*2001年05月21日:ヤフオク有料化
*2001年05月22日:再び、相場について
*2001年05月23日:捨て石、または自己犠牲
*2001年05月24日:プラセボ神話崩壊?
*2001年05月25日:アイスクリーム考
*2001年05月26日:土曜大工/スピーカー崩壊
*2001年05月27日:本を読む/原稿を書く/本が増える
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*2001年05月21日:ヤフオク有料化


 ヤフー・オークションの有料化が、来週28日に迫っている。本質的なのは「有料化」ではなく「本人確認」されるようになることであり、これは無論、違法行為排除のためである。既に本家米国のヤフーでは実施されており、恐らく、それなりの効果が認められたから、日本でも実施されるのだろう。「本気の犯罪者(予備軍)」から見れば、抜け道はいくらでもあるのであろうが、「出来心レベルの犯罪者(予備軍)」に対しては、それなりの“障壁”として機能するということか。

 ま、賛否両論なわけだが..私は賛成である。月額280円のオークション参加費は、私にとっては大した負担ではない..という、個人的な理由もあるが、(人によっては、これは看過できない重荷であろう、)現状、何かしらうまくいっていないのであれば、(今回の例では、違法行為や悪戯を排除出来ていない、)システムを変更するなどの工夫(改善)をすべきだからである。無論、それが不可逆的な(容易には取り返しのつかない、やり直しのきかない)大変更であるならば、慎重になるべきであるが..今回程度の(「本人確認&有料化」という)変更ならば、やり直しがきく。うまくいかなければ、また改善すればいいのだ。

 気になるのは、米国ヤフーでは(「本人確認&有料化」によって)出品数が7〜8割も減った、という事実である。この7〜8割の全てが、違法物件(少なくとも、自分の「本人確認」がなされている状態では出品が憚られる物件)だったとは思えない。「本人確認」の手続きが面倒、あるいは、オークション参加費を払いたくない、という理由で出品されなくなった物件が、相当数あるはずである。これは、本来の狙いではない「負の副作用」だ。この分、ヤフー・オークションという「場の魅力」が色褪せたことは、否めない。同じことが、日本のヤフー・オークションでも起こるであろう。

 なんにせよ、「本人確認」開始まで、あと1週間。今のうちだぞ!(..と煽るつもりだったのだが..これを書いているのは5/22だが、ウェブに掲載されるのは5/31ではないか。あなたがこれを読む頃には、「本人確認」はスタートしているのだ。ひとり時間差トリックに自爆してしまった。[;^J^])

 ..とかいってるうちに、聖レイの「こんなに快感」、無事に落札。これで、聖レイコンプリートまで、あますところ、あと1冊(「黒い妖精」)である!

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*2001年05月22日:再び、相場について


 3軒茶屋の2階のマンガ屋のメールマガジンで、オークションに対するスタンスが述べられていたので、紹介しておく。

 まず、この店は、近年多少とも経営が苦しくなっていたのだが、ネットオークションに大きく軸足を置き換えることによって、ひと息ついた(楽になった)、という経緯がある。実際、商品をオークションにかけると、出品者が驚くほどの高値で売れることも珍しくなく、特にこの店のオークションでは、値がつり上がりがちな傾向がある。(懐に余裕のある人たちが集まっているのであろうか。)

 メールマガジンに掲載されていたのは、この現状に対する、とある読者(利用客)からの、


『古本市場を牽引する立場である古書店、しかも全国的にも高名な「3軒茶屋の2階のマンガ屋」さんがこれでよいのでしょうか。現状のままだと、古本の市場価格が混乱を起こしかねません。「お金をいくら積んでも欲しい」というコレクターの気持ちは十分に理解しています。しかし、3軒茶屋の2階のマンガ屋さんには、それを適価で販売してほしいと願っています。高騰した価格が、今後、前例にならないことを祈っています。』

 ..という「異議申し立て」に対する、店主からの回答である。

 彼は、まず、古書店が「古本市場を牽引する立場」にあったのは、数年前までのことだ、と指摘する。言うまでもなく、インターネット・オークションの急激な普及によって、個人が古書店を介せずに売買する割合が激増しているからである。もはや、「3軒茶屋の2階のマンガ屋」や「まんだらけ」といえども、「相場」を「作る」力は無い。

 それはつまり、「市場価格」が「プロ」のコントロールを離れたということである。従来、彼ら専門店が絶対に付けなかったような高価格(または低価格)で、一部の商品が取り引きされていることが、その証拠である。

 しかしながら、この傾向を「古本の市場価格の混乱」と認識してよいものであろうか?

