち。この谷にダムを作る計画なのだ。とんから谷を沈めるなんて、とんでもない!という狩人は、ここに発電所を作れば、どれほど人助けになるか、と説得する声にも、いっさい耳を傾けない。
サナエは、山の中に自動車が来ているのを見つけた。東京の生活を思い出して懐かしむサナエ。しかし、その自動車に乗って来ていたのは、意地悪な娘たち。
季節は秋になっていた。狩人は立ち退きに応じないが、いずれ、政府が強制立ち退きに乗り出すだろう..これを聞いたジロは、動物たちと植物たちに、急を告げる。動物たちの狼狽。逃げようにも動けない植物たちの嘆き。一方、サナエは、建設省の役人のひとりが、自分の父のかつての部下、日暮技官だということを知る。このダムのことを考え出したのは、サナエの父だったのだ。あの意地悪なふたりの娘、阿武子と鉢子は、日暮の娘だった。
ついに工事が始まった。工事機械がどんどん谷を登ってくる。逃げまどう動物たち。相変わらず意地悪な阿武子と鉢子は、面白半分に、猟銃でチョコを傷つける。サナエは激怒し、久々に再会したごん太と、阿武子らの味方である工事人夫たちの乱闘になる。サナエとごん太と動物たちは山の中に逃げ、阿武子たちが追跡する。逃げながら、サナエは、ごん太が、山をふたつ越えた谷からやってきた、ということを知った。そこは、もっといい谷だという。けものたちが住める..山の精の引き合わせかも知れない..
チョコの傷を治すために、かつて、ジロを治した薬草を採りに行った雄鹿は、工事の発破の爆発に巻き込まれ、薬草と引き替えに死ぬ。その様子を見に来ていた阿武子と鉢子は、スズメバチの巣にぶつかってしまい、スズメバチに襲われる。チョコは、薬草を(自分を撃った)娘たちにも、わけてあげるよう、ジロに頼む。薬草の手当てが功を奏して助かった阿武子らは、サナエに泣いて謝る。
季節は既に冬。日暮技官からサナエに、彼女の父が研究した新式ダムが、アメリカで大評判となり、ある会社が30万ドルで買うことになった、サナエにそのお金が入る、という電話が入った。それを盗みぎきしている、悪者たち。
その頃、ジロとチョコは、吹雪の中、動物たちを率いてとなりの谷へ大移動を開始していた。雪の中の強行軍。次々と凍死して行く動物たち。そして銃を持った人間たちが!
サナエは、工事現場の食堂に入ってきた男たち(電話を盗み聞きしていた悪者たち)が、仕留めたリスを何匹もぶら下げていることに驚き、撃たないように、泣いて頼むが、悪者のひとりが、どんぐり谷は俺が買った土地だから、俺の自由だ。しかしお嬢ちゃん、お金があるならどんぐり谷を売ってもいいぜ、と、嘘を付く。つまり、サナエの30万ドルを巻き上げるための詐欺である。悪事に気が付いたごん太が飛び込むが、彼はその場で箱詰めにされ、サナエは悪者たちにさらわれて、吹雪の中へ。
吹雪の中の一行。サナエが弱ってきた。死んでは元も子も無い。サナエに近くの休み場所を案内させると、サナエは一行を自分の山小屋へ連れていく。待っていた狩人と動物たちと、悪者たちの大立ち回りとなり、悪者たちは叩き出されるが、山小屋も火事になって焼け落ちてしまう。反省気味の悪者たち。吹雪の中で凍える一同のもとに、車で日暮がかけつけた。
サナエは、山越えをするけものたちが凍死する..と、日暮に訴え、日暮は暖房車を多数動員して、動物たちを暖めてやる。電気の力だ。電気とはえらいものだ..と、狩人は感じ入る。
季節はめぐり、3年目。ついにダムは出来上がった。ダムに水が入る。東京へ出る狩人は、これから電気のことをうんと勉強するつもりだ。動物たちも人間たちも、水に沈むとんから谷に、別れを告げる..
