*1999年02月15日:愚か者たちへの忠告
*1999年02月16日:ある不信
*1999年02月17日:チェーン・デスマッチ
*1999年02月18日:皮膚病について
*1999年02月19日:キヤノン対PD
*1999年02月20日:あるいは地獄
*1999年02月21日:遊びそこなう
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*1999年02月15日:愚か者たちへの忠告


 この世で最高の、とまでは言わないが、まずはトップクラスの愉しみと言えば..

 それはもちろん、「他人の不幸」である。(「蜜の味」とはよくいったものだ。)

 「他人の不幸」にもいろいろあるが、“この日記を読んでいる(読める状態にある)読者の日常生活”における最大の不幸(のひとつ)は、まず間違いなく、「データ・クラッシュ」であろう。

 私は、「他人のデータ・クラッシュ」が、嬉しくて嬉しくて仕方がないのである。今年度のメールとログが全て消滅した、などという噂話を聞くたびに、欣喜雀躍。数年間にわたって蓄積してきたデータを全て失い、悲嘆にくれている、などというニュースを聞いた日には、狂喜のあまり悶死しそうになる。

 なぜなら、私はバックアップマニアだからである。

 数年間にわたって築き上げてきたデータを失うことが、いかに恐ろしいことであるかを熟知しており、そういう事態には決して至らないよう、万全の体勢を整えているからである。

 不慮の事故によって、その日一日の作業結果を失ってしまう可能性があることは認めるが、昨日以前の作業結果を失うことは、決してない。毎日バックアップしているからだ。(さらに言えば、重要なデータは全て履歴管理しているので、昨日の作業が間違っていたことが判明すれば、一昨日のデータに、一昨日の作業が間違っていたことが判明すれば、さらにその前日のデータに、確実に戻すことができる。)また、バックアップ・ストレージ自体の破損・盗難に備えて、浜松の自宅・会社と、横浜の実家、あわせて3系統のバックアップ・ローテーションを組み、定期的にストレージを交換している。浜松と横浜が同時に壊滅することは、まず無い、と踏んでいるからだ。

 複数地域へのバックアップはともかくとしても、定期的なバックアップ(別に毎日でなくとも、週に一度でも、月に一度でも構わない)を取る、というのは、当然のたしなみ(というより、自分のデータに対する“礼儀”)である。

 昨今、コンピューター・ウィルスの脅威は声高に叫ばれ、「ウィルスチェックをしないのは、自宅に鍵をかけずに外出するようなものです」、と、わかりやすい言葉で説かれている。それはもちろんそのとおりなのだが、一般人にとっては、現実問題として、ウィルスに遭遇する確率よりも、自分の不注意でデータを失う確率の方が、遙かに高いのではあるまいか。ウィルスの被害よりも「バックアップを怠ることによる被害」の方が、統計的には大きいはずである。

 だから、定期的にウィルススキャンするのも結構だが、それよりも、定期的にバックアップするべきなのである。それをしないのは、家に鍵をかけないどころか、窓もドアも開け放した部屋の机の上に、大切なノートやアルバムを広げたまま、外出してしまうようなものである。そんなことを続けていれば、仮に泥棒は入らなかったとしても、いつか必ず、風にさらわれるか、吹き込んだ雨に台無しにされるか、猫に悪戯されるか..いずれにせよ、自分のノートや写真を大切に思っている人間のやることではない。

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*1999年02月16日:ある不信


 この日記の読者ならば、ラジ館(秋葉原駅前の「ラジオ会館」)をご存じの方は多いであろう。私は、あそこで焼き殺されたことがある。

 確か、学生時分ではなかったか、と思うのだが..午前中、まだ客足も少ない(というより、ほとんど客が入っていなかった)時間帯。2階のエスカレーター付近でうだうだしていたら..

