ブラック・ジャック 11

*誤診

 大きな病院の、恰幅の良い院長と、若い伊東医師。16号室の患者に対する「腹膜炎」という診断に、伊東は疑問があるのだが、院長は取り合わず、外出してしまう。

 医科大学の同窓生の結婚披露宴だ。自己中心的な院長には、同窓生仲間も辟易しているようす。同じく同窓生で、彼の隣りに座っていたブラック・ジャックに、俺は院長になって、大勢の医者を使い、市会議員にも立候補しようかというのに、モグリでアブナイ橋をわたっている奴もいる、とイヤミを言う。ブラック・ジャックは、無言で、顔をしかめている。

 そこに、あの「腹膜炎」の患者の容態が急変した、という連絡が入った。宿直の伊東は外出している。患者の命が危ないから、すぐに帰ってくれ、という看護婦の頼みに、院長は、弱ってしまった。処置は伊東にまかせていたからだ。そこで、帰り際のブラック・ジャックを、ちょっと手術を手伝ってくれ、と伴って、病院に帰ったのだが..

 ブラック・ジャックの見立てでは、これは腹膜炎ではなく、急性の膵臓炎なのだが、院長は、主治医のおれの指示に従ってもらおう、と、腹膜炎の手術を開始する..いかにも、手術慣れしていない手で..手術はほとんど他の医師にまかせていたからだ。

 腹を開けたが、腹膜炎ではなかった。誤診だったのだ。自信を失った院長は手術を「放棄」し、変わって執刀したブラック・ジャックは膵臓炎の手術を始める。そこに伊東医師が帰ってきた。他の医師の家に、手術をやるべきかどうか(院長をさておいて)相談に行っていたのだ。

 ブラック・ジャックの見事なオペはおわり、院長の態度は、うってかわって、さすがの腕だ、うちに勤めんか、共同経営でもいい、俺の力で医師免許だって取れるのに、とおだてるが、ブラック・ジャックはそれには乗らず、帰って行く。一方、院長をないがしろにした伊東医師は、馘である。

 後日、ブラック・ジャックの医院を訪れた伊東は、先生の手術に感激した、ぜひとも助手にしてください、と頼み込むが、あなたは将来のある人だから、どこかいい病院へおいでなさい、と、ブラック・ジャックは、にべもない。そして、こうも言う。「くれぐれもいっとくが、私みたいな医者になるなっ だれかに軽蔑されるような医者にはな!!」、と。

 この院長は、ここでは実に嫌な性格の俗物として描かれているが、のちの、別のエピソードでは、ブラック・ジャックの友人とまでは言えないにしても、少なくとも理解者として登場している。儲け役と言っていいほどだ。そのエピソードにも「医師免許を取ってやろうとしたんだが断りおった」というセリフがあることから、(単に同じ顔を使い回したのではなくて)同一の人格であると判断できる。脇役キャラの性格の設定について、作者がズボラなだけかも知れないし、時間を経て、この「院長」も「いい人」になった、という解釈も成立するが、それよりむしろ、どんな人間にもキャラクターにも、いい面と嫌な面が同居しており、時と場合によって、そのさまざまな様相が現れるだけだ、と、考える方が、私は好きである。

*にいちゃんをかえせ!!

 人気特撮番組で、ヒーローのビッグマスクにやっつけられている、怪人ゴーラス。ゴーラスのぬいぐるみを着ているのは、タカオ青年。その弟のユキオは、面白くない。友人たちに、おまえのにいちゃんは、悪者だ! と、ひやかされるからである。タカオとしてもそれは理解できるが、仕事なんだから仕方がない。いつかはかっこいい主役をやってやるぞ、と、約束するが..しかし、年末年始の撮影の追い込みにかかって、ハードスケジュールで奮闘する彼の下半身は、酷い炎症にかかっており、ある日、ついに倒れたのである。

 その日以来、タカオは帰宅せず、そしてある日、顔にツギのあたった、無気味な黒装束の男が、家にやってきた。ユキオは、これは悪者だと直感した。魔像軍団の大首領だ! ユキオの母に、タカオは確かに預かった、当分お返しできない、場合によっては切る、と告げている大首領。大変だ! タカオにいちゃんを人質にして、切ってしまうつもりだ! そしてユキオは彼の車に潜んで、大首領の隠れ家である、すごく気持ち悪い家までついていくと、夜を待って忍び込み、タカオにいちゃんを救出しようとしたが..なんと、タカオの両脚は、ブクブクに膨れた、怪獣の脚になってしまっていたのである! ユキオは悲鳴をあげて、逃げ出した。