テーマ自体は、ありふれていると言って良い。しかし例えば、数年前に発表された、成田空港を巡って長年にわたって繰り広げられた闘争を描いた劇画(「ぼくの村の話」尾瀬あきら)が、どれほど、この作品よりも進歩していると言えるだろうか?
人間と自然の共存の可能性(狩人の生活)を示しつつ、しかし同時に、“数多の人々の生活を便利に、幸せにするための、「自然破壊」”というテーマ(あるいはテーゼ)が、明確に打ち出されている。
何よりも素晴らしいのは、これが動物たちの生活描写の魅力に溢れる“漫画”であって、(人間たちの描写は、少し物足りない、)イデオロギーの開陳などでは、無いことである。
シルクハット物語ボロは着てても心は歌姫。鵞鳥番のペニーは、鵞鳥たちを相手に、今日も喉を聞かせるが..客観的には、それは鵞鳥の鳴き声なのであった。それでも(現実を認識せず)夢いっぱいの彼女は、是非とも入学させてくれ、と、ニューヨークのチップス音楽院に電話をかけ、電話口で歌ってみせるのである。
やがて音楽院から、お会いしたいという電報が! 認められたんだ! と、大喜びで上京するペニーだが、チップス先生は、電話の声を聞いてアヒルが暴れ出したんで、何かわけがあると思ってお呼びしたのだ、と。あんまりよ!と泣き出すペニー。(確かに、あんまりだ。[;^J^])
お詫びのしるしに弟子にしてもらったペニー。3年後。チップス先生と共に故郷に錦を飾った、美しく着飾ったペニーだが..旧友のペギーの汚い格好や(かつて自分が着ていた着物の)むさ苦しさ、臭さに顔をしかめ、体や服が汚れるから、と、野良作業も出来ない。
じゃあ、何故帰ってきたんだ。あなたにはもうニューヨークが向いているんだ、と呆れるペギーに、泣きつくペニー。ニューヨークで寂しかった。少しも幸福ではなかった。帰りたかったのだ。ペギーはチップス先生に、ペニーをニューヨークへ帰さないで下さい、ペニーはもう歌を諦めている、彼女はここで暮らすのが幸福なんだ、と頼み込むが..彼女はもう少しで舞台にたてる、私は彼女を離さないよ、と、先生。(いつの間にか、鵞鳥声から大変な上達をしていたらしい。有望な生徒なのだ。)
先生は、私は汽車の中で待っているから、と、ペニーに選択を任せる。ペギーは、ペニーのトランクの中味を、馬や牛のエサと入れ替える。汽車に向かうペニー(のトランク)を、何故か慕って集まってくる動物たち。自分を慕っているのか、と、感動したペニーは、汽車に乗るのをやめ、再び汚い服装で、幸せな田舎暮らしをするようになる。
いい話ではあるが..ペニーは、ニューヨークに帰るつもりだったんだよ、詐術を弄したペギー君。[;^J^]
リボンの騎士:チンクと金のたまご寒風の中、巣の中で震える小鳥たち。もっと暖かい巣を子どもたちのために探してやりたい、小鳥の夫婦は、お屋敷の出窓に、具合がよさそうなシルクハットを見つけた。なんとフカフカして暖かそうな..あれに坊やたちを入れてやりたいが..しかし、人間がやって来た。やはり駄目か。しかし小鳥の夫は、なんとしてでも晩までに手に入れてやる、と、約束して、シルクハットの中にひそむ。
まず、ひとりの人間がシルクハットをかぶる。小鳥は、頭と帽子の間に閉じこめられた。医者である。馬車にのって王宮へ。
まだ幼い女王さまの「病気」は、ただの「我が儘」のようにも思えるが..青空のかけらが欲しい、と言うのである。図書館で調べたり、気球を飛ばしたりして、青空を切り取る方法を考える家来たち。そんなこんなしているうちに、夕立の中、シルクハットが医者の頭から飛ぶ。それを追いかける小鳥。拾ったのは、(シルクハットの二人目の所有者である、手塚治虫顔の)ジム。彼は、シルクハットにはさんであったデパートの商品券を、ちゃっかりと意中のミニーへプレゼントしてしまうが、それには、洋服、人形、チョコレートはおろか、自動車と別荘と動物園も贈ること、と書かれていた。なにしろ「女王さまへ」の商品券である。
一方、風邪をひいて、シルクハットごと商品券もなくした医者は、ふんだりけったりだが、馬係の貧しい少年が、一時間だけ女王さまと一緒にさせてもらえば、女王様の病気をなおして見せます、と言う。少年は女王さまに、「青空のかけら」とは何か、聞く。小さいときに見た、青くてすきとおって冷たいものだ、という。それがなんであるか、少年には見当がついた。早くから両親に死に別れ、大勢の家来にかしづかれていた女王さまは、おかわいそうに、何も知らないのだ、無理もない..
