*2015年05月04日:燕子花と紅白梅展/ルーヴル美術館展/マグリット展
*2015年05月05日:さすがに休む [;^.^]
*2015年05月06日:若冲と蕪村展
*2015年05月07日:更新無理無理 [;_ _]
*2015年05月08日:今夜も無理 [;_ _]/追憶の山水画
*2015年05月09日:5〜6月の展覧会観覧予定
*2015年05月10日:しくじったか? [;_ _]
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*2015年05月04日:燕子花と紅白梅展/ルーヴル美術館展/マグリット展


 今朝は雲が多く、やや涼しい。やや早すぎるが、実家前のバス停から7:51のバスで発つ。表参道の根津美術館に早めに着きたいからである。

 ..大正解 [;^J^]。開館35分前の9:25に着いた時点では、待ち行列は20〜30人だったのだが、9:50には数百人 [;^J^]。「燕子花と紅白梅 光琳デザインの秘密」である。(5月17日(日) までなので、あなたがこれを読む頃には、終わっている可能性が高い。)

 伝 俵屋宗達の「蔦の細道図屏風」画像検索結果)は、面白い。検索された画像群を観ていただいてもおわかりかと思うが、六曲一双の左右を入れ換えても、絵がつながっている。左に登っていく坂道が、どこまで歩いていっても終わらない、という、一種の「無限上昇音階」的トリックが仕込まれているのである。(たった今思いついたが、この絵を観て「左に無限に登っている」ように見えるか「右に無限に下っている」ように見えるかで、簡単な性格判定ができそうだな。面倒だからやらんけど。[;^.^])

 しかしなんといっても、本展の目玉はもちろん、並べて展示されている下記2点である。

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 尾形光琳の「燕子花図屏風」

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 同じく「紅白梅図屏風」

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 本展は5月17日までだが、当美術館所蔵の「燕子花図屏風」は、毎年この季節に公開されているので、今回見逃したとしても気に病むことはない。何故、毎年この季節に公開されるのかというと、この美術館自慢の素晴らしい庭園の燕子花(かきつばた)の群生が見頃になるからである..というわけで、ヘボ写真ではあるが、ご紹介しておこう。



 とはいえ、MOA美術館所蔵の後者(「紅白梅図屏風」)と並べて展示される(見比べられる)のは、実に56年ぶりだったらしい。(なにげに、私の年齢と同じではないか。意味はないが。[;^J^])..まさに、2大国宝。日本美術史上の頂点に君臨するといっても過言ではない2作てある。

 以前も書いたと思うが、屏風は、ここに引用したような平面に開かれた図版では、真価がわからないのだ。特に「燕子花図屏風」は、燕子花の群生の繰り返しのリズムと屏風の凹凸のリズムが絶妙に呼応していて、まったく見飽きることがない。まったく見飽きることがない..今回、見逃された方は、「燕子花図屏風」は、来年のこの季節にこの美術館で。「紅白梅図屏風」は熱海のMOA美術館で。(いつ公開されるのかは、自分で調べてください。[;^J^])

 晴れたり曇ったりの天候である。11:10に退出し、11:40にはメトロ乃木坂駅に着いた。もちろん目当ては国立新美術館であり、「ルーヴル美術館展」と「マグリット展」を観るためなのだが..ここでちょっと(チケットの購入に関して)バタバタしてしまった。[;_ _][;^J^]

 要するに、展覧会のチケットは、事前にコンビニ(等)で買っておけばいいのである。さすれば、当日(場合によっては圧倒的に)時間を節約することができる。ところが、私はこれが苦手なのである [;_ _]。コンビニの端末が(微妙に)使いにくいということもあるが、つまりは、不精なのである [;_ _]。当日、多分それほど並ばなくても買えるさ..と、「楽観的に先送り」してしまうという悪い癖の持ち主なのである [;_ _]。無論、「これは(先に買っておかないと)やばい」、と判断した展覧会のチケットを予めコンビニで買っておいて功を奏したこともあるが、ほとんどの場合は、当日、美術館のチケット売場に並んでも問題はない(たいしたロスタイムではない)。これまではそうだった..しかし今回は珍しい(しかも複雑な [;^J^])失敗例だったのである。