 実は、ここはブラック・ジャックの医院だったのである。(意外な真相でしたか? [;^J^])あの日以来、ユキオは毎日、にいちゃんが、大首領の怪獣に改造されてしまった、と泣いている。まぁ、この脚を見てしまっては、無理もない。ブラック・ジャックの診断では、これは象皮病である。この場合は、不潔さと炎症のせいだろう。私の手術代は桁外れだが..しかし、私のところのピノコが、あの番組の大ファンで、ゴーラスのおじさんなら、私が手術すると言っている。番組が終わったら、手術代の代わりに、ゴーラスの縫いぐるみを譲って下さい..そして、ピノコの執刀、という名目で、ピノコを助手とするブラック・ジャックの手術が行われた。

 全快して退院したタカオは、ブラック・ジャックの車で、自宅まで送り届けられるが..まことに申し上げにくいが、先生はユキオに姿をみせないでください。ユキオは先生が大首領だと信じておりまして..と、頭をかくタカオに、ブラック・ジャックは、そういうことなら、なおのこと、姿を見せましょう、と、悪戯っぽく笑う。

 元の姿に戻ったタカオに飛びついて、喜び迎えるユキオ。そして彼らに襲いかかる、大首領(ブラック・ジャック)! 大首領(ブラック・ジャック)は、タカオにやっつけられると、車に飛び込んで、逃げていってしまった。にいちゃんっ 勝ったね!! やっぱりにいちゃんは正義の味方だ!!

 さすがに、最後の2ページは、読んでいて照れくさいのですが..しかし私もこんな、(現実とTV番組の区別が付かない)少年だったのかなぁ。そうだったんでしょうね。[;^J^]

*スター誕生

 主演女優賞を受賞した、杉並井草。5年前は、駆け出しのジュニア歌手だったのだが、一気に頂点に上り詰めたのだ。祝いの電話と花束が殺到したが、彼女が待ち望んでいたのは、ブラック・ジャックからのそれであった。しかし、それは来なかった。(「お医者から電話なかった?」「ないわ。マンガ家からはあったわよ。吾妻ひでおさんと土田よし子さんから」)

 やがて、杉並井草に恋愛の噂がたったが、取材攻勢に対する、彼女のガードは堅かった。そして彼女は別荘を買うと、テラスから、遠くの丘の上の家ばかりを眺めるようになった。ブラック・ジャックの家だ..

 杉並井草の口から、彼女は昔、ブラック・ジャックに整形手術をしてもらったのだということを知らされたマネージャーの及川は、そんなことは全然知らなかったと驚き、さらに、ブラック・ジャックを愛している、という彼女の告白に、これはゆゆしいことになった..ご恩と恋愛を一緒にしてはいけない、そうでなくても、取材で追い回されているのに、この美しい顔が、整形手術を受けた顔だとわかったら破滅だ。絶対にブラック・ジャックに会ってはいけない! この別荘も、早く引き上げなくては..(これはプロのマネージャーとして、正確な判断である。)

 しかしある日、杉並井草は、ブラック・ジャックの医院を訪れたのだ。二度とここへは来るな、というブラック・ジャックの言いつけに従わず..

 5年前、田舎から家出してきた彼女は、女優になるために、ブラック・ジャックに、整形手術を依頼したのだ。ブラック・ジャックは、あの世界は何万人にひとりしか成功しない。また、ひとりひとりの個性は美しいものだ。うまれたままのものが、一番いいのだ、と、断った。しかし彼女は田舎には帰らず、小さな芸能プロに入って、歌と芝居のレッスンを受け..そこの社長は、彼女の才能を認めたのか、急に、整形手術を受けろと言いだしたのだ。彼女は、ブラック・ジャックでなければいやだといい..そしてブラック・ジャックは、不承不承、手術を引き受けたのだ。二度と来るな、という条件で。作られたマネキンと会う気はないからだ..

 想い出話をしていた杉並井草は、自分の「元の」顔の写真が飾られていることに気がついた。ブラック・ジャックは、その子はとても魅力的だったが、もう「死んだ」、と言う。うなだれる彼女。そこにマネージャーが、雑誌社が追いかけてきた、と、駆け込んで来た。ここにいることがばれるとまずい。ブラック・ジャックは、彼女らを、裏口から逃がす。

 数日後、マネージャーは、ブラック・ジャックを例の別荘に呼び出して、殺害しようとする。杉並井草の成功の邪魔になるからだ。危ないところだったが、杉並井草が、泣きながら止めに入る..