 突然、防火壁が降りてしまった。

 エスカレーターも、止まった。

 私は、動かないエスカレーターと共に、防火壁に閉じこめられてしまった。

 下りエスカレーターは2階どまり。その周囲が防火壁で完封され、エスカレーターを歩いて昇った3階も、エスカレーターのすぐ外側を、防火壁で封じられてしまった。

 問題ない。これは避難訓練なのだ、ということは、すぐに察せられた。(アナウンスは皆無だったが。)

 しかし、外に出られない。防火壁には、もちろんドアがついている。しかし、信じられないことに、「外側から鍵をかけられていた」のだ! 逃げ遅れた客(または店員)の存在が、想定されていないのだ!

 防火壁を叩いても、誰も反応しない。

 数分後、防火壁は上がり、何事もなかったかのように、営業は再開されたが..ご注意あれ。

 あのビルの防災体制は、「客を火で(あるいは有毒ガスで)殺す可能性のある」システムなのである。(こういうシステムは、案外、何年間も(時には十年以上も)改善されないものなのだから。)

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*1999年02月17日:チェーン・デスマッチ


 今年は、浜松的には、雪が降った日があるという異常気象の年なのだが、全国的には、雪が少なかったという意味での異常気象の年ようだ。といっても、この程度の“異常”は例年のことであって(語義矛盾)、夏と冬のけじめが、年々つかなくなってゆく(ような気がする)。

 やはり、記憶に残る大雪の年といえば、(関東地方だけだったのかも知れないが、)1984年だ。大学卒業・就職、という、ある意味では人生で一番舞い上がっている、躁状態の初春であったのだから、いっそう記憶に焼き付けられている、ということは、おおいにあるであろう。(当時は、千葉県柏市に下宿していた。)

 確か、7回降ったと思う。最初のうちは、子どもたちが喜んで雪だるまを作っていたのだが、4〜5回目以降は、雪だるまを作らなくなった。飽きてしまったのだ。(本当の雪国の人たちにとっては噴飯ものだろうが、「雪だるま」を作れるほどの積雪が7回続く、というのは、首都圏では異常事態だったのである。)日陰の道路は、道の中央まで「万年雪」状態になった。

 極めて印象的だったのは、確か一回目か二回目の雪の時だ。

 友人たち3〜4人と、一台に乗り合わせて(近場を)ドライブしているうちに、大雪になった。チェーンの用意は無い。オートバックスへ乗り付ける..

 ..チェーンの備えがなかったのは、我々だけではなかった。[;^J^]

 極めて多数の車が、オートバックス周辺の路上で、チェーンの装着におおわらわになっていた。二車線道路のうち一車線は、完全に占拠されている。ほとんど無法地帯である。[;^J^]

 そしてまた、どいつもこいつも、実にチェーンの巻き方が下手くそなのである。それもそのはず。オートバックス店内の一ヶ所に黒山の人だかりが出来ているので、何事かと思って覗いてみたら..

 ..チェーンの装着方法の講習ビデオを放映している前に、数十人が詰めかけて、真剣な目で観ているのであった。[;^.^] 力道山時代の街頭テレビである。

 人のことは言えない。われわれも、吹雪の中、買ったばかりのチェーンを履かせようと、一時間近くかけて奮闘したにも関わらず、やっとの思いで巻き付けたチェーンは、結局、走っているうちに外れてしまったのである。[;^J^]

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*1999年02月18日:皮膚病について


 タムシといえば、通風と採光に難のある某所にできるものと、相場が決まっている。私は、その部位にタムシを作ったことはない。

 そのかわり、極めて意外な場所に、ゼニタムシを作ったことがある。手首である。

 普通、こんな場所には、作ろうと思っても作れるものではない。朝晩、洗う。陽にあたる。乾いている..

