ブラック・ジャック 9

*ナダレ

 日光の渓谷の道路工事現場に、怪物的な巨大な鹿が現れた。その眼は生きている鹿の目ではなく、銃で撃たれてもびくともしない。毎日、工事現場で作業員を殺している、怪物「ナダレ」だ。その場にいた作業者十数名に襲いかかる..

 この怪物を「作った」のは、大江戸博士だ。脳髄の発達を促すために、より大きな容器に脳髄を移し替えて栄養を与える、という研究でノーベル医学賞を受賞した博士。その実験台となったのが、肉親のいない彼が弟のように可愛がっていた子鹿「ナダレ」であり、執刀したのが、ブラック・ジャックであったのだ。

 スウェーデンから帰国した博士を待っていたブラック・ジャックは、彼がいない間にナダレが逃げ出して、毎日人間を殺し回っているという状況を説明するが、大江戸には信じられない。

 確かに、脳髄は大きくなって、知能も発達したかも知れないが..人間と同じように考えるようになったとは限らないのだ。どういう「知能」を持つようになったのか。ナダレは、怪物になったのだ。

 その夜、鹿笛でナダレを呼び出した大江戸は、(さすがに大江戸には甘える)ナダレの説得に努める。また一緒に暮らそう。婚約したばかりの僕の奥さんも、きっと可愛がってくれるから..翌朝、ナダレは彼女の車を襲い、殺した。

 決意を固めた大江戸は、その夜、再度、鹿笛でナダレを呼び出すと、自らの手で射殺した。ナダレの死体にすがって、「これが…さばきだ……」と泣き崩れる大江戸に、ブラック・ジャックの最後の言葉。「人間は動物をさばく権利があるのかね?」

 この怪物的な鹿が、何を考えているのかよくわからない、という無気味さ..とはいえ、完全に「理解不能」ではない。作業員は、自然を破壊し自分のテリトリーに侵入する「敵」なのだろうし、大江戸の婚約者を殺したのは、「嫉妬心」として説明が可能である。その意味では「異質性」が「甘い」、というのは、SF読みの考え方か。最後の、「さばき」という言葉は、やや浮いているように思える。

*海賊の腕

 鉄棒が得意なイッチン。男の子にも女の子にももてるイッチン。しかし彼のことを、誰より一番心配しているのは、ブスで太めの古河さんなのだった。イッチンの腕のハレのことを、彼の母親に知らせたのも、古河さんだった。

 しかし彼は、試合前だからと医者に行くのも嫌がり、壊疽(えそ)にかかりかかっているから手は絶対動かすな、という医者の診断も無視して..手遅れになった。ガス壊疽で、敗血症も起こしている。腕を切断する他ない。しかし彼の生き甲斐は、器械体操なのだ。手塚医師はブラック・ジャックに相談する。彼は7〜8百万でなんとかしようと言うが..

 手術が終わり、学校に帰ってきたイッチン。しかし彼の左腕は、海賊の首領のような義手になってしまっていた。距離を置くクラスメートたち。彼の性格も暗くなった。ある日、義手に八つ当たりして鉄棒に叩きつけていると、なんと、義手が喋ったのである。

 義手はイッチンを慰め、元気づける。体操はもうできないが、将棋が得意じゃないか。日本一の学生名人をめざせばいい!! めきめき腕を上げて、校内の三年生を総なめにしたイッチンに、他の中学から他流試合も申し込まれる。彼を陰から見つめている古河さん。やがて地区学生将棋大会の決勝戦に進出する。ここまでこれたのは君のおかげだ..と、義手に感謝するイッチンは、義手の声の向こう側に、時計の音がきこえることに気が付く。すぐ近くの部屋の時計の音だ。そこから、古河さんが喋っていたのだ。義手の受信機に、無線で。イッチンのことを本当に心配し、ずっと見つめていたのは、古河さんだった。イッチンは、そのことに、ようやく気が付いたのだった。

 最後から2コマ目、ブラック・ジャックの左腕が、イッチンと同じく「海賊の腕」になっている。間違い(NG)探しは本意ではないが、あまりにも面白いので、これだけ指摘させていただく。

 しかし考えてみると、イッチンは、一日中、いつでも義手に話しかけることが出来るわけであり、恐らくは、朝も晩も、義手と会話していたと考えられる。ということは、古河さんも、一日中、その会話に付き合うために、彼が喋ることを、ずっと聞いていたわけだ。ちょっとあぶない状況なような気が。[;^J^]