少年は、青空のかけらを見せるから、と、女王さまを連れて、そっと城から脱出する。汚い服を着せて、世間に連れ出したのだ。喜ぶ女王さまは子どもたちと遊んでいるうちに、少年の目の届かないところに行ってしまった。一時間たった。城にもどらなくては! 女王さまを連れだしたことがばれたら!
そのころ、ジムは、ミニーに見栄をはるために、今日一日、自分の下宿を自分の別荘ということにさせてくれ、と、下宿のおかみに頼み込む。彼女に謝礼を払うために、シルクハットを質に入れる。質屋はシルクハットを倉庫に入れ、小鳥もそれを追って倉庫に入るが、外から鍵をかけられてしまった。
さて、ジムは意気揚々とミニー(と、その女友だち)を「別荘」に連れてくるが、もちろん、自動車も動物園もあるわけがなく、あっけなくボロを出して、嫌われてしまう。もてないのである。その頃少年は、女王さまを勝手に連れだした以上、死刑だ、あろうことか迷子にさせるとは、と、責められていたが、女王さまは泥だらけになって、元気いっぱい、帰ってきた。青空のかけらを持って! それは、氷だった。女王さまは、自然からも世間からも切り離されて育てられ、氷すら知らなかったのだ。女王さまは、これからはこの少年だけを、自分のお守り役にすることにした。
一方、倉庫の中でネズミに狙われている小鳥は、シルクハットの中に入って逃げ回る。質屋に手品師が、手品に使うシルクハットを買いに来たが、質屋が倉庫の戸を開けたとたん、中に小鳥の入ったシルクハットが走り出してきた。これは手品に、おあつらえ向きだ。(三人目。)手品師は、舞台で段取りが狂って大失敗、客が騒いでいるあいだに、シルクハットは転がり出す。それを追いながら、小鳥は、「もうそろそろ、ぼくのものになってもいい頃なのに」。
そのシルクハットは、またしても人間に拾われる。四人目だ。結婚式の小道具として手配するのを忘れていたのだが、ちょうど良いところに。しかし、手品の仕掛けがたっぷり仕込まれたシルクハットは、教会の神父の面前で本領発揮。万国旗とウサギとハトが飛び出して、シルクハットはまたまた転がり、少女歌劇のレビューの舞台裏へ。丁度「通行人」のシルクハットが、ひとつ足りなかったのだ。(五人目の持ち主は、脇役の少女。)追いかけて来た小鳥はペンキまみれになり、ブカブカの帽子とペンキまみれの小鳥は、シリアスな舞台を笑劇に変えてしまうが、おかげで、監督(脚本家)の芝居は、はじめて受けたのである。
雪の降る劇場の外に追い出された小鳥。とうとう夕方までに持って帰ることは出来なかった..そこへ、舞台を成功裡に終えて帰路につく少女たちが通りかかり、震えている小鳥を見て、この(縁起のいい)幸せの帽子を、あなたにあげましょう..今度こそ本当に、シルクハットは小鳥のものになったのである..
