「前奏曲」をめぐる幻想



1.音楽

 リストの代表作のひとつである「交響詩 前奏曲」は、「ラマルティーヌによる、フランツ・リスト」という署名入りの序文付きであり、これはラマルティーヌの「瞑想録」から採られたものである。元々はこの序文の内容を音楽化したものではなく、別の機会に作曲された音楽に適する標題を、あとから探して付けたのである。その後、音楽にも手が加えられて、1854年に発表された。

 その序文の大意は、「人生は死によって開かれる未知の歌への一連の前奏曲である。あらゆる存在は愛により誕生するが、嵐によって喜びが中断されない運命はなく、人は田園生活の静けさの中でその想い出を忘れようと努めるが、ひとたび戦いのラッパが鳴れば、必ず戦場に帰るものなのだ」、という物である。

 だから、この作品のタイトルは複数形(Les Preludes)なのである。何か特定の物への特定の前奏曲なのではなく、無数の人生、無数の生命を指しているのである。

 序文の“ストーリー”は4部に分けられるが、これが与えられた音楽作品の構成は、驚くほど「ウィリアム・テル序曲」に似ている。しかしこれはこの曲の独創性の本質ではない。「前奏曲」の特異性は、徹底した主題変容の可能性の追求であり、それは、冒頭の空虚5度の響きから膨大な量のライトモティーフを生成した、ヴァーグナーの「リング」にも匹敵するものなのである。

 冒頭の主題は、以下に示す極めてシンプルな音型に始まるものである。

(強拍を●、弱拍を○で示す。階名の上の矢印は、その音符が、前の音符より高いか低いかを示す。)

            ↓ ↑
      ドーーーーーシーミーーー
  ●   ○   ○   ○

 これが、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第16番 op135 の第4楽章の、「Es muss sein?(そうでなければならぬか?)」の音型と酷似していることは良く知られている。偶然の一致かも知れないが、「疑念の動機」として借用したと考える方が面白かろう。また、フランクの交響曲ニ短調でも、同じ音型が(やはり「疑念」を読み取りうるシチュエーションで)用いられている。

 「前奏曲」は、この音型の変容のみから成立していると言っても過言ではない。低弦が基本音型から呟き始める導入部は、「死」と「誕生」を同時に想起させる物である。基本音型を奏する管を交えつつ大きく盛り上がって、トロンボーンと低弦の、基本音型による壮麗なファンファーレとなる。これが静まったのち、弦に、流れる様な主題Aが現われるが、これは勿論基本音型から派生したものであり、やはり管が基本音型で合いの手を入れてくる。やがてホルンに現われる牧歌的な主題Bも、基本音型の変形である。こののち、ホルンに主題Aが現われ、フルートがこれにエコーを返すうちに不穏なムードとなって、第1部が終わり、アタッカで第2部に移る。

 第2部は嵐の音楽である。チェロに現われる、嵐の接近を告げる不吉な音型も、基本音型から生成したものであり、続く嵐の音楽の本編も、基本音型そのものである。吹き荒れる嵐の頂点で現われる、嵐に立ち向かうかのごとき金管の勇壮な主題も、基本音型の変形である。やがて嵐は去り、木管と弦が主題Aをゆったりと繰り返すうちに、音楽は静まってゆく。

 第3部は田園の音楽。最初に、歯切れの良い鄙びた動機が、木管の間で取り交わされる。これは全曲中唯一、基本音型と直接の因果関係の認められない旋律である。しかしただちに主題Bが現われる。これが4回繰り返されるうちに、どんどんクレッシェンドして行き、高潮し切ったところで、アタッカで第4部に突入する。

 主題Aによるファンファーレが高らかに奏されると、トロンボーンが、第1部に現れた、基本音型によるファンファーレ音型で答える。主題Bの変形による経過主題に乗って、音楽は切迫してゆく。そして、主題Bの変形による、堂々たるマーチとなる。マーチの後半には、主題Aが現われる。再び経過主題。ついには、第1部に現れた、基本音型によるトロンボーンのファンファーレが、全曲を壮麗に締めくくる。

 以上に見られる、基本音型の多彩な発展、それから引き出された音楽事象の多様性は、まったく驚くべきものである。付点四分音符のリズムと、半音下降→4度上昇という動きに秘められた強靭なバネから、これだけの可能性を引き出して見せたのである。基本的な主題(動機)を変容させていくことが、こののちの時代の音楽を支える重要な方法論のひとつとなるのだが、19世紀半ばにして、その可能性を極限まで引き出して見せたものと言ってよい。

 文学的内容との結び付きも、極めて優れたものである。これは、基本的には人生の諸相を描いたものであるが、それが「死への前奏曲」という視点で捉えられていることを忘れてはならない。冒頭の「死」とも「誕生」ともつかぬ音楽は、そういう意味なのだ。これは、死者が生を追憶している音楽、リインカネーションの音楽、そして個々の生と死を超越した、死と生が明滅し、死が生を襲い、生が死から現われ出る人類という「種」の有り様、あるいは人類を越えて全ての「生命」の様相を描いた音楽、そのいずれでも有り得るし、おそらくは同時に全てなのである。



2.生物学

 ここで、粘菌のことを語らねばならない。粘菌とは、植物界、動物界のいずれにも分類しきれない、破天荒な生物である。宇宙から飛来した生命体の一族であるという説が唱えられたことすらあるのだ。