 国立新美術館に、直近の(というか地下から直結している)メトロ乃木坂駅から向かう人はどなたもご存知かと思うが、この連絡通路に、国立新美術館の仮設チケット売場がある。なぜかここにはほとんど行列ができない(当日券を買う人も、大抵は、国立新美術館のすぐ外側(というか手前)にある正式なチケット売場で買う)ので、とても便利である。私も、国立新美術館の展覧会の当日券を買うときは、いつもここで買っている。ところが、今回は、例外的な事象が発生したのである。つまり、私は併催されている「ルーヴル美術館展」と「マグリット展」の両方のチケットを買う必要があるのだが、この仮設チケット売場では「ルーヴル美術館展」のチケットしか売っていない。そして、「両方の展覧会を観るのならば(本来の)チケット売場で(共通券?を)買う方が割安です」、と、説明された。それなら当然、ここはスルー。正式なチケット売場まで、エレベーターで行く..

 ..とんでもない行列である [;_ _]。私は、この美術館のチケット売場に、これほど人が並んでいるところを、初めて見た [;_ _]。どうみてもチケットを買うまでに30分以上は並ぶことになりそうである。となると「割安」もクソもない。貴重なのは金よりも時間である。(「時の方が尊い」というシチュエーションで、いちいちゲーテの「ファウスト」に想いを馳せてしまうのが、私の悪いクセである。自分の教養がウザくなるのは、こんな時である..[_ _](← こんなことを平然と書けるようになるので、歳を取るのは悪いことばかりではないよ。[;^.^]))..というわけで、下りエレベーターを待ちきれずに階段を駆け下りて乃木坂駅からの連絡通路の仮設チケット売場に戻ったら(ほとんどひとりも並んでいないので)すぐに買えて、国立新美術館に舞い戻り、正規のチケット売場の長蛇の列を横目に(爽やかに)スルーして、1Fの「ルーヴル美術館展」の入り口に行こうとしたら..ここにもまた長蛇の列が..[;_ _](この美術館で、こんな行列は初めて見た。[;_ _])とはいえ、待ち行列の末尾の看板を持つスタッフに訊いたところ、待ち時間40分ということで、それほど長くはないし、実際には20分ぐらいで入れたんじゃなかったかな。(しかしながら2パラグラフ前に書いた「珍しい(しかも複雑な [;^J^])失敗」というのは、このことではない。それが明らかになるのは「ルーヴル美術館展」を出てからなので、乞うご期待。[^.^][;^.^])

 結局、12:05に「ルーヴル美術館展」に入場。風俗画をメインテーマに素晴らしい作品が山ほど並んでおり、とても全部は紹介しきれないので、以下に紹介するのは特に琴線に触れた作品の、さらにごく一部(半分以下)、と、心得て欲しい。

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 左図は、ジョゼフ=マリー・ヴィアンの「アモルを売る女」。擬古典調の作風(色彩、構図、人物の表情など)が楽しい。問題は、翼をつままれてぶら下げられているアモル(悪ガキにしか見えないが [;^J^])の「仕草」である。当時から「下品だ!」と、物議をかもしたらしい。BSの「ぶらぶら美術・博物館」でも、山田五郎、おぎやはぎら、出演者全員が「この仕草、万国共通で“そういう”意味なんですか..」、と、面白がっていたが..しかし、私はこの仕草、知らないのである [;_ _]。山田五郎たちも、具体的には説明してくれなかった。(周知の(しかもテレビで語るにはいささか下品な)事実だからであろう。)ネットでいろいろ調べたのだが、わからない..「め●●り」のようなニュアンスなのだろうか。相似形ではあるのだが..

 ..などという枝葉末節に散々悩まされてしまったが [;^J^]、それはともかく、右図。ル・ナン兄弟の「農民の食事」。これはあまりにも有名な作品である。色彩が素晴らしい。ほとんど宗教画に近い厳粛な雰囲気。社会の底辺の層の日常生活の気高さ・神々しさを描くことにより、富裕層の軽佻浮薄さを浮き彫りに..とまで解釈すると、読みすぎになりかねない。なにごとも、ほどほどに。[;^J^]