シルクハットと小鳥を狂言回しとして、相互に無関係な楽しいエピソードが、「接続曲」のように、転がされて行く。佳作である。
白いくびの子がも仙女に、「金のたまご」を届けるよう、お使いをたのまれた(幼女の姿の)天使は、途中でほうき星にちょっかいを出されて、地上に落としてしまう。チンクは天使に協力して、金のたまごを捜索する。金のたまごを拾っていたキツネは、ずるく立ち回って狩人に売りつけようとするが、狩人に見抜かれてたまごを取り上げられ、さんざんな目に会わされる。
狩人はご褒美をもらうために、それを王様に献上し、たまごは城の中へ。チンクはサファイアの協力を求めるが、サファイアが取り戻した金のたまごは、贋物だった。誰かがすりかえたのだ。犯人を捜し出すために、サファイアはわざと、(皆の前で)贋物のたまごを割ってしまう。ひとり慌てなかった伯爵夫人が犯人である、と目星をつけた。
鶏を調達して居城に帰った伯爵夫妻は、その鶏に、金のたまごを孵させるつもりなのだ。金のたまごから孵った鶏は、きっとまた金のたまごを産み、そしてまた..という皮算用。チンクに秘密を知られた伯爵は、チンクを「落とし穴」に落とすが、直後に夫妻も落ちてきた。金のたまごの存在を嗅ぎつけた隣の国のスパイの仕業である。この鶏がいれば、わが国は金が増える。穴の底から脱出したチンクたち。ここで、リボンの騎士、登場! スパイたちをやっつけるが、彼らは(金のたまごを産むと思いこんでいる)鶏だけを後生大事に抱えていて、金のたまごは、道端にいた、目の見えない貧しい花売り娘にやっていたのだ。この鶏さえいれば、いくらでも産んでくれると思って。
彼女の貧しい家に急行したチンク。しかし彼女は既にそれを、たまご焼きにしていた。病床の母に食べさせていたのだ。天使の嘆き。もう、天に帰れない..
しかし仙女は、「天使や、早く帰りなさい。帰ってもいいですよ、たまごがなくても。よい子どものために使ったのなら……許してあげますよ」
天使と地上で暮らすのも悪くないな、と、チンクは思っていたのだが..切ない別れ..
このエピソードでは、サファイアはもちろん、ただの脇役。盲目の娘にたまごをやるとは、このスパイたち、意外に善人ではないか。
金のうろこ渡りの季節。友だちのウサギたちにお別れしていた、白いくびの子がもは、ウサギたちがキツネに襲われるのを助けようとして、怪我をし、飛べなくなってしまう。彼の羽根と狐の足跡を発見した母がもは、殺されたものと諦めて、南の国へと飛んでいってしまった。飛べない子がもを狙うキツネ。子がもは池の真ん中で頑張るが、その池は、周辺から徐々に凍ってきた。それを狙っていたキツネだったが、今度はウサギたちがキツネを攪乱し、子がもを池の真ん中から救出する。
ウサギたちに匿われた子がもの傷は、全快した。ウサギたちへの恩返しのために、悪さを繰り返すキツネを退治することにする。薄い氷の張った池の真ん中で、まだ飛べないフリをしてキツネを誘い出すと、キツネは氷を踏み破って流されていった。また春が来て、帰ってきた母親たちと再会した子がも。
キツネがカモやウサギを殺すのは、悪さでもなんでもない、当然のことなんだけどね..という正論は、ここで言うことでは無い。[;^J^]
おかあさんの足常々、母に楽をさせたいと思っていた、貧しい漁師の子どもは、ある日、金の魚をつかまえた。私の金のうろこを持っていって放れば、好きなものがなんでも手に入りますから、と、言いくるめられて魚を逃がすが..こんなものよりパンのほうが、と、金のうろこ放り捨てたら、そこに山ほどのパンが出現し、彼は、母親においしいパンを食べさせてあげることが出来た。
(以下、先刻ご承知の展開である。)金のさかなから、再び金のうろこをもらった少年がゲットしたのは、今度は、着物。それを毎日繰り返して、やがて、お城のようなうちを建て、大勢の召使いをやとい、毎日ごちそうを食べ続けた。
そしてついには、王様になるが..ある日、金のさかなから金のうろこを残らず剥いでこい、と、家来たちに命じると、嵐が起こって、御殿も家来も、みんな消えてしまった。強欲の罰があたったのであるが..みんななくなったって、お前さえ元気なら嬉しい、という母に慰められて、それから毎日、またお魚を取りに行ったということです..