 オークションが無く、古書入手手段が、古書店からの購入にほぼ限られていた時代には、客は古書店の値付けに一方的に従わざるを得ず、その「古書店が判断したところの価格」が「相場」だったわけだが、そもそもこれが「適価」だったのだろうか? 需給バランスを反映していたと言えるのだろうか? 実際、「3軒茶屋の2階のマンガ屋」にせよ「まんだらけ」にせよ、目録掲載品への注文数は、100倍から0倍まで、著しく偏っている。これでは「適価」とは全く言えない。値付けを、全然間違えているではないか。

 もちろん、少なくとも専門店の値付けが、いい加減であるはずがないのだ。長年の「勘」も「ノウハウの蓄積」も、タイムリーな価格指標にはならないのである。つまり、「相場」に「普遍性」などないのである。

 要するに、「オークションの落札価格」こそが、需給バランスを反映した(その瞬間の)「相場」なのだ。古書店が一方的に価格を決めていた時代よりも、現状の方が、遙かに健全である..

 ..以上、「オークションで利益を上げている業者の言い分だ」、という見方も当然出来るが、それなりに説得力のある言説である。

 (無論、バランスの問題だ。3軒茶屋の2階のマンガ屋としても、完全に「オークションシフト」してしまうと、究極的には「自分たちは不要だ」という地点に到達してしまうのである。)

 さらに、次のようにも述べている。専門店がオークションに参入せずに旧態依然の「適価」販売を続けていると、個人オークションの草刈り場になってしまうであろう、と。つまり、稀少本を古書店から「適価」で仕入れ、オークションで転売して「利益」をあげる人が、激増するであろう(..というか、こんな事例は、既に慢性的に発生しているであろう)..確かにこれは、それでメシを食っている「プロ」には、受け入れがたい事態であろう。(本来、最初にその商品を握っていた業者が得てしかるべき利益が、シロウトに流れてしまっているわけだから。)

 以前も書いたと思うが、「卸し」にせよ「小売り」にせよ、「(中間)流通業者」は、「情報」や「エネルギー」の「落差」が存在するところに貼り付いて、その「落差」をコントロールしてメシを食っているわけなのであるが、現在、特に「情報」の「落差」は、ワールドワイドに消滅しつつある。地球の裏側(という言い方自体が死語だが)での入札価格が、万人にリアルタイムに判るのである。彼らマンガ専門店の苦悶と模索・試行錯誤は、非常に興味深い。単なる野次馬根性ではない。彼らが現在抱えている問題は、明日には、我々も抱えることになるからである。

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*2001年05月23日:捨て石、または自己犠牲


 小泉内閣の支持率が、極端に高い。史上最低水準だった前内閣(森内閣)と、好対照である。

 無論、まだほとんど実績は無いのであり、この支持率は「期待点」であるということには、衆目が一致しているが..私に言わせると、この数字は、ほとんど「やけっぱち」なのである。あるいは「舞い上がっている状態」、と言っても良い。舞い上がっているのは、首相でも内閣でも自民党でもなく、国民である。

 みんな、ほとほと飽きていた。うんざりしていたのだ。日本の現在の状況に。そして森首相ほど、「ドツボの日本」の象徴に相応しいキャラクターはいなかった。その反動が、一気に来たのである。

 つまり、「前と違えば/変えれば」、なんでもいいのだ。森政権と違うことをすれば、「全部、通し!」、なのである。それがどちら側に違っていても。

 あまり健全な状況では無いな、と思う。一種の思考停止である。しかし、「変化を求め、変化を良しとしている」と見るならば、それほど不健全ではない。

 なんにせよ、今の小泉政権ならば、かなり思い切ったことができる。「痛みを伴う構造改革」を本当にやる気があるのかどうかは知らないが、これをやると支持率が、まぁ20%は下がるであろう。つまり、森政権には、やろうとしても出来なかったことである。(内閣支持率がマイナス、という、シュールな事態になってしまうから。)今の小泉政権なら、20%引き算しても、まだかなり残る。政権を維持できる。

 それにしても、小泉内閣のこの(史上最高水準の)高支持率をアシストしたのは、もちろん、森内閣の(史上最低水準の)低支持率である。つまり、前政権が、思いっきり下に引っ張ってくれたお陰で、現政権が、ジャンプアップできたのである。

 マクロに見ると、要するに、こういうことになる。自民党執行部は、森政権時代に、既に森政権にはなんの期待もしていなかった。「次」の政権で(構造改革を含む)勝負をかけるつもりだった。そして次期政権に、十分なフリーハンド(高支持率)を与えるためには、現政権の支持率をうんと下げるのが一番だ..