 タムシとは全く無関係な、ちょっとした切り傷をこしらえていたのだ。そのため、バンドエイドを貼っていた。一週間ほど、貼っていた。

 そのバンドエイドの内側に、(なんらかの経路で)菌がついていたらしいのだ。

 適度の体温と湿度。直射日光からの遮蔽。そして長期間にわたって「押しつけられ、固定された」こと。成長するための、絶好のコンディションが整ったのだった。

 バンドエイドを外した私は、そこに不思議なものを見た。傷は問題なく治っていたのだが、その近くに、円環状の盛り上がりがある。周縁部はピンク色に色づいて盛り上がり、円環の内側は、灰色に変色して乾いている..

 そしてこの円環は、日を追って、その直径を徐々に広げ..(以下、ゼニタムシとは知らずに、適当な皮膚病の薬をつけたら、それが完全に逆効果の薬だったらしく、一気に悪化して、慌てて医者に駆け込み..というてんやわんやは、省略しよう。)

 なぜ、こんなことを今頃思い出したのかというと..別に、またゼニタムシを作ったわけではない。手首に、妙なものが出来た(出来ている)からだ。

 最初は、「ぶつぶつ」の集合体であった。面積は、直径1cmほどだったと思う。もとより、少しも痒くはなく、しばらくのあいだ、それの存在に気がつかなかったほどである。それはほどなく「治癒」した。いまだに完全に平らには戻っていないが、水膨れや虫さされが治ったあとに、しばらくの間残るような、少し褐色に変色した、固く乾いた、ごく背の低い小さな「ぶつぶつ」の集合体が残った。あわせて直径1cm。

 そして、しばらくたってから気がついた。その、「治癒した跡が、広がっている」..

 こういう(穏やかな症状の)皮膚病なのかも知れない。恐らくそうなのだろう。しかし素人目には、これはどうみても、「治った跡」なのである。「病変という過程を経ずに、いきなり治っている」。しかも、それが「徐々に広がっている」..

 かすかな不安を感じる。しかし少なくとも今月中は、病院に行く暇はない。また、医者に相手にされないような気がするのだ。「とっくに治っているじゃないですか」、と。今では、直径2cmほどあるのだが..

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*1999年02月19日:キヤノン対PD


 キヤノンから電話。IX−4025(スキャナー)の修理についてだが、案の定、症状が出ないという。(何かを修理に出す際に、誰もが覚悟する事態ではある。)

 もっとも、私の手元で症状(黒地で目立つ、かすかな横縞)が出た時と、キヤノンのテクニカルセンターでの試験とで、条件は多少違う。まず、ソフトが違う。次に、TFT液晶ではなく、CRTとプリントアウトでチェックしている。

 しかしなによりけしからんのは、せっかく私が送った、証拠の画像データを収めたPDが、「(八方手を尽くしたが、機材が入手できず)再生できない」、と、恐縮されたことである。こらっ![;^O^]

 まぁ、マイナーなメディアで送った私も、悪かった。(これほどマイナーだとは、思わなかったが。)キヤノンのテクニカルセンターで(そこの環境で)スキャンした結果のプリントアウトを送ってもらって、評価することにした。

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*1999年02月20日:あるいは地獄


 それにしても、(ローカルな地名を出して申し訳ないが)自衛隊浜松北基地西側の周辺道路の整備工事は、遅々として遅々として遅々として遅々として進まない。

 浜松でいったん道路工事が始まったが最後、それがいつ終わるか、なんびとたりとも予測し得ないのだが、(看板に書かれている工事終了予定日は、その日が過ぎてしばらくしてから、書き直されるのである。それも、何度も何度も何度も何度も、)それにしても、終わらない。

 終わらない、というより、ほとんど工事をしていないのである。進まない(終わらない)のは、当たり前である。

 腹が立つのは、パワーショベルその他の機材を、(仕事をしていない工事現場に)ずーーーっと置きっぱなしにしていることである。もちろん、普通は全国どこの工事現場でも、こういう機材を朝晩運んで往復するわけではなく、工事が始まったときに(または必要になった時点で)現場に送り込み、工事が終わってから(あるいは用がすんだ時点で)持ち帰るのだが、その期間の間は、できるだけテキパキと工事を進めるものである。当たり前だ。買い取り資産にせよリース(レンタル)にせよ、高い金がかかっているのだから、使わずに遊ばせておくことは出来ない。子どもでもわかる。

