[好きな現代音楽 3]

「輝夜姫(かぐやひめ)」石井眞木



 笙、ひちりき、龍笛の他、雅楽(を始めとする邦楽)の打楽器と、鍵盤打楽器からティンパニ、ゴングまでを含む西洋打楽器によるアンサンブル。実にありがちな編成であるし、この二群が、争いのこなたと彼方にわかれて掛け合いをするというプランにも、新規性は全くない。

 この作品を聴いていつも驚嘆するのは、完全に「邦楽」ならぬ「日本の現代音楽」ならぬ「邦・現代音楽」として完成の域に達していること。上述のごとく、西洋打楽器群と、それらによる西洋音楽の語法が半分を占めているにも関らず、これは完璧に日本の音楽なのだ。

 例え話をする。冨田勲の一連のシンセサイザー音楽の作品集の中でも、私はとりわけ「ダフニスとクロエ」を愛聴している。「月の光」に始まり「惑星」で大ヒットを飛ばした冨田サウンドには、シンセサイザーならではの魅力的な音が充溢していたのだが、「ダフニスとクロエ」を聴いて(正確には聴き終えてから数時間たって)驚いたのは、“電子音楽であることに気がつかなかった”ことである。もちろん、いわゆるアコースティックサウンドのコピーに終始しているのではなく、“シンセサイザーならではの電子音”が大量に使われているのだが、あまりにも素直に、自然体で使われているために、“電子音楽”であることを卒業してしまったのだ。

 “邦楽”の語法をベースとした現代音楽の中に、西洋楽器と西洋音楽の語法が取り入れられる時、それはかつては、“異物”としての作用、刺激、効果を期待されていたのだと思う。「輝夜姫」は、その次元を超越してしまった。ここで鳴っているティンパニもゴングも、明らかに“雅楽”の一員なのである。

*Fontec FOCD3173 “石井眞木 作品集 IV”


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jul 13 1995 
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