グリム童話の、漁師と女房の話が元ネタ。「誰もが知っている」と書きそうになったが、そうとも限らないので、少し長くなるが、これも紹介しておく。私見では、「グリム童話」の中で最も恐ろしいかどうかはともかく、その“劇的構成”は、間違いなく最高水準のものである。
「漁師とその女房のはなし」では、貧しい漁師は無欲で実直な男であり、欲が深いのは、その女房である。ある日、「鏡のように光った海」で「ひらめ」を網にかけた漁師。ひらめは、実は自分は「魔法にかけられた王子」である。逃がして欲しい。と頼む。漁師はその頼みを聞き入れる。
家に帰って、そのことを女房に告げると、女房は、なんともったいない。普通そういう場合、お礼をしてくれるものだ。こんな小便壷のような貧相な家は、もう嫌だ。家を一軒、所望してきなさい、と、漁師をけしかける。
(無欲で実直で、恥も知っているので)なんとも気が進まない漁師だが、先ほどひらめを捕らえたところに帰り、ひらめを呼び出す。その時、海は既に、鏡のように光ってはおらず、「緑がかって黄土色」になっていた。ひらめに、女房の(厚かましい)頼みを告げたのだが、ひらめは鷹揚であった。
「帰ってみな」
と、ひらめがいった。
「願いどおりに、なっている」
そして帰宅したら、気持ちの良い家が、一軒たっていた。
この程度のことでは満足できない女房は、今度は石造りの館を望み、漁師をまた、けしかけた。「青黒く濁った海」。漁師の呼び出しと頼み。ひらめの返答。
「帰ってみな」
と、ひらめがいった。
「おやかたさんが立っている」
そして、石造りの館が建っていた。
以下、このパターンが、急激にエスカレートしつつ、繰り返されるのである。
女房は、王様の位を望む。それを頼みに行った時、海は「黒く濁って波が立ち騒ぎ、いやな臭いが漂よっていた」。女房は王様になり、豪壮な城と軍楽隊と重臣たちと、金ぴかの王冠を得ていた。
女房は、皇帝の位を望む。海は「まっ黒に濁り、底からガスを吹き上げ、白い泡を飛ばす。風がひょうひょうと吹き、大波が逆立っている」。女房は皇帝になり、大理石の城と、衛兵のパレード。雲突くばかりの黄金の玉座。居並ぶ近衛兵と公爵や伯爵たち。
女房は、法王の位すら、望んだ。
風が音を立てて吹きすさび、雲が飛ぶように走っていた。夕闇がせまっていた。木の葉が舞いあがり、海は逆まき、波が岸辺にぶちあたっていた。遠くで船が高波にもまれていた。助けをもとめて、むなしく号砲をうち鳴らしている。空一面が、まっ赤に燃えていた。その中に、一点の青空がのぞいているのがなおのこと無気味だった。
女房は法王になり、金襴の衣を身にまとって、はるかな高みの玉座におさまっていた。壮大な教会。まわりをとりまく豪壮な宮殿。大司教、枢機卿らがかしこまり、皇帝、王様たちが御前にひざまずく。
女房は、ついに、神様になりたい、と、望んだ。
外は大嵐だった。風がうなっていた。家や木がふきとばされていく。山がゆれ、岩が崩れて海に落ちた。雷鳴がとどろき、稲妻が走っていた。まっ黒な海は、つぎつぎと、教会の塔ほどもある高波を天につき出す。波がしらが白い泡をたてて湧き返っているのだった。
そして、ひらめの返答は..