 しかし浜松では、遊ばせるのである。高い機材を現場に放置して。

 よその現場の仕事が忙しいので、この現場まで手が回らない、というのなら、わかる。まぁ、この景気であるから、もとよりそんなこともあるわけはなく、単純に仕事がない、というのが真相なのであろうし、そう考えると思わず同情したくもなるが、だまされてはいけない。

 浜松の土建屋は、1980年代のバブル最盛期の頃から、ずーーーっと、こんな仕事ぶりだったのだから。

 たまに(珍しくも)仕事をしているのを見かけることもある。パワーショベルで、ちょこちょこと土石を運んだり、下水溝を埋めたり、物を運んだり、掃除をしたりしている。

 しかし、その仕事ぶりは、誰がどうみても、「道路工事」なんてものではなく、「道路いじり」である。そうとしか呼びようがない。

 まるで、箱庭や盆栽の手入れをしているかのごとくなのである。

 それにしても..たとえ僅かでも「触っていれば」、いくらなんでも、少しは進捗しそうなものだが..全く変化が見られないというのは..もしかすると、半分の時間は、「壊し戻している」のではあるまいか。

 彼ら一般作業員は、無意味に穴を掘っては埋め戻す、という、あの最悪の拷問に匹敵する苦行を、強いられているのではあるまいか..

 だとすれば、知らぬこととはいえ、彼ら一般作業員に、(仕事を先に進めろ、などと)酷なことを言ってしまったものである。[_ _]

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*1999年02月21日:遊びそこなう


 ニフのFCLAで、「レコ芸(レコード芸術誌)」が、正規の発売日前に買えなかった、と、怒っている人がいる。

 これまでは、渋谷のタワーレコードで、前日(または数日前)に売られていたのに、出版社(または取り次ぎ)のお達しにより、フライング販売が自粛された由。

 ま、どうでもいいことである。

 私も、学生時代には、アスキー誌を発売日前に買うために、わざわざ電車で一時間かけて、秋葉原まで出かけたものだったが..全く何の意味もない(少なくとも、電車賃には絶対見合わない)愚劣な行為である、と、はっきりと自覚していた。

 しかし、この件に関するコメントチェーンを読んでいて、「何の意味もない」わけではないことに、気がついた。CDやLPやチケット等、なんでもいいが、限定発売などで「早い者勝ち」になる物件の場合、一日でも早く情報を入手すれば、それだけ有利になるのである。そうか。この歳になるまで、そんなことには気がつかなかった。[;^J^] 迂闊だったな〜。(その手の買い物(というか情報)を、雑誌に求めていなかったからであるが。)

 なんにせよ、出版社(または取り次ぎ)が、ルールどおりの発売日程を、書店やCD屋に要求するのは、当然のことである。

 しかしわからんのは、上記の怒っている人である。「日本人の横並び意識」だの「消費者の視点の欠如」だの、猿でも貼り付けられる空疎で型どおりな文字列を並べるだけで、この「ルールどおりの発売日の遵守」によって、自分がどんな被害を受けたか、説明できないのである。逆に、上述した「人より早く情報を得ることによる利益」など得たことは無い、と言っている。

 「僕が“得”できなくなったじゃないか。タワー・レコード(などの早売り店)で買えないので“得”できないので不公平だ、と不平をもらす連中は、東京に引っ越しゃいいんだ!」、という主張なら、筋はとおっているんだけどねぇ。

 ほとんど罠かと思えるほどに、支離滅裂で論理の穴だらけの、美味しい書き込みである。こんなに忙しくなければ、玩具にして遊んであげられるのに..残念。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Feb 24 1999 
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