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 左図、クエンティン・マセイスの「両替商とその妻」こそは、個人的な理由で私が偏愛している作品である。私が中学校に入る以前から実家に備え付けられていた(確か全1巻の)「西洋美術」の画集の中に収録されていた作品だからである。(確か見開きの右側ページで、左側ページには、パティニールの「ステュクス川を渡るカロン」と、ブリューゲルの「バベルの塔」が掲載されていたんではなかったかしら?)まだ多分、実家で廃棄はしていないと思うのだが、私はこの画集で、西洋美術の(圧倒的な)魅力に憑かれてしまったのである。この作品、特に女房の仕草がいくとおりにも解釈できるのだが、まったくご自由に、である。ただただ、素晴らしい作品である。

 そして右図が、ピーテル・ブリューゲル1世の「物乞いたち」! これが来ているとは思わなかった! ブリューゲルには壮大な傑作がいくつもあるのだが、大体彼のどの画集でも、終わりの方のページにちょこんと(まるでフィルアップのように)掲載されている、この小品。素敵じゃぁないですか。[^J^]



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 左図、バルトロメ・エステバン・ムリーリョの「物乞いの少年(蚤をとる少年)」も有名な傑作。素晴らしい光線。好きな作品である。好きな作品ではあるのだが..昔から気になっているのだが、少年の足元に落ちている赤い残骸は、なに? ..まさか「エビ」の食べ残し(殻)のわけ、ないよね? 蚤なの? これが蚤なの? ..大きすぎない? 恐いんですけど..[/_;][/_;][/_;][;^.^]

 ..気を取り直して [;^J^]。光線と言えば、ヨハネス・フェルメール。右図が、彼の初来日作品、「天文学者」。この展覧会の目玉であるが..私の贅言、要る? [;^J^] 光、色彩、構図、事物の取り合わせと配置、質感..本当に、見飽きることがない..



 ここらで箸休めに、ほのぼのエピソードをひとつ、ご紹介しよう。

 ま、混んでいるわけである。全部の作品を最前列でじっくり見ようとしたら、手すり際で辛抱強く並んで、牛歩の群集が動くのを待たなくてはならない。私らのように展覧会慣れしている人間は、「多分、この部屋はたいしたことない」、と判断したら、人々の肩越しに背伸びして覗き込んで、「よし、この絵はスルー」「意外といいな、あとで人が減る隙を狙って、もう一度観に来よう」..などと泳ぎ回ったりするわけであるが、真摯な人達は、最前列で観るために辛抱強く並んでいるわけである。

 本展覧会では、GWだからというわけでもなかろうが、何故か親子連れ(それも母子連れ)が目立ったのだが、背の低い子どもは「肩越しに覗き込む」ことなど出来ないので、当然、最前列で手すりに掴まりながら、牛歩するわけである。ある母子連れ(子どもは、小学校3〜4年生ぐらいの、おめかしした可愛い女の子である [^J^])は、もちろん、じっくりゆっくり牛歩しながら全部の絵を丁寧に観て、子どもにはわかりにくい点をお母さんが解説していたのだが..ちょうどこのフェルメールを過ぎたあたりで、展覧会の後半に移る。そして私が昔から何度も書いているように、いかなる展覧会でも、本当に混むのは前半(あるいは第1室)であり、後半に入ると、人の流れが良くなる。要するに疲労がたまった人々が「流し」始めるのである。この展覧会もその例に洩れず、フェルメールを通り過ぎたあたりで、流れが楽になった。すると、前記の女の子が手すりに掴まったまま左右をキョロキョロ見回して、「お母さーん、どこー?」..はぐれたのである。が、すぐに見付かった。今までは女の子のすぐ横にいたのに、2つか3つ、先の絵を観ていたのである。すると母親を見つけた女の子、「お母さーん、もう、全部は観ていかないのー?」..[;^.^] もちろんお母さん、小声で、「うん、観ていくけど、少し早くね..」、とか、ごにょごにょ言って女の子の手をひいていったけど..思わず私、周囲の大人数人と目配せを交わし、ほっこりとした空気が流れてしまいましたよ [;^.^]。「混雑を抜けたら、流す」。それがオトナというものなんだよ、お嬢ちゃん。勉強になったね。[^J^]

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 左図は、ジャン=バティスト・グルーズの「割れた水瓶」。丸いもの(ここでは水瓶)は女性を象徴し、それが割れている。着衣は乱れている。寓意は明らかであろう..ただ、気になるのは、頭髪がいっさい乱れていないこと。そして、彼女の「無表情」である。これを「茫然」と解釈するか「平然」と解釈するかで、絵の意味が変わってくる。いずれにせよ、子どもには意味を説明しにくい絵だよなぁ..