 やがて、杉並井草は引退を表明した。最後の映画は、彼女の自伝をモデルとしたものだ。「B先生に捧げる」。その人が誰だかは、申し上げられない..

 起承転結もクライマックスもそれなりにあるのだが、不思議に「芯」の無い、流れて行くようなエピソードである。(別の作家の作品であるが)「悪魔(デイモス)の花嫁」(池田悦子原作/あしべゆうほ)の、ゆっくりとフェイドアウトして行く、いわば女性的なカーブを、どこか想わせるところがある。

*白葉さま

 少年の奇病を祓おうとしている巫女、白葉さま。少年の全身に鱗が浮き出ており、これは蛇の祟りじゃっと、彼女は宣告する。蛇を殺したことがあろう、蛇の呪いが十重二十重に巻きついているのが、私には見える! どんな医者にも見放されたのは当たり前、この霊を取り去るには、霊水の力を借りる他はないが、一生かかっても無駄かも知れぬ..! たとえ無駄に終わるかも知れなくても、霊水にすがるほかない親心。霊水を下され..! というところに、ブラック・ジャックが入ってきた。

 あちこちまわって、いい加減な祈祷をして金をすくねている、女教祖を追いかけてきたのだ、と、彼は言う。この世には医者に治せない病はいくらでもあり、それは霊魂のしわざであって、霊魂は祈りでなければ取り去れぬ! という白葉さまと、ブラック・ジャックは、カケをする。私にその子が治せなければ、医者をやめる。もしも治せたら、お前は今まで稼いできた祈祷料を、そっくり差し出す..

 カケを受けた白葉さまは、少年のフトンを剥いだ。そしてブラック・ジャックは、初めて、少年がどういう病気かを、知ったのだった。魚鱗癬だ。皮膚が固く、厚くなり、ひび割れが出来て鱗のようになる、原因不明の奇病である。全身の皮膚を移植しなければならない。ブラック・ジャックは、4〜5日、旅館に泊まって待つことにした。

 数日後、ブラック・ジャックのもとに、待望の知らせ。一家心中である。これを待っていたのだ。(ほとんど食屍鬼である。)死因と、体に傷がないことを確認したブラック・ジャックは、子どもの遺体を二時間以内に送ってくれるよう、依頼する。一家心中のひとりの死体を勝手に使うのか!?と驚く旅館の人間に、一家全員死んでいれば、文句を言う人間もいないだろう?

 そして、村の診療所で、魚鱗癬の少年と、少年の死体とを並べて、手術が始まった。ブラック・ジャックは死に神の使いだ! と、村人たちを煽動する、白葉さま。しかしブラック・ジャックは、ひとりで、全身の皮膚を貼り替え終えた。

 一ヶ月後、少年は全快した。ショックを受けた白葉さまは、旅館にブラック・ジャックを訪れた。なぜ、ブラック・ジャックは白葉さまを追いかけていたのか。それは、ブラック・ジャックが、友人の医者に頼まれていたからである。白葉さまは、その医者の患者であり、彼には彼女の病気を治せなかったので、彼女はやけくそになり、医者を呪い、インチキ教祖に成り下がってしまったのである。

 白葉さまは、ブラック・ジャックにすがった。「先生、みてください、先生ならなおせます!!」..そして、彼女のはだけた腕には、鱗が..

 単なる「奇病・難病を奇跡的な手術で治す」パターンに留まらない、綺麗な構成美が印象的な作品。奇病・難病テーマは、ウェットな(情緒的な)展開になりやすいが、この作品のような、どちらかと言えば乾いている「すっきりとした技巧」の方が、私は好きである。

*魔王大尉(原題:悪魔)

 ケネス大尉が来日した。最後の頼みの綱、ブラック・ジャックの手術を受けるためだ。お忍びのつもりではあったが、既に日本のマスコミに、来日をすっぱ抜かれていた。「殺人鬼の末路」として。

 その頃、ブラック・ジャックの医院を、日本の里親に引き取られた、ベトナムの孤児たちが訪れていた。ケネスを治さないでくれ、と、頼みに来たのだ。ケネスは、ベトナムのグチャン村で、無差別虐殺を行ったのだ。非戦闘員の村人たちに、火焔放射器の炎を浴びせたのだ。

