雅楽(の楽器や編成)を現代音楽の枠組みにはめ込む時、そもそも現代音楽は西洋起源のものであるからとして、西洋音楽のフレーズを演奏させる方法論がある。これは最近、あまりはやらないように思える。一方、これと一見似ているが全然異なるベクトルとして、その楽器やアンサンブルの伝統的な機能を解体して、本来想定もされていなかったような音響を発生させる方法論がある。これはアンサンブルよりもソロで試みられることが多いようだ。この(20世紀も終ろうかという今頃になって、いまさらダダイスティックな)方法論は、まことに印象的な作品を生み出すこともあるが、まぁ、ひと通りやるべきことは終えた手法であろう。これらに対して、(洋の東西を問わず)楽器(アンサンブル)は、それが本来想定されていた機能(フレーズ)の範囲内で用いられてこそ、最大限の性能を発揮するという考え方からか、雅楽音響体には伝統的な雅楽音響を発せしめ、西洋(あるいは他の地域)の音響が必要になれば、その地方の楽器や音響体を組合わせる、というのが、最も現代的な方法論であろうか。第3回で取り上げた「輝夜姫(かぐやひめ)」(石井眞木)は、この方法論で目覚ましい効果をあげた好例である。
武満徹が、73年から79年にかけて作曲した「雅楽 秋庭歌 一具」は、しかし、上記のいずれにも当てはまらない作品である。伝統的な雅楽音響からはさほど足を踏み出さず、しかし確かにしっかりとアジア的な響きを取り入れ..こだわりが無いのだ。実に伸びやかで清々しいサウンド。
1.参音声 (マイリ オン ジョウ) STROPHE 2.吹渡 (フキ ワタシ) ECHO I 3.塩梅 (エン バイ) MELISMA 4.秋庭歌 (シュウ テイ ガ) IN AN AUTUMN GARDEN 5.吹渡二段 (フキ ワタシ ニ ダン) ECHO II 6.退出音声 (マカ デ オン ジョウ) ANTISTROPHE
各楽章に与えられた、西洋音楽の“機能名”が、実に自然に実現されている点がポイントである。作曲者はここで「洋の東西の融合」などに力こぶを入れていない。肩の力が抜けている。
日本の伝統に閉じこもることなく、しかし出自は完璧に押さえ、新時代の雅楽を作り出している。「志の高さ」。武満徹の数多くの傑作に漂う、ある種の“風格”の実体が、これではなかろうか。私はこれを尊ぶ。
Victor VDC-1192Last Updated: Jul 13 1995
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