「帰ってみな」
と、ひらめがいった。
「おかみさんが、もとの小便壷でまっている」
漁師とおかみさんは、いまもやっぱり、そこにいる。
この、急転直下の(僅か1行(あるいは2行)の)結末の付け方も凄いが、身の程知らずの欲望のエスカレートに対する「罰」とも「警告」とも読みとれる、海と自然界の(これもエスカレートする)表情の変化が、恐ろしい。全く単調な繰り返しに、「クレッシェンド」を付けただけで、これほどまでに深い「意味」と「絶望」と「虚無感」を与え得た例を、私は知らない。
「金のうろこ」には、この迫力は無くなり、優しい結末のついた童話となった。(「金のうろこ」には、最後に全てが崩れ去る、大嵐の描写がある。「漁師とその女房のはなし」には、これが無い。唐突に突き放されて、(漁師と女房の心理描写も何もなく)終わりである。これは好みが別れると思う。私自身は、カタストロフの描写がある方が、好きである。)
舞踏会へきた悪魔三本足の猫。彼女の子どもたちは、足が一本足りないお母さんなんか、きらいだ、と泣く。その子たちに、母猫が話したおはなし..
あるとき、アフリカに出かけた探検家の、娘につれられていった猫がいた。探検家は、猫が嫌いだった。帰る段になって、彼は、飛行機に乗るには荷物が重すぎることに気がついた。ちょうどその頃、その猫が子猫を産んでいた。子猫の重さぶん、荷物が重すぎる! 子猫を明日の朝、捨ててこい!
その晩、ワニの川に出かけた母猫は、片足を水につけて、じっと待った..
帰ってきた猫は、片足が無かった。猫は、探検家を重量計のところまで引っ張って行き、探検家は、ちょうど子猫のぶんだけ、母猫が軽くなったことを知った。後悔して謝る探検家。
そしてこれ以上、何も(誰も)捨てずに、猫の親子たちは飛行機に乗れたのだ。恰幅のよかった探検家が、ほっそりとした体型になるまで、体重を落としたからだ..
実は、微妙に辻褄が合わない点はある。猫が、必要十分な重さだけ体重を減らしたのならば、探検家はダイエットする必要はないのである..が、こんなのは、良くできた話に対する、つまらない揚げ足取りである。(5年前(1952)に「少女クラブ」に掲載された、絵物語バージョンもある。)
母の眼ばなし華やかな仮装舞踏会に現れた、不粋な警備隊長。革命軍の親玉、「ドナウの狐」が、この舞踏会に変装して紛れ込んだというのである。誰に化けたのだろう? 疑心暗鬼に陥る客たち。そんな中で、肩身が狭いリリー。彼女の母親は出奔して、革命軍に入ってしまっていたからである。リリーをかばう、彼女の叔父。
アイマスクを着けて、リリーを踊りに誘う警備隊長。仮装比べが始まる。ピエロのような悪魔に化けた、妖しい男。もしや彼が「ドナウの狐」だろうか? そしてリリーのもとに、「今夜あなたの命をもらう」という、ドナウの狐からの予告文!
警備隊長はリリーをテラスに誘いだして、母と別れたことを寂しがるリリーを慰める。(彼らの様子を窺う、悪魔の扮装の男..)きっと、あなたは母親に会えるでしょう、と。なぜなら、ドナウの狐は、あなたの母なのだから。そんなはずは無い、ドナウの狐は、今夜私を殺しに来る。いや、誰かがドナウの狐の名を騙って、あなたを殺そうとしているのです。私が守ってあげましょう..
ベッドで寝ているリリーを襲う、覆面の男! それを取り押さえる、悪魔の扮装をした男! ベッドに寝ていたのは、リリーの替え玉の人形だった。そして襲ったのは、リリーの叔父! 彼女にかけた、莫大な保険金を狙っていたのだ。ドナウの狐が忍び込んだのを幸い、彼に罪を押しつけるつもりだったのだ。
そして、悪魔の扮装をしていたのは、なんと警備隊長であった。では、今、リリーと会っている警備隊長は? ドナウの狐さ。私に化けて来たんだよ。
なぜつかまえない!と息巻く一同を、警備隊長は鎮める。娘に会いに来ただけだ、ということが判ったからだ。そっとしておいてやりましょう。せめて一晩だけ、ゆっくり会わせてやったらどうです。
「夜明けになれば、狐は帰るだろう。
それまで、私は、あれを追いますまい。
さあ! 狐のことは忘れて。
今夜は舞踏会だ、みなさん陽気に!」
完璧な短編である。強いて言えば、一箇所だけつながりが悪いが、(ベッドで寝ているシーンの前後、)まさに瑕瑾に過ぎない。
ミニヨン親子三人暮らしのミヨは、ある日、母の正体を見てしまった。巨大な白ヘビだった。20年前、ミヨの父に、権現様の池で、岩にはさまれているところを助けられ、恩返しに嫁いできたのだ。父は母を追い出したが、熱が出てしまった。薬を買う金も無い..