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*2001年05月24日:プラセボ神話崩壊?


 本日付けの朝日新聞より、「「砂糖でも薬と信じさせれば効く」はウソ」という記事を、全文引用する。


欧州の研究者ら 米医学誌に報告

【ワシントン23日=大牟田透】「ただの砂糖でも薬と信じさせて飲ませれば3人に1人は病状が改善する」。長い間、広く信じられてきたプラセボ(偽薬)効果だが、実際には認められなかったと、デンマークのコペンハーゲン大などの研究グループが米医学誌ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン24日号で報告した。
 これまでに発表された114種類の臨床試験データ(患者数計約7500人)を分析した結果で、グループは「新薬の効果を調べる臨床試験を除いて、偽薬の使用を正当化することはできない」と結論づけた。

 ちょっとビックリ。あれは神話だったのか? まことしやかな「実例」を、たくさん、た〜くさん、読んだり聞いたりしてきたが、これらは全て「(都市)伝説」だったっちゅうわけ?(確かに、「面白くて」「判りやすい」お話なので、裏付けの実体が伴わなくても、容易に伝達・(再)生産できる性質の物語であるが。)

 しかし、どうも納得いかないな。記事の情報量も少なすぎるし、判断保留だ。今回の研究は、あらたに「プラセボが効かなかった」という臨床例を採取したのではなく、過去114例のデータを洗い直した結果、「良くみたら効いてないやんけ!」、と判明したものなのであるが..統計的に見ても、それほど(効いているか効いていないか)微妙な水準だったわけ?

 「新薬の効果を調べる臨床試験においては、使用が正当化される」、というのも、いまいち良く判らんなぁ。だって、プラセボ効果は無いんでしょ?..そっか。「効かない筈のプラセボよりも、さらに効かない新薬なんぞ、論外である」(そりゃ確かに論外だ [;^J^])、ということか。

 ま、原著論文(の翻訳)を取り寄せて読もうとまでは思わないけど、もう少し詳しい状況を知りたいところである。これが事実なら、結構、影響でかいと思うんだけど。

 「ハンセン病訴訟、控訴断念」。これでまた、内閣支持率が上がるなぁ。

 「世界幻想作家事典」(荒俣宏、国書刊行会)、読了。これも数年前に購入したまま、積んでいたもの。「事典」なのだから、本来、調べたい項目を引くだけで良いはずなのだが、本書は「通読」されることを想定しているのであった。(例えば、各項目間の、記述量や記述内容の“バランスの悪さ”に、そういう“邪念”[^.^] が顕れている。)例によって、座右の指定席へ。

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*2001年05月25日:アイスクリーム考


 今春、まともな冷凍冷蔵庫を買って以来、アイスクリームを食べる機会が増えている。といっても、量的には、全然たいしたことはなく、カップ1杯(100円)で1週間は保つ。(つまり、1週間かけて、少しずつ食べているのだ。)別にケチケチしているわけではなく、これ以上のペースで食べる必然性が無いのである。

 どういう機会に食べているかというと、「飲んで帰宅した深夜に、喉が渇いているので口直しに」、とか、「飲んだ翌朝、喉が焼けているので口直しに」、とか、「朝または昼から飲んでいる休日の夕方頃に飲み飽きたので口直しに」、とか、随分さまざまなのであるが、どの場合でも、アイスクリームスプーンに2口か3口で十分なのだ。

 実際、どれほど美味しいアイスクリームであっても、カップ1杯分食べようとすると、途中で飽きてしまう。(最初の1杯だけが美味しいビールのようなものだ。)こんな時に、食べかけを保存しておける冷凍庫のありがたさが、身に染みるのである。

 朝日新聞夕刊の見出し。「メール受信料値下げへ」「NTTドコモ 「迷惑」苦情で年内に」..て、あの..iモードを使っていないので知らなかったんですが、iモードって、受信料がかかるの? 送信料じゃなくって?(もしかして、送信料もかかるのか?)それが根本的な(構造的な)問題ではないの? 受信料値下げなんて、なんの意味も無い..