 右図は、ティツィアーノ・ヴェチェッリオの「鏡の前の女」。これも本展覧会の目玉だが、まずは何よりも彼女の(特に白い肌の)美しさ! そして、鏡を使った意味である。当時、絵画と彫刻の優劣論争があり、一方向からしか観ることが出来ない絵画に対して彫刻はあらゆる方向から観ることができるのが圧倒的なアドバンテージである..という主張に対する反例だったらしいのだが..(鏡に映る後ろ姿も同時に見えていますね..)言っちゃ悪いが、まるで子どもの喧嘩レベルだとしか思えないのだが [;^J^]、それは数百年後の未来人の上から目線。当時の画家・彫刻家たちにとっては、死活問題の真剣な議論だったのだろう。



 これは、検索結果へのリンクですまさせてもらうが、ペーテル・パウル・ルーベンスの「満月、鳥刺しのいる夜の風景」画像検索結果)も、素晴らしい。ルーベンスの風景画の中でも、屈指の傑作ではなかろうか。

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 裸体画を2点。左図は、テオドール・シャセリオーの「風呂からあがるムーア人の女性」(または「ハーレムの室内」)。右図は、フランソワ・ブーシェの「オダリスク」。右図のモデルは、奥さんらしい。用途は、現在の男性誌の袋とじ企画と、本質的には同じである(← 巧みな婉曲表現である。[^.^])

 ここで、ほのぼのエピソードをもうひとつ。今度は父娘連れである。女の子は小学校5年生ぐらいの眼鏡女子。並べて展示されているこの2点を(特に「オダリスク」を)見て、「..ねぇ、どうして、昔の人って、女の人の裸とかお尻とかを描くの?」、と、父親に質問。さぁ、ここが、父親としての器量が問われるところだ。[;^J^]「それはね。女の人の裸やお尻はとってもエロいし、(男子は)みんな、エロい絵を観るのが大好きだからなんだよ」、と、正直に答えられるであろうか? 娘はもう二度と、一緒にお風呂に入ってくれなくなるだろう。それでも真実を伝えられるだろうか。お父さんの危機である..が、彼は、「..恥ずかしいか?」、と、質問者の問題にすり替えるという、不誠実な解に逃げて、娘の手をひいて、この絵の前を去っていってしまった。去り際の彼らを横目で見たら、(推定)小学校5年生の眼鏡女子は“ブスっと笑っていた”、としか表現のしようがない [;^J^]。オトナは「逃げる」ものなんだよ。勉強になったね、お嬢ちゃん。[^J^]



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 最後にご紹介するのが、ジャン=バティスト・カミーユ・コローの「コローのアトリエ」である。別になんと言うこともない絵である。別になんと言うこともない絵であるのだが..私は、異様に気に入った。コローのアトリエで、制作途中の風景画を観ている、おそらくはコローのモデル。彼女が右手に持っているリュートは、彼女をモデルとする絵の小道具なのであろうか。それとも普段から音楽を嗜んでいるのであろうか。これもまた、本当に見飽きない絵である..



 13:50に、「ルーヴル美術館展」を退出。「マグリット展」を観る前に、地下のビュッフェで遅い昼食(ペンネ)。ここでも少々並んだので、食い終わったのは14:25位だったかな。で、「マグリット展」の会場(2F)に向かったのだが..考えてみれば当たり前だが、チケットは、場外の(あの、大行列が出来ていた)チケット売場に買いに行かなくてはならないのである。朝(というか昼前)には、「ルーヴル美術館展」のチケットはそこよりも遥かにすいている仮設チケット売場で買って得々としていたのだが、「マグリット展」を観る段になって、結局、本来のチケット売場の大行列に並ばなくてはならないことが、改めて判明したのである。しかも何が腹が立つかといって、この大行列の大部分は「ルーヴル美術館展」のチケットを買う人々なのである。(「ルーヴル美術館展」と「マグリット展」のチケット窓口(及び行列)が分けられているわけではない。)それはもう観たっつーの![;^.^] 並びがいがないこと、夥しい [;_ _][;_ _][;_ _]。結局、行列に要した時間は、当初の予想(目測)どおり、30分弱。こんなことなら、「ルーヴル美術館展」のチケットもここで買えば、2つの展覧会を両方観るということで、割安券?が買えたのである。だいぶ前に書いた「珍しい(しかも複雑な [;^J^])失敗」というのは、このことであったのだ。[;_ _][;^J^]

 ..で、ともかく2Fの「マグリット展」会場へ。入り口の行列、なし [;^J^]。15:00頃に入場。

 実のところ、当初は、観るかスルーするか迷っていた展覧会である。1988年の大規模な展覧会も観ているし、それ以外でも、マグリットの作品を観る機会は多かった。画集もたくさんもっているし、主要作もその周辺作も、ほとんど頭の中に入っている。知らない(観ていない)作品など、ほとんど来ていないのではあるまいか..