困ったミヨは、権現様の池へ。母(白ヘビ)は、とうさんになめさせたら病気が治るから、と、大きな玉をミヨに手渡すが、その帰り道、ミヨは庄屋たちの一行に、滞納している税金の代わりに、と、その玉を取り上げられてしまう。泣きながら母に訴えるミヨ。
あの玉は、母の右の目だったのだ。ほかならぬミヨのためだ、目など惜しくない。これでもう見えなくなってしまうが、今度こそ取られないように、と、左の目の玉を手渡す。家路を急ぐミヨ。
そのころ、代官に玉を献上していた庄屋は、こういう玉は対になっているものだ、ひとつ隠しているな!と叱りとばされていた。庄屋の家来たちはミヨの家を襲い、もうひとつの玉も取り上げてしまうが..その夜、村中を吹雪きが荒れ狂って、庄屋の家も代官の屋敷も吹き飛んでしまった。空には明るいふたつの星。かあさんの目が天にのぼったのかも知れない..
素朴な民話である。やや大きめの、たったひとコマで表現された吹雪と、晴れた夜空に光るふたつの星を描く、最後の小さなひとコマの、絵画的な素晴らしさが出色。
つるの泉町で踊る、ジプシーの少年、ミニヨン。
学生と、その友人の流行歌手・フィリーネ。彼女は、娘に生き別れた老乞食・ロタリオを追い払う。ロタリオは、自分の竪琴の音を聞けば、娘はきっと、私が誰だか判ってくれるだろう、と言う。
喝采を浴びるミニヨンの踊り。学生は、疲れ果てて踊れないミニヨンをむち打とうとする親方を止め、ミニヨンの身の代金を親方に叩きつけて、彼を請け出す。学生の名は、ウィルヘルム。
フィリーネは、城の音楽会で歌うはずだったが、食い過ぎで腹を壊して歌えない。弱ってしまったウィルヘルムの急場を救うために、ミニヨンは女の衣裳を着て歌い、大喝采を浴びる。「君よ知るや南の国。木々はみのり花は咲ける..」
その帰り道。ウィルヘルムと別れたミニヨンは、ロタリオがあの歌を歌っているのを聞いて、驚く。娘を捜しているロタリオは、もしや(この歌を知っているという)あなたが..と期待をかけるが、残念ながら、ミニヨンは少年だった。
そのとき、ミニヨンは、ジプシーの親方がウィルヘルム宅を襲うのを目撃する。彼はウィルヘルムを撃ち、放火する。しかし天罰覿面、親方は崩れる階段から転落し、いまわの言葉に、ミニヨンが実は少女であり、イタリアのお城からさらってきたお姫様であることを、言い残す。「その城の殿様の名前は?」「ロタリオ..」
城館で公爵の服装に戻ったロタリオ。怪我が癒えたウィルヘルム。ミニヨンは公爵の娘だったのだ。ウィルヘルムどの、ミニヨンの婿になってはもらえまいか..
ゲーテの「ウイルヘルム・マイスターの修業時代」を、巧妙に換骨奪胎し、長編のエッセンスを、僅か9頁の短編にまとめ上げたもの。例によって、実にうまい。
とはいえ、一本の短編として見ると、ちょっと無理な設定(シーン)もある。ミニヨンが、自分が女だと言うことを知らなかったこと。金持ちとも思えないウィルヘルムが、ミニヨンを請け出す金を持っていたこと。また、音楽会のシーンでは、フィリーネの急病に弱り果てるが、まるでパトロン然である。これも背景説明が足りない..
