*1998年08月17日:「ウルトラセブン」桑田次郎版
*1998年08月18日:MSXの名機の想い出
*1998年08月19日:4ドア車を使いこなせない
*1998年08月20日:黄色いブロックについて
*1998年08月21日:場所柄をわきまえぬ男
*1998年08月22日:本を読み終えるのに時間がかかる理由
*1998年08月23日:堕落する
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*1998年08月17日:「ウルトラセブン」桑田次郎版


 書店で「ウルトラセブン 全2巻」(桑田次郎、スターコミックス、大都社)を発見、即購入。これはサンコミックス版が絶版になって以来、長らく古書価格が跳ね上がっていて、買うに買えなかった、幻の名作なのである。これが復刻されるとは、良い時代になったものだ。

 桑田次郎のクールでシャープな描線は、セブンの世界とジャストマッチ。頼りになるんだかならないんだか色気があるんだか無いんだか良く判らないアンヌ隊員も、期せずして?うまく表現出来ていると思う。(桑田次郎に限らず、この世代の男性マンガ家は、女性の衣装の描き分けがほとんど出来ないのだが、「ウルトラセブン」のシチュエーションでは、なんの問題も無い。[^J^])

 しかし(やはり打ち切られたのだろうか?)本来の最終回である「史上最大の侵略」にまで到達せず、団地総入れ替えのエピソード(「あなたはだあれ?」)で連載終了。この「最終回」では、ダン=セブンの正体を知るのはフルハシ隊員であり、彼が地球を離れて帰っていったことが、最後のコマでフキダシだけで説明されるのだが、実に、実に、物足りない。この傑作マンガの唯一の欠点である。(しかし、この(色気があるんだか無いんだか良く判らない)アンヌ隊員では、あの、全ウルトラシリーズ史上屈指の名場面を、演じきれなかったかも知れない。)

 概して、原作に極めて忠実にコミカライズされているのだが、なかでも印象深いのが、エレキングが活躍する「湖の秘密」。この名怪獣の造型は、キングギドラに匹敵する「怪獣美」の極致だと思うのだが、この話題に深入りすると終わらないので、ここで置いといて。

 驚くのは、原作とは異なり、エレキングが「空を飛ぶ」ことである! 原作よりはスマートなエレキングが、ウルトラホークを追跡するシーンの浮遊感。これを見るためだけでも、この単行本を買う価値はある。

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*1998年08月18日:MSXの名機の想い出


 かつて、MSXという、8ビットパソコンの共通規格があったことは、ご存知だろうか? 随分多くのメーカーが参入したが、最終的には2大家電メーカー、松下とソニー以外は全て脱落。この両社も、さすがに撤退したはずだ。

 しかし、MSXパソコンの中には、極めて個性的な製品もあった。例えば、私が確か86〜7年頃に購入し、90年に手放した、パイオニアのPX−7が、それだ。

 これはLDインターフェースを持ち、当時のパイオニアのLDプレーヤーのI/Oポート(CLD−9000、CLD−7等に装備されていた)と接続すると、LDゲームが出来たのである。パソコン開発のインフラを持たない家電メーカーに、枠組みとなる基本設計を提供し、各メーカーは、自社の得意な技術をそれに付加して他社と差別化し、市場で競争・棲み分けをする、という、MSXの思想(理想)を、もっとも見事に体現した例だと思う。というより、この個性化路線で成功したのは、パイオニアの他は、音楽用コンピューターに特化していったヤマハ位のものではなかったか。

 PX−7は、このように、極めて優れた特徴を持ったパソコンだった。問題があったとすれば..LDゲームソフトが、ほとんど供給されなかったこと位である。[;^.^]

 シューティング系のゲームでは、アーケードゲームを真似したようなものが数点あり、これを1枚購入してみたが、まぁなんというか。あちこちの惑星上(らしき場所)で、敵の円盤群を撃墜するというだけのシンプルなストーリーだが、ゲームの本体をなす敵の円盤と自機のグラフィックは、もちろん、MSXの(粗い)キャラクタ・グラフィック。背景に流れる画像が、LDによる「美しい」ものなのだが、これが、高校の映研でも、もう少しまともな特撮が出来るぞ、と言いたくなる、情けない水準のもの。技術や予算が足りないのには目をつぶるとしても、アイデアがいきなり枯渇しているようでは、話にならない。