 ブラック・ジャックは、その事件は知っているが、医者として、助けを求められたら、助けないわけにはいかないのだ。それが私の仕事であって、罪のつぐないとは違うのだ、と、諭したが、子どもたちは、お金のために治すんだろう、と、ブラック・ジャックに投石を浴びせる。(「お金のために」、に、ちょっとひるむブラック・ジャック。)そこに、ケネス一行が到着した。

 頭の中に撃ちこまれた弾丸だ。どう手術しても脳が傷つき、大出血をする個所なのである。それで今日まで取り出せなかったのだ。ケネスは、グチャン村事件のことなど、(残虐行為の被告として法廷に引っぱり出されたりもしたが、)屁とも思っていなかった。戦争で人間が死ぬのは、当たり前だ! もし、あんた自身が殺される立場になったらどうです? というブラック・ジャックに、屁とも思わんね、そういう立場になりたいもんだが、と嘯く。ブラック・ジャックは、私の望む立会人をつける、という条件で、手術を引き受けた。

 麻酔が半ば効いてきた頃合いを見計らって、ブラック・ジャックは、医院の外で様子を窺っていたベトナムの少年たちを、「立会人」として手術室にいれた。彼らがグチャン村の生き残りだと知ったケネスは、「人殺し!」、と、パニックに陥るが、既に身動きも出来ない。彼を生かすも殺すも、少年たちの思いのままである。そして彼は、意識を失った。

 手術に先立って、ブラック・ジャックは、もしもこの男を殺したければ、メスでもノコギリでも取って、この男を殺すがいい。しかし命を救うということも神聖な行為だとわかったら、最後まで手を出すな、と言い含めて、手術を開始した。そして、カタキを見る目でケネスの手術を見ていた少年たちだが、ついに最後まで手を出さず、手術室から出ていった。解ってくれたのだ。

 しかし、無事に弾丸を抜かれ、全快したはずのケネスは、酷く怯えてうなされていた。担架にのって退院し、飛行場についたケネスは、ジェット機の轟音に、火焔放射器の音を思い出し、許してくれーっと叫ぶと、ジェットの入気口に飛び込み、そして死んだ。

 命を救うことの尊さを教える一方で、死ぬべき人間には死を与える、という、良くも悪くもバランス感覚の際だった、ある意味、典型的な作例。

*春一番

 ブラック・ジャックに白斑症状(眼の病気)の手術を受けた少女・千晶が、クレームを付けてきた。彼としては心外である。確かに眼科は専門外だが、難しい手術ではなかったのだ。

 千晶は、暗いところを見たり、あるいは目をつむったりすると、目の前に、背が高くてハンサムな男の姿が見えるようになってしまったのだ。じっと彼女を見つめているのだという。気の迷いだ、いずれ見えなくなるさ、と、彼女を送り出したブラック・ジャックだが..

 彼女の父がやっている飲み屋で飲んでいる、ブラック・ジャック。手術代は、「一ヶ月間、ただで飲ませること」だったのである。ブラック・ジャックは、浮かない顔をしている。彼女の訴えが気になるのだ。親父は、色気づいただけでさぁ、もう春だから、と言うが..

 学校でも、同じ訴え(「あの人が見える」)を繰り返し、友人たちから、からかわれている彼女。そうとう男性に飢えているのねっ(なにしろ、女学校である。)

 二ヶ月たっても治らない。ブラック・ジャックは、自分の手落ちだとは思えない。精神的な原因か、本当にそういう男が周りにいるのか。いずれにせよ、単なる角膜移植手術でミスったなんて、なんとも不名誉な..そこまで考えて、突然、思い至った。あの角膜に問題があるのでは? アイバンクに電話をするブラック・ジャック。その角膜の持ち主は、誰だったのか?

 なんと、提供者は、殺されていたのである。19歳の女子学生で、乱暴されたうえ絞め殺されていた。犯人は挙げられていない。ブラック・ジャックは、箕面医大人体物理学教室の小松佐京を訪れ、人間の目がカメラの乾板の役目をするものだろうか? と尋ねた。つまり、視覚神経が強い刺激を受けたとき、例えば死ぬ瞬間に見た光景が、角膜に焼き付くということがあるだろうか? と。小松の答えは、科学では未解明な現象が多いから、そういうことが起こらないともかぎらんわな、というもの。角膜には犯人がうつっとるかもわからんで! そうか、だとすると、彼女が見ている男の姿は..!?