*獅子面病

 ブラック・ジャックを路上で逮捕した、警視庁のランプ。彼がモグリ医者を憎むのは、彼の息子がモグリ医者にかかって、再起不能になってしまったからだ。しかしブラック・ジャックが連行された先は、警視庁ではなく、病院だった。ここで審査が行われるのだ。審査員は外科の大先生たち。ある患者を手術し、治療に成功したら、審査員はブラック・ジャックの医師免許を取ってくれる、というのだ。逮捕も免除だ。もちろん、診察や手術に失敗したら、ぶち込まれる。

 その患者は、獅子面病だった。骨がどんどんふくれ上がって、顔や背骨がすっかり形を変えてしまう、原因不明の難病だ。現在、この病院で治療中だが、ヨードもレントゲンも効果が無いのだ。

 とびきりの難しい課題を与えられたブラック・ジャックは、手術にかかる。脳手術だ。脳下垂体を切って、ラジウム片を埋め込む、という、誰も聞いたことがない術式だ。これでなぜ助かるのかは、ブラック・ジャックにもわからないのだが、アフリカで5人の獅子面病患者を手術し、この方法で3人は治って2人は死んだ。つまり、カケだ。患者の命をカケるとは!と抗議する医者に、神ならぬ人間が人間の体を治す以上、保証などできはしない。カケるしかないでしょう?

 そして手術は行われた。結果がでるのは、三ヶ月後。そして..患者は全快した。彼はランプの息子だったのだ。感涙にむせぶランプ。ブラック・ジャックが偉大な外科医であると認めた審査員たちは、ブラック・ジャックのために免許状を申請したが..しかし、免許はおりなかった。

 なぜなら彼は、あちこちの国で患者を脅迫していたからだ。患者を脅かして大金を巻き上げているので、世界医師連盟に苦情がまいこんでいる。だから免許は取れない..そんなことは問題じゃない、人の命をすくってるんでしょう!?とランプは叫ぶが..ブラック・ジャックに対する約束を果たせず、彼と目を合わせられずに、去って行くランプ..

 ブラック・ジャック・シリーズでは、ランプやハム・エッグが、しばしば警察側の人間として登場するが、確かに、「悪役に対する悪役」として、妥当な役どころではある。

*誘拐

 カイナン民主共和国の大統領の手術をするために招聘された、ブラック・ジャック。暗殺者に撃たれた弾が、後頭部にはまりこんでいるのだ。報酬は20万ドル。

 しかし、ブラック・ジャックが手術に出かけている間、ピノコがホテルから誘拐されてしまった。誘拐犯は、もちろん、大統領の暗殺をたくらんだ一味だ。そして手術室で準備をしていたブラック・ジャックに、脅迫電話。大統領の手術から手を引いて、見殺しにしろ。さもなくば、ピノコを殺す..偉大な大統領が死んだら、この国の政治は無茶苦茶になってしまう、と苦しむ大統領側近を、ブラック・ジャックは安心させる。手術はやる!


「ピノコはただの娘さ……。それにひきかえ大統領には、20万ドルの札束がついている」

 暗殺団のアジトに捉えられていたピノコは、ブラック・ジャックが手術をするはずはない、と信じていたが、彼が手術をはじめた、それも20万ドル欲しさに..という情報を聞いて、傷つく。お金のためではない、私なんかよりも大統領の方が、この国にとって大事な人だから..というピノコを、見せしめのために殺そうとする暗殺者たち。そこに、手術が失敗し、大統領は手術中に死んだ、という情報が!

 祝杯をあげた暗殺団は、聖堂に安置され、国民のおまいりが許された大統領の遺骸を、参列者として確認した。確かに死んでいる。顔に霜も下りている..

 退出するブラック・ジャック。大統領を死なせたブラック・ジャックに、民衆から罵声と生卵が浴びせられる。用済みになって解放されたピノコを無事に迎えたブラック・ジャックは、車に乗り..そして、カーラジオのスイッチを入れると、大統領側近が、放送で、真相を明かしていた。大統領は死んでいない。人工冬眠で眠っているだけだ。ブラック・ジャック氏は、人質も大統領も助けるために、大統領を冷凍し、仮死状態にして冷凍手術を行ったのだ。そして、大統領が死んだと偽りの発表を行った。こうして、暗殺団を欺き、大統領も人質も助けたのだ。ブラック・ジャック氏は誤解され、激しい非難を受けられたが、ブラック・ジャック氏は、医大な医者である..