 植物学者は、変形菌類(Myxomycetes)(植物界、菌類門の1網)に分類し、動物学者は、真動菌目(Eumycetozoida)(動物界、有毛根足虫亜門、肉質上網、根足虫網、動菌亜網の1目)に分類する。動菌類(Mycetozoa)という呼び方もある。「Myceto」とは菌類の意味で、「zoa」が動物を表わす。即ち、「動物菌」である。この呼称が、この種族の特性を最も良く表わしている様に思われる。粘菌という呼称は「Myxomycetes(粘る菌)」の訳であり、日本語としてはこれで定着している。

 名称からだけでも、動く、変形する、という、植物らしからぬ(とは言え、動き、変形する植物も、多々あることはあるが、)特性が見受けられるだろう。実際、粘菌は、そのライフサイクルにおいて、植物期と動物期を往復するのである。この様な生物は、粘菌以外には知られていない。

 ライフサイクルは、おおむね以下の様なものである。まず、胞子が発芽して(明らかに植物である)鞭毛を持つ遊走細胞、または、水の存在下では鞭毛を発達させる無鞭毛の粘液アメーバを生じる。粘液アメーバは有糸分裂し、多数の細胞を生じる。最後に適当な細胞(種によって粘液アメーバまたは遊走細胞)が一対くっつき、接合子を形成する。多くの種は雌雄異体で、接合は相手の細胞との間で生じる。次に核融合が起る。接合体の発育は核分裂によって完成し、変形体を形成する。

 変形体期の粘菌は、まぎれもなく動物である。種によっては直径30cm以上に達する変形体は、変形しつつ移動し、付近の微小生物を捕食するのである。また、変形体の外観は、痰のごときものであって、これが「粘菌」という呼称の元となっている。変形体はやがて1つあるいは多くの子実体に変わる。これは明らかに植物であり、また実に色鮮やかな物である。(故に、子実体が発生するのを見て「粘菌が生えた」と呼ぶことが多く、それは自然な感覚であろう。しかしこの時、動物としての粘菌は既に死んでいるのである。一方、ほとんど死骸としか見えない「痰状」の変形体は、実は動物として最も活発な時期である。)1個の変形体が数百の胞子嚢になることがあり、そのそれぞれに多数の胞子が含まれる。やがてそれは植物として発芽し、ライフサイクルを閉じる。

 粘菌が生物学の舞台に登場してきたのは、顕微鏡が大いに発展した、1830年代初頭のことである。無論ずっと以前から、粘菌という奇妙な生命体の存在は認識されていたのだが、それが本格的に研究され、その結果、生物学あるいは生命学を、いまだに混乱させている混沌に導いたのが、この時期なのである。

 これは象徴的な事件であった。この時期までの生物学は、主として顕花植物を対象とした、スタティックな分類学を柱としていた。それは明晰な、古典的な美学の世界だったと言っても良い。しかし、この19世紀の初頭、顕微鏡と解剖学の発達により、生物学のメインストリームは、(広義では粘菌を含む)隠花植物と動物に移ったのだった。光合成を行う顕花植物は「生」そのものである。それに対して、収奪者である動物は、「死」そのものなのだ。「動物」とは、死を前提とした生命形態なのである。殺戮を行わない限り、ただの一瞬も生き続けることは出来ないのである。

 ある時は植物であり、ある時は動物である粘菌は、古典的な生物学=植物学の世界に、屍臭をもたらしたのだ。殺戮を行う変形体は古典生物学の息の根を止め、近代生物学の誕生に立ち会った。生命の表層に現れた事象を分析し分類するのみで充足していた時代は(事実、顕花植物の時代は、それで十分だったのだが)過ぎ去り、肉体の奥深くに秘められている「生命の秘密」を、解剖学、生命学の手法を駆使して探りだす時代が到来したのだ。そこには死の陰が色濃く漂っているだろう。

 古典生物学から近代生物学への橋渡しとなった粘菌は、同時に、「死とは何か、生とは何か?」という疑問をももたらしたのだ。一体、粘菌は、いつ生きているのか? いつ死んでいるのか? そもそも人間が考える意味で、生きているのか? 死んでいるのか? 生とか死とかを超越した、全然別の生命形態を営んでいるのではないか?



3.前奏曲

 もはや事態は明らかであろう。表層的な形態学で把握し切れた植物的な古典生物学の時代とは、古典派音楽の時代に他ならない。死と無限を希求し、己の本質を皮膚の内深くに隠し、古典派の均整を惜しみなく破壊した動物的な近代生物学こそ、ロマン派音楽なのだ。粘菌が再発見された1830年代初頭には、ロマン派音楽の時代の到来を高らかに宣告した凶々しき大彗星、「幻想交響曲」が出現しているのである!

 粘菌の再発見と時を同じくして、「死」と「血」と「無限」に飢えたロマン派音楽の時代が始まった。それの到来を告げたのは「幻想交響曲」であるし、究極の到達点を示したのは、あるいは「トリスタンとイゾルデ」であろう。しかし、その粘菌的性格、「生」と「死」の相対化、「生」の意味と「死」の意味の問い直しをその本質とし、かつ、「変形菌」たる粘菌の性格そのままに、自在な主題変容をその本質としている作品こそ、フランツ・リストの「交響詩 前奏曲」なのである。

 さらに、この複数形の標題を単数形に読み替えれば、生命学を混沌に陥れた粘菌が、近代生命学の前奏曲となったがごとく、その後の音楽史を混沌に陥れ、その混沌から近/現代の音楽のダイナミズムを産みださしめた前奏曲となった作品こそ、「交響詩 前奏曲」なのであった。


*解説


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Last Updated: Oct 6 1996 
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