 その頃、帰宅した千晶は、父に、あの人(幻の男)が好きになってしまったと打ち明け、父は、彼女が描いた、その似顔絵を取りあげた。千晶と入れ違いに(別の角膜を使って手術をやり直すために)ブラック・ジャックが入ってくるが、彼は、その似顔絵を預かって、飛び出していった。

 町を彷徨う千晶。あの、幻の男は、このすぐ近くにいるような気がするのだが..そしてついに、あの顔を見つけたのである。彼のあとをついて行き、そして彼と話をするチャンスをつかんだのだ。「不思議な話ですねえ、あなたの目に、見ず知らずの他人のぼくの顔が焼きついているなんて…」。千晶は、これが初恋かしらと、しあわせにひたるが..そのとき男は、彼女に襲いかかった。何もかも知っているんだな、おれが三ヶ月ぐらい前に女友だちを殺してしまったいきさつを! そして彼女の首を締め上げたときに、間一髪、駆けつけたブラック・ジャックのメスが飛び、彼は警官に引っ立てられていった。千晶は大泣きである。初恋は、手ひどい終わり方をしてしまった。「そうがっかりするなよ、これは春一番さ。これからほんとうの春がくるんだ」、と、千晶を慰めるブラック・ジャック。

 このアイデアは、既に別の作品で使われている。5年前の、「白い幻影」(女性セブン、72/08/08 増刊号)である。読み比べてみるのも、一興だろう。

*曇りのち晴れ

 高原のホテルにて。落雷で重傷を負った怪我人の手当を、嘱託医は、途中でやめてしまった。ストに突入する時間になったからだ。これは、労働者の闘いなのだ。怪我人のために闘いをやめていたら、われわれの負けになる。怪我人の息子は、パパが死んじゃう! 誰かパパを助けて! と、ホテル中走り回るが..

 その頃、別の部屋では、ひとりの女が遺書を書いていた。悪い男にひっかかって、勤務先から三千万円、使い込んでしまったのだ。睡眠薬を飲もうとしたとき、彼女は少年の泣き声を聞きつけ、事情を知った。彼女の隣りの部屋には、確かお医者さまがいたはずだが..しかし、そのお医者さま、ブラック・ジャックは、診療に来たわけじゃない、と、にべもない。「ストのお医者といい…あなたといい…」、と、怒った彼女は、自分の車で少年と怪我人を、麓の病院に運ぶことにした。そして、ホテルの窓から車を見送ったブラック・ジャックは、彼女の部屋で、睡眠薬と遺書を発見する..

 しかし麓へ下りる道は、落雷にやられた倒木に塞がれていた。先にそこで立ち往生していたのは、例の、スト中の医者の車。彼が言うには、ここは山でも一番雷雲の起こりやすい場所であり、早く離脱しないと、われわれも雷にやられてしまう..そして雷雲が接近してきた..

 しかし2台の車で引っ張っても、倒木を動かせない。そこに3台目の車が。ブラック・ジャックだ。彼は医務室でカルテを見て、駆けつけてきたのだ。内臓破裂の患者を動かすとは、なんと乱暴なことを。縫合もせずに、火傷の手当てをしただけだと聞いて、それでも医者かと、ブラック・ジャック。

 彼が追いかけてきたのは、この患者が、いまをときめく丸徳銀行の頭取だと知ったからだ。彼は少年と取り引きする。パパを治したら三千万円払うよう、パパに言うかい? パパの命が三千万円で助かるんだから、安いもんだぜ..少年は承諾し、契約書にサインする。ブラック・ジャックは、車から患者を下ろすと、道端の林のなかで緊急手術用のビニール・ケースを出して、手術を開始した。スト中の嘱託医は、手伝わない。雷が近づいている。金属的なものに、落雷しかねない..!

 ブラック・ジャックは、激しい落雷が襲い来る中、メスをふるって、手術を敢行する..そして雷雲が去ったとき、応急手術も終わった。患者の命は助かった。町の病院で再手術をすればいい。

 彼のメスは、電気を通さない硬質ガラス製だったのだ。ビニール・ケースも不導体。こういうことは良くあるので、準備してあったのだ。ブラック・ジャックは、女性の部屋にあった薬を、三千万円の契約書で買い取ると、嘱託医に、スト中でもこのくらいのことはできるでしょう、と、患者を麓の救急病院に運ぶよう、依頼したのだった。

 無責任極まりない嘱託医が、このエピソードの「主役」であり、自殺未遂のOLの物語は、いまひとつうまく噛み合っていないが..まぁ、ミニ・グランドホテル様式、と言ったところか。