 ..来て良かった。展覧会の構成が、シンプルかつ頑健である。(妙な(恣意的な)テーマ分けなどしていない。)主要作(観るべき作品)はほとんど来ているし、また、観たこともない作品も、いくつもあった。図録もしっかりしている(購入してしまった [;^J^])。この展覧会、お薦めである。

 迷ったのは、この廃墟通信に、どの作品を紹介すればいいのか、ということである。上述のごとく「主要作(観るべき作品)」が山盛りなので、それをいちいち紹介していたら(図版の貼り付けだろうと、検索結果へのリンク張りだろうと)50点を軽く越えてしまうし、引用したら(解説とは言わないが)ひとことコメントぐらいは必要であろう..つまり、「マグリット画集」の編纂でもしているのかという仕事量になってしまうのである。[;^J^](そうでなくとも2日以上更新が遅れているというのに)そんな工数をかけているヒマはない。[;_ _][;_ _][;^.^]凸

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 というわけで、会場で作品リストに鉛筆でなんらかの記入をした作品だけ、紹介しておくことにする。左図は、「深淵の花」。手持ちの画集のどれかに収録されている作品であるが、実物(の美しさ)に接するのは初めて。なお、スキャン画像の右下あたり、縦の黒線が20本以上見えているかと思うが、これはどうやらスキャナーの不良である。画面右下エリアが黒ベタに近いと現れるのだ。修理かなぁ..買い直しだろうなぁ..

 右図は、「出現」。これは珍しい作例(イメージ)としてご紹介するが、それだけではない。この菱形の縁取りパターンが、私を悩ませている(ときおり予告なしに出現する)「「閃輝暗点」(Wikipedia)的症状」と、良く似ているからである。絵画作品としての面白さは、言うまでもない。



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 左図は、「アルンハイムの地所」。(「アルンハイムの領土」と邦訳されることもある。)「自分が知っている「アルンハイムの地所」と違う..」という人も、いるかも知れない。実は私もそうだった。調べてみたら、同じテーマとタイトルで、油彩が3点、グワッシュが8点も描かれているのである [;^J^]。人気の主題だったのだ。ちなみに本展に出展されているのは、1962年のグワッシュで、どうやら、1988年の「ルネ・マグリット展」で本邦初展示されたものと、同じバージョンである。(帰宅してから調べた結果、判明した。[;^J^])

 そして右図こそは、「大家族」。これはもう、紹介しなくては始まらない。マグリットの生み出した、決定的なイメージである。



 というわけで、どちらの展覧会も、超お薦め。特に「マグリット展」は、「ビギナー」には最適である。ただしチケットは、事前にコンビニで買っておくこと [;^J^]。「ルーヴル美術館展」は6月1日まで。「マグリット展」は6月28日まで。もしも「マグリット展」だけを観に行くというのなら、6月2日以降ならば、場外馬券売場、じゃなかった [;^J^]、場外チケット売場の行列も、そうたいしたことにはならないと思われるので、事前に買っておく必要は無いかも知れない。

 16:20、国立新美術館を退出。へとへとになって、18:35、横浜の実家着。

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*2015年05月05日:さすがに休む [;^.^]


 朝から曇天。涼しい。3日連続で展覧会のハシゴをしたので、さすがに今日は静養日である。[;^J^]

 日中は晴れて、暑いほど。ゴロゴロと読書などしていたが、午後から(上の)妹夫妻が来訪して庭木の枝刈りを始めたので、まさかゴロゴロと読書しているわけにもいかず [;^J^]、手伝う。今日は静養日だというのに。[;^.^]

 数日(数週間?)前からだが、夜になると、右耳の鼓膜?が、鼓動に同期してドクンドクンと鳴ることがある。一時的ではあるが..

