ハインライン「地球の緑の丘」(1947)


 「これは、宇宙航路の盲目の歌い手、リースリングの物語である」という一行に始まる、この(実にノーブルな)名編について語るべき言葉は、水鏡子による意を尽くした簡潔な名解説を引用すると、ほとんど無くなってしまう。


 作品内容といういちばんかんじんかなめな部分をひとまずワキに置いておいて、なおかつ傑作としての風格を備えてしまうへんな話が、ひとつのジャンルが成立し、歴史と伝統とを積み重ねていくうちにかならずいくつか生まれてくる。来歴であるとか肩書きであるとか、極端な場合、著者の名前と題名だけで頭がくらくらして感動を生んでしまう作品がある。
「地球の緑の丘」はそういう作品のひとつである。…

 「地球の緑の丘」とは、リースリングの残した最後の詩である。この短篇は、リースリングの生涯を簡潔に述べ、そのおりおりに残した作品を引用し、それに注解を加えていく、という形を取っている。言わば、リースリングの詩集(あるいは、「太陽系文学全集 第N巻 リースリング集」)の解説のようなものである。ことさらにその形式を摸しているわけではないが、この(必然的に冷静で淡白な)叙述スタイルは、目覚ましい効果をあげている。

 リースリングの生涯は、むしろ平凡なものである。放浪の宇宙船機関士であり、(その美化された伝説とは裏腹に)あまり清潔ではない、下卑た男で、しかしある事故で視力を失ってしまってからは、現実の世界の醜さを見ることがなくなってしまったが故に、その作品世界は純化され、例えば公害に汚れ、朽ち果ててゆく火星の運河と遺跡を前にして、(彼がまだ視力を失っていなかった、ありし日の)壮麗な美しさの追憶を歌い上げ、人々を感動させるのだった。

 「地球の緑の丘」とは、リースリングの残した最後の詩である。彼はとある宇宙船の機関室に(例によって居候として)乗り込み、そこで事故に会い、致死量の放射線を全身に浴びながらも(昔取った杵柄で)単身、動力炉を操作して、宇宙船を危難から救った、その作業中に録音機に向けて歌い続けたものなのだ。

 そしてその(生きて目的地には辿りつけなかった)旅こそ、リースリングの、数十年ぶりの地球への帰郷の旅だったのである..


(文中、引用は本書より)


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MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Apr 3 1996 
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