*ハリケーン

 南海の小さな孤島に、小型飛行機で呼ばれたブラック・ジャック。そこで待っていたのは、大財閥・クロスワードと、彼の身内である。彼がこんな小さな島を買ったのは、世間の目から隠れるためだった。なにしろ、不治の難病にかかってしまったのだ。このことが洩れると、大騒ぎになる。

 若いケティ夫人は、是非とも主人を助けてください、と、ブラック・ジャックにすがるが、どこか軽薄で、真情がこもっていない。偏屈なクロスワード老人は、こんな若造に俺の病気が治せるものか、わしの金を狙っているシデ虫め、と、毒舌を吐くが、ブラック・ジャックの診察結果は、膵臓癌で、もう手遅れ、という、単刀直入で簡潔なのものであった。何度も手術をしているが、再発また再発でちっとも治っていないし、老衰していてこれ以上の手術には耐えられない..だから、手遅れ。ズケズケ言うブラック・ジャックを気に入ったクロスワードは、手遅れでもいいから、さっさと手術しろ!

 ケティ夫人と、クロスワードの甥のクイーズ・ジグゾーは、クロスワードに治ってもらう気など、全然なかった。いかにして「遺言状」を書かせるかだけが、問題なのである。狙いは財産。もちろん、不倫の仲である。

 第一回目の手術が終わり、数日後の二回目の手術にそなえて、島に泊まるブラック・ジャック。こんな小島なのに、ふんだんに水があるのが不思議であるが、それは、古い・深い井戸があるからだった。地下水脈まで届いており、コンコンと清水が出ているのである。

 ハリケーンが接近してきた。この島は、いつもコースから外れているので、心配は無いだろうが..ケティは、ブラック・ジャックの籠絡にかかった。このままでは十分なお礼が出来ないから、夫人に財産をひきつがせる書類を書かなければ治療をやめる、と、主人を脅しなさい..何しろ彼女は主人の金を自由にできない。財産を譲ってくれないのである。もしも主人の金を手に入れられれば、100万ドルをお払いする..ブラック・ジャックは、金はもらうが弁護士の真似はしたくない、と、断った。

 ブラック・ジャックは、その夜、死にもせずに手術に耐えた老人に、奥さんと別れなさい、あなたの奥さんはろくな女じゃない、と忠告した。老人は怒る。(意外に、目は節穴らしい。)

 予想は外れ、ハリケーンは、この島をまっすぐに横切ることが判った。すぐに逃げないと全滅だが、しかし、飛行機は風はあおられて大破していた。残るは小型機1台だけ。操縦士以外にふたりしか乗れない。ケティとクイーズは、ブラック・ジャックと(ケティとしては財産をいただくために、なんとしてでも連れていきたかったのだが)クロスワード老人を、銃で脅して置き去りにした。命あっての物種である。

 ブラック・ジャックは、自分とクロスワードを、300メートルもある深い井戸の中に紐で吊って、ハリケーンの通過をやり過ごした。そして彼らが無事に這いだしたとき、飛行機は、すぐ近くに墜落していたのである..

*道すがら

 ピレネー山中で、強盗にあったブラック・ジャック。近くの村の、とある家で介抱されたが、鞄の中の金は奪い去られていた。なんとしてでも取り返してやる、というブラック・ジャックに、その家の主は、やめておけ、という。ここらの盗賊は、警察よりも強い..

 一週間静養したブラック・ジャックの出発間際に、この村の顔役のロペスの旦那の息子が急病だ、と、呼び出しがかかった。この村に対するお礼代わりに、診察に向かったブラック・ジャックは、その家に入るときに、あることに気が付いた..

 患者は、悪魔が乗り移ったかのごとき痙攣をしている。破傷風だ。ここまで症状が進んでしまっては、手術する他ない。治療代は..あんたの息子さんが私から奪った金、全部!