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*2015年05月06日:若冲と蕪村展


 連休は今日まで。朝から快晴。いくらか涼しい。実家前のバス停から、7:51のバスで発つ。10:00、サントリー美術館。「生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村」である。(本展は5月10日(日)までなので、あなたがこれを読む頃には終わっている。)

 えーと、一昨日の日記では、画像の貼り付けにかなりの疲労を披露したので(← 疲労している [;^.^])、今日は画像検索結果のリンクですませるが、悪く思うな。[;^J^]

 まず、伊藤若冲の作品。(実際の展示構成では、前半:若冲、後半:蕪村、と、分けられているわけではない。)「隠元豆・玉蜀黍図」画像検索結果)は、白と黒の画面構成が美しい。「枯木鷲猿図」画像検索結果)の驚くべき枝振りと、白い羽根の強烈なアクセント。「布袋唐子図」画像検索結果)は、なんとも愛らしく、「松竹梅群鶴図」画像検索結果)の、鶴の姿勢の良さも、印象的である。

 「乗興舟」画像検索結果)は、驚嘆すべき「ネガ」の世界。「白象群獣図」画像検索結果)は、例の升目描きによる傑作。白象の存在感(モダンなデザイン感覚)が、凄い。そして、「象と鯨図屏風」画像検索結果)こそは、海の王者と陸の王者の対峙を大画面に描ききった、壮麗な傑作である。

 与謝蕪村の作品では、まず、愕然とした [;^.^] のが、「「学問は」自画賛」画像検索結果)である。愕然としたのは、絵についてではない。(達意の見事な描線であるが。)「書窗懶眠」と題された「賛」についてである。(「窗」は「窓」の繁体字。)「学問は 尻から抜ける ほたるかな」..恐怖である [;^.^]。せっかく詰め込んだ(モノにした)学問も知識も、懶眠を貪っているあいだに、尻から抜けきってしまうのである..

 ..私も、抜けきっているのである。20代、30代の頃よりもマシになっている面もあるにはあるが、逆に抜けていってしまったものも、数え切れないほどある。酒のせいではない。(そもそもそんなに飲んでいない。)誤解されているような気がするが、ももクロのせいでもない。ももクロの音楽や、バラエティや、ライブ映像や、音楽や、バラエティや、ライブ映像や、音楽や、バラエティや、ライブ映像にかまけている日々を送っているからではない。誰かのせいにはしたくない。でも、自分のせいにはしたくない..

 ..気を取り直して [;_ _][;^J^]。「峨嵋露頂図巻」画像検索結果)の描線も素晴らしい。とにかく蕪村の作品はバラエティ豊かで(文人として、様々な流派の作風を、抵抗無く取り入れ、勉強していったのであろう)、その傾向の全貌をお伝えするスペースも時間もエネルギーも無いので、勘弁してください [;_ _][;^J^]。最後にもうひとつ、「夜色楼台図」画像検索結果)。いいじゃないですか、この、夜の街..

 11:45に退出。今日の午後は、当初は東京藝術大学大学美術館で「ダブル・インパクト 明治ニッポンの美」(5月17日(日)まで)を観る予定だったのだが、名古屋ボストン美術館に(6月6日(土)〜8月30日(日)まで)巡回することがわかったので、先送りすることに決めた。13:03、東京発のひかりで、14:32、浜松着、15:25、帰宅。留守中の録画の始末の地獄が始まる..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]

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*2015年05月07日:更新無理無理 [;_ _]


 今日は木曜日なので、今朝が定期更新日なのだが..もちろん、昨日帰省から戻ってきたばかりなので、今朝の更新は無理無理..というか、正直に言うと、更新放棄。[;^.^]

 21:30、山積している仕事に無理やりひと区切りつけたが、既に手遅れで事業所内には私ひとり。自動的に鍵番である。[;_ _]

 帰宅してからも更新の気力無し。[;_ _]

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*2015年05月08日:今夜も無理 [;_ _]/追憶の山水画


 快晴。鍵番でこそないが、退社したのは22:00近く。今夜も更新は無理である。[;_ _]

 2日連続でこんなネタでは仕方が無いので、搾り出す。[;^.^]