..が、これらの“歪み”が、かえって、作品世界を広げているかのごとく機能している。短編として完璧なまとまりをみせる「舞踏会へきた悪魔」と、好一対である。
栄えに栄えている、だんぶり長者。小作料を払えない、貧しい与ヒョウ。明日までに金が出来ないと、村を追い出される。自分はいいが、ばあさまが..と困っている与ヒョウは、道端に寝ていた知恵者、寝太郎に、この布きれを持って、うわばみ山へ行け、と助言される。そこで待っていると、きっと旅人が膝をすりむいて通りかかるから、そのきれで包帯してやれば、お礼をくれるよ、と。
与ヒョウは、傷ついて飛んできた鶴の足を、布きれで手当して逃がしてやる。その鶴を追ってきた長者の息子たちは、与ヒョウを叩きのめす。
その夜、与ヒョウの家を訪れた娘。彼女は与ヒョウのために、隣の部屋で機を織る。
翌日、長者に呼ばれた、仲買人たち。長者はふたりに、見事な鶴の千羽織りを見せる。与ヒョウが収めたものだ。鶴の羽根が千枚も縫い込んであるのだ。大変な値打ちものである。
娘の名は、おつうといった。村の子どもたちと仲良しになったおつうを、長者の息子が誘惑するが、彼は与ヒョウに追い返される。おつうは、与ヒョウに遠い都の話を語り聞かせる。そんなに綺麗なところなら、一度、ばあさまに見せてやりたい。働いて金をためよう! そこに長者一行がやってくる。おつうを息子の嫁に差し出せ! 断る与ヒョウ。怒った長者は、明日じゅうに屋敷まで、「ヒューヒュードンドン そでかぶる エイヤ ハッチャ いやたまらん」と言うものを持ってこい、と、無理難題を申しつける。寝太郎に知恵を借りる与ヒョウ。寝太郎いわく、そんなものがこの世にあるわけがないが、ハチの巣があればなんとかなる。ハチの巣が冬にあるわけが無い、と、与ヒョウの絶望。
その頃、長者の息子たちは、山奥の温泉で、おつうの正体を見てしまった。鶴だ。鶴の姿に戻ったおつうは、ハチの巣を探しに飛び立ったのだ。
へとへとになって戻ってきたおつう。彼女が持ち帰ったハチの巣を持参して、長者の屋敷に出向く与ヒョウ。
重箱にハチを詰めておいたのだ。中味を知らぬ長者たちが、それをドンドン叩くと中でヒューヒュー音がし、エイヤと投げつけるとハチが飛び出して、ハチだ! ハッチャ!、たまらずそでをかぶり、いやたまらん!
逃げ帰ってきた与ヒョウ。こんな村いやだ、ばあさまとおつうと都さ行って、きれいなうちに住むだ!
そこに現れた仲買人たち。千羽鶴さえ織っていただければ、旅費や生活費ぐらいご用立てしますぜ、と、金を積む。小判に目が眩んだ与ヒョウは、そんなものに惑わされないで、と泣きつくおつうに、布を織れ、と強要する。
嘆き悲しむおつう。おつうに「うん」と言わせる方法を寝太郎に聞く与ヒョウだが、寝太郎は、いやなこった、と、教えない。
そんなにお金が欲しいのなら、と、体の羽根のほとんど全部を抜いて、十反の千羽鶴を織ったおつう。約束を破って覗いた与ヒョウを残して、おつうは去って行く。
「つるの恩返し」に、「三年寝太郎」が特別出演。
(文中、「グリム童話集」からの引用は、「集英社ギャラリー 世界の文学10 ドイツI」より(池内紀訳)。
その他の引用は、本書より)
Last Updated: Dec 23 1999
Copyright (C) 1999 倉田わたる Mail [KurataWataru@gmail.com] Home [http://www.kurata-wataru.com/]