 臭いでわかったのだ。あの盗賊のひとりが、ものすごい腋臭だったのだ。この患者、ロペスの息子は、それと同じ臭いの持ち主なのだ。ロペスは、息子にあらぬ罪をなすりつけようというのか!と、銃を突きつけて、帰ろうとするブラック・ジャックに、強引に手当てをさせる。ブラック・ジャックは、さっさと悪魔を追い出せの、胸を刺したらただじゃおかないのと、うるさいロペスと子分共を追い出すと、手術を行う。

 数日後。予後は良好。立ち去るブラック・ジャックは、ロペスからの礼金を受け取らない。奪われた金を返してもらうまで、他のものは受け取らん。ドクターは息子の恩人だが、ぬれぎぬだけは我慢できない、とっとと行ってくれっ、と、ロペス。

 一年後、ブラック・ジャックの医院を、ロペスが訪れた。息子を引っ立てて、詫びに来たのである。息子の口を割らせたところ、確かに彼と彼の仲間が、ブラック・ジャックを襲った強盗犯人だったのだ。ロペスはブラック・ジャックに、息子が奪った金を返すと、銃を渡して、あんたを半死半生の目に会わせた男だ、存分にやってくれ、殺すがいい..

 しかしブラック・ジャックは、撃たなかった。この男を撃つと、またムラムラと治したくなる。もう二度とこんな男を治すのはごめんだ。帰れ! ロペスは、嬉し涙を流しながら、息子を連れて帰っていった..

 「忘れようったって忘れられない腋臭」というのは、嗅ぎたくないなぁ。[;^J^]

*雪の訪問者

 大病院に入院にしている山口少年は、主治医の関根教授を恐がっていた。13日の金曜日に、思い切って手術しましょう、私が責任もって執刀します、と告げて、関根教授は病室から出ていったが、少年は、付き添いの姉に、ぼくは殺される!と訴える。

 山口少年の姉は、ブラック・ジャックに相談した。弟が、関根教授の執刀で、腎石の手術を受けることになった。関根教授の令名を良く知っているブラック・ジャックは、結構なことではないか、というが、姉が懸念することには..関根教授は病気らしいのである..

 病院の中でも、知っている人はごく一部だけで、固く口止めされているのだが、近頃、関根教授は、ときどきおかしくなるのである。話が食い違ったり、ぼんやりしたり。そして手術中にも、何度か大きなミスをしているのである。指示を忘れたり、関係ないところを開けたり。その都度、周囲の助手たちが急いで処理をして、事なきを得ているのだが..あろうことか、先日は、手術中の患者に、メスを逆手に持って突き立てようとしたというのである。

 弟も酷く怯えている。教授の目の色が無気味だからだ。事実とすれば、なぜ関根先生を引退させないのか、とブラック・ジャックは問うが、関根先生は偉すぎて、神様なので、誰も引退を進言できないのだ。いくら神様だって、そんな手術医を抱えた病院なんて、話にならんね、とブラック・ジャック。弟が心配なら、よその病院へ移りなさい、と忠告するが、手術は明後日。じゃあもう間に合わない。姉は、ブラック・ジャックに手術を頼むが、大病院に乗り込める身分ではないし、私の手術代は高いですよ。「まったく馬鹿げた話だ。あの大病院がね」、と、愉快そうに高笑いして去って行くブラック・ジャックは、自分には入り込めない世界である大病院の不始末を、嗤っているがごとくである。

 打つ手がなくなった山口少年の姉は絶望するが、病院の医師たちは、彼女を安心させる。彼らだって、関根教授に手術は無理だと思っているのだ。関根先生抜きで手術する許可を、なんとか先生からいただきましょう..

 そして、関根教授邸に、病院の医師たちから、その件の電話。なぜ自分では駄目なのか! みんなしてわしをのけものにする気だな! と激昂する関根教授。プライドを傷つけられ、勝手にしろ!っと、受話器を叩きつけたが..そこに、ブラック・ジャックが訪れた。関根教授は、お名前はかねがね。海外でも良く耳にする。若いのにご立派なことだ、と、ブラック・ジャックを迎える。さて、ブラック・ジャックの用件というのは..

 ブラック・ジャックは、関根教授の亡妻の写真に気が付いた。三年前に、脳溢血で亡くなったのだ。その、かけがえのない妻の、最期を看取ってやれなかったのが、関根教授の悔いになっていた。彼女が倒れた時、私はそばにいなかったのだ..せめて自分自身で、出来る限りの手当てをしてやりたかったのに..!