 ミステリ・アドベンチャー・ゲームも、数点出ていたようだが、このジャンルには興味が無かったので、内容は判らない。

 唯一、これは本当に素晴らしい! と思えたソフトがある。それは、アスキーの「STAR FIGHTERS」である。

 ゲームストーリーは、ある惑星でセンターコンピューターが叛乱を起こしたので、それを破壊しにゆく、というものだが、背景のCGといい、音楽といい、実に気合いが入っていた。特に優れていると思えたのは、「どうしても2時間かかる」点で、前半1時間は、さほど面白くないシミュレーションゲームにつき合わされる。で、いい加減フラストレーションが溜ってきた時点で、ようやく前半をクリアでき、後半の目も覚めるようなシューティングゲームに突入する。この呼吸が絶妙で、まさに映画の感覚。LDから次のシーンのプログラムをロードしている間の(時間かせぎの)デモもかっこよく、さすがにアスキーには、SFがわかっているスタッフがいる、と感心したものである。

 実写を加工した特撮などは一切使われておらず、全て(確か、VAX−11シリーズではなかったかと思う)ミニコンによるCGで統一されていた。これは、当時のパソコンゲームのグラフィックからは、完全に隔絶した水準のものであり、雰囲気たっぷりのBGMとの相乗効果で、まさに「インタラクティブ・ムービーがやってきた!」と、驚嘆したものであった。

 しかし、時代の流れは速い。それから僅か1〜2年後にシャープのX68000を見て、かつてはラボラトリでミニコンで作成し、それをLDに焼きこんで再生するしかなかったCGが、直接パソコンでリアルタイムに処理され動いていることに、驚かざるを得なかった。現在の水準については、言うだけ野暮であろう。

 それにしても、昔は、コンピューターに夢があった。年寄りの繰り言と笑われるだろうが、これだけは譲るわけにはいかない。草創期のPCは、能力が低かったが故に、なんとかして客の気を惹かなくてはならず、また、各社各様の工夫を入れる余地が、いくらでもあったのだ。そのひとつの現われが、「デモソフト」だ。こんにちのWin機やMacに、どんなデモソフトがあるというのか。他社と差別化するデモソフトを提供できない、ということは、他社と同じことしか出来ない、ということだ。(事実、そうなのだが。)あとは、速いか廉いか軽いか、見てくれがいいか。

 「夢がある」と言えば、iMACだが、申し訳ないが、私は全く夢を感じない。別に私がMacユーザーでは無いから、ではない。あれは、今までと同じことしか出来ない。フロッピーとシリアルを棄ててUSBとネットワークに完全依存するのは、それはあるいは将来のパソコンのあるべき姿かも知れないが、今の時点で評価すれば、少しも便利では無い。「夢」の実現ではなく、コストダウンに過ぎないだろう。

 とすると、あとはデザインしか残らない。これは好みの問題だが..「ロビー」や「キカイダー」を彷彿とさせるデザインだから、未来っぽい、というのは、甘くはないか。

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*1998年08月19日:4ドア車を使いこなせない


 私は、免許を取ってから、ずっと2ドア車(3ドアというのか?)を運転してきた。そのため、4ドアセダンの社有車に乗るときに、ちょっとした勘違いをすることがある。

 1.後部座席に荷物を置くため、運転席のシートを前に倒して、前部ドアから運び込む。

 2.後部座席に座るために、運転席のシートを前に倒して、前部ドアから乗り込む。

 1.はともかく、2.は、他人に見られたくない姿である。

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*1998年08月20日:黄色いブロックについて


 歩道上の、視覚障害者用の黄色いブロック。日本全国、どこに行ってもあるはずだが、これが「視覚障害者用」だと知らない人がいるらしい。「呆れるよねぇ」、と、後輩社員に話したら、「えっ視覚障害者用なんですか?」、と来た。何をかいわんや。黄色いブロックの「曲がり角」や「分岐点」で、でこぼこのパターンが変わっていることにも気が付いていなかったのかね? これでは、黄色いブロック上に、自転車が停められたり、荷物が置かれたりするのも、不思議ではないな。