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*2001年05月26日:土曜大工/スピーカー崩壊


 朝いちから、医者(とある軽微な皮膚病)、郵便局、靴屋、クリーニングなどを巡回。昼前から、ちょいとDIY。

 玄関脇に、書籍を詰めたストッパーボックス(典型的な文庫本が17冊入る)を積み上げているのだが、これは床に直置きしているのではなく、そこそこ頑丈なオーディオラックの上に積んでいる。(無論、ラック内にオーディオ機器は置かれていない。書籍と小物だけである。)で、お約束どおり、天板がしなってきた、というわけ。中央部が、両端部より5ミリほど沈んでいる。そこで、中央に支柱を立てたのである。ロクな道具も持っていないわりには、この程度の工作は、われながら良くやっていると思う。仕上がりはともかく。

 作業中、ひとやすみしている時に気が付いたのだが..もう長いこと、部屋の片隅で、音を出すこともなくオブジェと化しているスピーカーの足元に、不審な黒いゴミ。何これ?..視線を30cmほど上げて、驚いた。ウーハーのコーン紙(正確には、コーン紙の外側の円環部分)が、剥離している。指でつついてみたら、ボロボロと崩壊..一瞬、あまりの“廃墟美”に陶然となったが..すぐに正気に立ち帰る。[;^J^]

 ひえぇ、スピーカーって、腐るものだったのか。いやそりゃ、寿命があるのは解っていましたが。購入してから、15年は経っているからなぁ。世間のオーディオマニアの皆様も、やはりこの位の期間(あるいはもっと短いタイムスパン)で、スピーカー(またはスピーカーユニット)を、交換しているのでしょうか? それとも、崩壊したのは、僕のスピーカーだけ? 僕の部屋だから? 廃墟だから? [;^.^] そりゃ確かに、なんの手入れもしていなかったけど、別に湿気とかは普通だと思うし..虫とか?

 なんにせよ、もう使用予定が無かったスピーカーではある。(近年は、ヘッドフォンオンリーなのだ。)折を見て、社内ニュースででもforsaleするなどして、誰かに(無料同然で)譲ろうと思っていたのだが..この状態では、もう駄目だな。ウーハーが腐っていたということは、ツィーターもあやしい。例え無料でも、「スピーカーユニットを交換・整備してから使ってね!」、という条件に応じて引き取ってくれる人がいるとは思えない。(よほどエンクロージャーが素晴らしければ話は別だが..たいしたものではないのである。)決めた、廃棄だ。浜松市の粗大ゴミ受付窓口は..土日は閉まっているか。月曜日に電話だ。

 例によって、夕方から、バスに乗って天狗へ。途中の大きな交差点で、直進するはずなのに右折車線に入り..運転手のすぐ左後方の席で不審な顔をしている私を振り向いて、にっこりひとこと、「あ、間違えた (^_^)」..何事もなかったかのように、直進車線に戻したのだが..をぃ。[;^J^]

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*2001年05月27日:本を読む/原稿を書く/本が増える


 もっぱら読書。P.K.ディックを1冊と、カーを2冊。

 手塚治虫MLの同人誌「ショート・アラベスク VOL.3」の原稿をあげる。(〆切が31日に迫っていたのであった。)結局、軽いエッセイに。肩の力は抜いたが、手を抜いたわけではないので、お間違えなきよう。

 「世界幻想作家事典」を通読しつつピックアップした「課題図書」(多くの場合、新たに知った書名ではなく、読まなきゃならんことはとっくの昔に判っていながら、読む暇も買う暇もなく後回しになっていたものであり、本書における記述から、改めて、これは読んでおかなくちゃならん、と、痛感させられたもの)を、紀伊國屋等に10数冊、発注する。積読バッファは、完全に溢れて決壊しているんだが..365日24時間、いつでもどこでも金が無くても、ガンガン書籍を発注できる、読書家・蒐書家の黄金時代に呪いあれ! [;^.^]

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: May 30 2001 
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