 雪がしんしんと降り続く、手術予定日の前日の深夜に、山口少年の病室を訪れた、関根教授。今から、自分ひとりで手術をすると言う。助手はつけない。明日になれば、わし抜きの手術をしようという連中がいるからな..(怯える姉弟。)いや、たったひとりだけ、助手をつける。ついさっき名乗り出た人でな..それは、ブラック・ジャックだった。ほっとする姉。ブラック・ジャックは、自分が執刀するわけではないので、手術料はいらない、という。そして、「関根先生は、あなたの考えているような病人じゃない! 私もたまには、名医の助手をしたいんだ」。そしてふたりは手術室に入っていった。

 関根教授のトラウマは、妻が息を引き取ろうとしていたときに、この病院で手術をしていたことだったのである。手術が終わった時には、妻はもう死んでいた。だから、手術中に、自分の仕事が妻を犠牲にした、という気持ちに苛まれ、患者に対して、思わず憎しみがこみ上げてくることがあるのである。そう話しながら、時折、メスを逆手に持ったり、ぼんやりしてしまったりする関根教授を、ブラック・ジャックは、補佐し..そして手術は無事に終わった。見事な手術であった。ブラック・ジャックのおかげで、関根教授の悩みも吹っ切れたのだった。

 翌朝、関根教授はブラック・ジャックに問うた。手術中に悩んだことはないか? と。ブラック・ジャックの答えは、「ヤクザのチャンバラ」である。そのこころは、「無我夢中で切りつけていて、悩んでいる余裕など無い」。関根教授は、見習いたいものだ、と屈託無く笑い..そして、雪はあとかたもなく、溶け去っていた..

*がめつい同士

 ブラック・ジャックは、新幹線のグリーン車まで、高利貸しの合羽(かっぱ)を追ってきた。三年前の手術料、五千万円を、いつになっても払わないからだ。合羽に言わせれば、あのときは命の恩人だったが、今となっては、借金取りである。

 ノラリクラリと逃げようとする合羽に、ブラック・ジャックは、切れかかる。道楽であんたの命を助けたんじゃない! あんたの脳内皮細胞腫は、いつ再発するか判らない。私を怒らせると、再発しても治してやらないよ、よその医者にゃなおらないんだから、あんたはのたうち回って、死んでくんだ……! それでも構わないか?

 逆らいようのない合羽は、五千万円払うことは承諾するが、それも、これから集金に出向くところが金を払ってくれたら、である。


「先生のとりたてかたを、よーく参考にさせてもらいマ」

 それは、不況で倒産しかかっている、中小企業の工場主であった。利子ともに八千万円。払えるわけがない。合羽は、担保の、地所と工場の登記所を取り立てた。彼は祝杯をあげ、ブラック・ジャックに(請求されて)工場の権利書、五千万円分を、渡す。ブラック・ジャック流の、強引なネバリ作戦が効いた。これからも、先生流のやり方を、真似させてもらう..

 一足お先に帰ったブラック・ジャックは、親子心中の現場に出くわした。あの工場主の一家だ。覚悟の自殺だったのだ。救急車に乗り込み、無事に応急手当をすませたブラック・ジャックは、大阪から東京に帰る新幹線乗り場で、合羽に出くわした。合羽は、きのうの工場主の一家心中のニュースに、おたおたしている。なんとか助かったらしいが..借金取りの自分らが、血も涙もないと書かれていて、憤懣やる方ない。そこに、労災病院の外科部長らがブラック・ジャックを追ってきた。

 ブラック・ジャックの適切な処置のおかげで、三人が助かったのだ。お骨折りに報いたい。診察費を請求していただきたい。じゃあ、50円。高ければ、30円でもいい。金をもらうほどの仕事じゃありませんよ、と、列車に乗り込むブラック・ジャック。どうしてわしは五千万円で、あっちは50円なんだ、と、怒る合羽をさておいて、ブラック・ジャックは外科部長らに、あの患者らは、全治したあと、また死ぬようなことがあるかも知れないから、予防薬として渡してくれ、と、自分の五千万円分の権利書と合わせて、合羽の持ち分、三千万円の権利書、合計八千万円分を渡したのだ。ブラック・ジャックは、合羽に、「今後は私の方式をまねしますって……私のやるとおりにやるんでしょう?」

 ブラック・ジャックのやることが理解できずに、嘆いている合羽。八千万円の値打ちものをポンっと放ってしまうなんて。やることなすこといきあたりばっかりだからね、というブラック・ジャックは、だから今度、はれ物が再発したら、50円で治してあげますよ、と約束し、それで機嫌をなおした合羽は、ふたり分の勘定を払ったのだった..

 実際、展開がいきあたりばったり過ぎるエピソードである [;^J^]。合羽だけではなく、筋を追う読者も、振り回されて疲れてしまう。


*手塚治虫漫画全集 161

(文中、引用は本書より)


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Feb 23 2000 
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