 私は山水画(洋の東西を問わずだが、もちろんメインは日本の山水画)が大好きなのだが..しかし、理想の山水画には、いまだに出会えていない。

 それは(おそらく今となっては)、私の記憶の中だけに(おそらくは美化されて)存在している、あるいは既にこの世にはない、山水画なのである。

 多分、中学生の頃だったと思う。「どこか」で観たのである。実家ではないし、親戚宅でもない。展覧会の類でもないし、画集ででもない。誰かのお宅を(なんらかの理由で)訪問したときに観たのかも知れない。

 山水画の掛け軸だった。山水画といっても、緑滴る風景ではない。どちらかと言えば「荒野」である。ところどころ枯れ木や灌木の群生が点在している荒れ地を、やや高い視点から俯瞰している。人間や人家が描かれていたかどうかは判然としない。全体のイメージは「茶色」であるが、元々そういう色だったのか、歳月で焼けて(色が抜けて)そういう色彩になってしまったのかはわからない。

 作者名もわからない(確認しなかった)のだが..おそらく、古書店や古道具屋で3千円ぐらいで買える代物ではないかと思うのだ。「高く評価される作品ではないな」、と、当時の私の(子どもの)鑑識眼は、判断した。しかし..金銭的(というか市場的)評価と、自分の趣味嗜好とは、別である。忘れられないのである。この、「荒野」の光景が。

 それ以来、何百点、何千点の山水画を観てきたことか、想像もつかないが、「あのときの絵」にはついぞ出逢ったことはないし、「あの絵と似た雰囲気の絵」に出逢ったことすら、ない。常に、何かが多すぎるか少なすぎるのである。

 もはや、細部も憶えていない私は、あの絵を記憶の中で「美化」しているはずだ。だから、けっして見つけられないのである。しかし今なお、探し求めているのである。私に「山水画」の世界を開いてくれた、あの「荒野」を..

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*2015年05月09日:5〜6月の展覧会観覧予定


 曇天。午前中、高丘のアマノ書店、スーパーでクリーニング出し。その後、締め切り遅れの廃墟通信をひたすら執筆 [;_ _]。なんとか更新。[;_ _]

 改めて、5〜6月に片づけるべき展覧会をリストアップしてみた。

*太田記念美術館
 「広重と清親−清親没後100年記念
 〜5月28日(木)まで(後期展示)

*静岡市美術館
 「大原美術館展 名画への旅
 〜5月31日(日)まで

*国立西洋美術館
 「グエルチーノ展 よみがえるバロックの画家
 〜5月31日(日)まで
 「世紀末の幻想――近代フランスのリトグラフとエッチング
 〜5月31日(日)まで

*世田谷美術館
 「速水御舟とその周辺 ―大正期日本画の俊英たち
 前期展示:〜5月31日(日)まで
 後期展示:6月2日(火)〜7月5日(日)まで

*浜松市美術館
 「〜粋な謎解き〜見立て浮世絵の世界
 〜6月5日(金)まで

*駿府博物館
 「生誕一三〇年 特別展「川瀬巴水展-郷愁の日本風景」
 〜6月7日(日)まで(後期展示)

*中野リトルハイ
 「諸星大二郎展
 5月23日(土)〜6月8日(月)まで

*東京都美術館
 「大英博物館展―100のモノが語る世界の歴史
 〜6月28日(日)まで

*竹久夢二美術館/弥生美術館
 「日本の妖美 橘小夢展
 〜6月28日(日)まで

*東京都庭園美術館
 「フランス国立ケ・ブランリ美術館所蔵 マスク展
 〜6月30日(火)まで

*名古屋ボストン美術館
 「ダブル・インパクト 明治ニッポンの美
 6月6日(土)〜8月30日(日)まで

 まぁ、名古屋ボストン美術館はもっと先送りできるが、それにしても多いなぁ..[;^.^]

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*2015年05月10日:しくじったか? [;_ _]


 快晴だがヒッキー [;^.^]。午前中、ナカノサイクルセンターに自転車をTS整備出ししただけで(ついでに杏林堂で買い物はしたが)、ひたすら、GW中にBDレコーダーのHDDに溜まった録画の始末(というか、HDDからの追い出し)。

 暑い。室内ではTシャツ1枚でも暑い..というわけで冷房をかけたところまでは問題なかったが..この状態で居眠りしちゃいかんなぁ..気がついたら(目がさめたら)咽がいがらっぽく、鼻水多め。連続クシャミ。まずい..咳は出ないし、発熱はしていないようだが..今のところは..

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: May 16 2015
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