 青竹足踏み法よろしく、健康のために地面にでこぼこを設けているとでも思っているのだろうか? いや、恐らく、「黄色い線の後ろに下がって下さい!」という、駅のアナウンスのせいだろう。毎日これを聞かされていれば、「黄色い線」の用途を誤解するのも当然である。さらに言えば、「黄色い線」を「危険地帯との境界ライン」である、とする、この構内放送は、視覚障害者に「危険地帯との境界ライン」を歩ませることを想定していることにもなる。(実際には、多くの(その場所を歩きなれている)視覚障害者は、黄色い線などに頼らず、安全地帯を歩いているのだが。)

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*1998年08月21日:場所柄をわきまえぬ男


 焼鳥屋で、部署内の宴会。この店に来るのは数年ぶりだが、やはり焼鳥屋は客層が違う。首筋が赤い。黒々と日焼けした額に、深く皺が刻み込まれている。健康的な肉体労働者たちの店である。

 つぼ八、つばさや、映里砂等の比較的廉価な居酒屋系の店では、若いグループが多い。特に、何故か女性だけのグループが多い。その他の洋風居酒屋やイタリアンパブでは、もう少し年齢層が上がる。客の衣装のグレードも上がる。駅前のビヤホール群は、さすがにスーツ姿のサラリーマンが多い。アーシェント・タイムズ、銀座ライオン、バドワイザー・カーニバル..

 どの店にいっても同じような風体で、本を読んでいるか、さもなくばリブで書き物をしている私などは、さしづめ、亜愛一郎三部作(泡坂妻夫)の、どこにでも登場する三角形の頭の老婆のようなものであろうか。

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*1998年08月22日:本を読み終えるのに時間がかかる理由


 返し忘れていた本を、図書館に返却。(延滞1週間。)その足でヤマハに行き、「ミサ・ソレムニス」(ベートーヴェン)のスコアを購入。先日LDボックスを買った時に山ほど溜まったスタンプカードだけで足りた。T外科医院に回って薬をもらい、開店前のT八に寄って、数日前に置き忘れたファイルを受け取ってから、帰宅。

 まだ昼過ぎ。積読の山を少しは崩そうと試みるも、あまりの量に呆然としてしまい、手が付けられない。[;^.^] 私には、1冊読み終える前に次の本を読み始めてしまう癖があり、そのせいで、読み終え切れずにハングアップしたままの本が、数十冊はある。1年2年は当たり前。中には、13年ほども読みかけの栞が挟まれたまま、床の上に置かれている本もある。無論、埃の層の下に、である。どうしたものか..

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*1998年08月23日:堕落する


 積まれているのは本だけではない。CDやLDもだ。(数えるのが嫌だから数えないが、LDの積読(積視聴)は、50枚よりは100枚に近いはず。)そこで、久しぶりにスピーカーでCDを再生したら..なんと音が惚け惚け。というか、スカスカにかすれている。到底聴けたものではない。

 問題を切り分けないと。アンプかスピーカーかケーブルか。それともCDプレーヤーか、あるいは接点の接触不良か。ヘッドフォンでモニターしながら、システムを順次縮小していくと、CDプレーヤーから直接ヘッドフォンで聴くぶんには問題ないことが、判った。

 これで当面の問題は解決してしまったので、そのままCDを聴き続ける。問題は、アンプだかケーブルだかスピーカーだかを、いつ修理するかだ。これらのものを壁際のオーディオラックから引っ張り出すことなど到底考えられない、部屋(厳密には床)の状況なのである。

 こうなってみると、小さい再生系(オールインワンのポータブルミニコンポ、あるいは、ポータブルのDAT/MD/DVDプレーヤーと、高品質ヘッドフォンの組み合わせ)のありがたさが身に染みる。(超小型CDプレイヤー第一号機であるD−50とヘッドフォンの組み合わせだけで、音楽を楽しんでいた時期もあった。)会社に入って暫くしてから、ある先輩社員に、「俺らも学生の頃は、オーディオに凝って大層なシステムを買ったり自作したりしていたもんだが、今はもうミニコンポよ。結局、何もかも面倒になってなぁ」などと聞かされ、内心、「堕落しましたね、先輩」、と、失礼な [;^J^] 感想を抱いていたものだが、今となっては、その気持ち、よっく判る。少しでもいい音で聴きたい、という気持ちは、今でも変わらないが、それよりも、システムを小型化・簡素化して、生活空間を広げることの方が優先するのだ。(そうして稼ぎ出した空間に書籍を充填するのだが、この件に突っ込むことを禁ずる。[;^.^])

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Aug 27 1998 
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