 彼らの車を、暗殺団が待ち伏せていた。報復のためだが..しかし、ブラック・ジャックの反撃で、全員、喉にメスを受ける。殺したわけではない。大統領の手術より、ずっとらくだ。「それに、懸賞金もつくしな…。フフフフ……」

*本間血腫

 プロ野球選手の山上投手が、本間血腫と判明した、というニュースに驚くブラック・ジャック。そこに、彼の入院先の病院から、電話がかってきた。山上投手の主治医たちだ。ブラック・ジャックの力を借りたいのだ。

 謎の病気、本間血腫。心臓の左心室の中に血の塊ができ、いくら取ってもきりがない..過去に二十数例しか記録がなく、しかも全員、死亡している。われわれは本間血腫についての知識がない、あなたは知識を持っている。あなたが無免許医だということも法外な診療費の要求も、全て了解した上でお願いする。それはいっさい私が責任を負うから..と、頭を下げる医長に対して、ブラック・ジャックは悩み苦しみながらも、このオペは気が進まない、と、断ってしまう。

 本間血腫は、本間丈太郎医師が発見した、全く新しい疾患だったのだ。彼が執刀した患者は死に、それが生体実験だ、という非難を浴びた本間医師は、生体実験などとは思っていない、いままで知られていなかった疾患であり、それを治す方法も知られていなかったのだ。新しい病気が見つかって、それを治そうとためすのは、全て生体実験になってしまうではないか。この患者が治るという確信などは、だから、もちろんなかった。しかしなにか処置をしなければ、死ぬことも明らかだったのだ。責任はとる。辞表を出す..そして本間医師は、その後めぐまれず、引退したまま亡くなったのだ。

 ブラック・ジャックは、本間医師の残した資料や記録を整理しているうちに、本間血腫についての記録を見いだし、その中に、ブラック・ジャックへのメッセージも見つけていたのだ。本間血腫の謎を解き明かしてもらいたい。しかし、この病気の謎がわかるまでは、けっして手術してはならない、もしも手術をしたら、医学の限界を思い知るだろう..

 ブラック・ジャックは、しかし、本間医師を引退に追い込んだ、本間血腫が憎かった。かたきを討ちたい..そして、本間医師の忠告に従わず、手術することにしたのだった。病院に出向くと、手術を引き受けた。ブラック・ジャックが用意した方法というのは、精巧極まりない、ブラック・ジャック式人工心臓だ。この病気を治すには、心臓そのものを取り替える他はない..

 そして手術にかかったが..なんと、山下投手の心臓は、本物そっくりの、精巧な人工心臓だったのだ。つまり、本間血腫は、人工心臓の故障による病気だったのである! それには、「人工心臓SR型試用20体のうちNO20 極秘 19XX年X月X日」と記されていた。

 愕然としたブラック・ジャックは、手術を中止する。いつどこの国で誰がやった。それよりも、あんなに精巧な人工心臓でも、完全ではなかったのだ。医学の限界か..いつぞやの、本間医師の死に際の、「人間が生きものの生き死にを自由にしようなんて、おこがましいとは…お、思わんかね……」という言葉が、鳴り響く..

 人工心臓の故障による謎の疾患、というアイデアは、非常に魅力的なのだが..どうも釈然としない。

 本間医師は、これが人工心臓の故障による疾患だということを、知っていたのか、いなかったのか?

 本間ほどの名医が、いかに精巧だとはいえ、それが本物の心臓ではなく、人工心臓だ、ということを見抜けなかったとは思えないのである。では、彼がブラック・ジャックに託した、「本間血腫の謎の解明」とは、「この型の人工心臓が故障する理由の解明」だったのか?

 もうひとつ、この人工心臓に記された数字が気になる。「本間血腫」とは、全て、「この型の人工心臓の故障」だったのか?(数が微妙に合わないが)

 これら、釈然としない点とは別に、ここでは、前例のない状況(疾患)に対する、効果の保証されていない処方は、無謀な冒険(生体実験)として非難されなければならないのか?という、問題提起もなされている。これは、医療行為に限ったことではあるまい。

*通り魔

 アラスカの米軍のミサイル実験場の周囲を、車で逃走するブラック・ジャック。カーチェイスの相手は、地元の警察だ。連続通り魔事件の犯人として、追跡されていたのだ。擬装転落のトリックなどかまして、警察の車を奪ったブラック・ジャックは、通り魔事件の現場に戻ったが、そこでひとりの少年にホールドアップさせられた。僕のおじさんを日本のカタナで切り殺した殺人鬼め!!

 もちろん、誤解なのだが、彼のおじさんが切り殺されたとき、すぐそばにブラック・ジャックが、メスを持っていたのである。そもそもブラック・ジャックがこの町に来たのは、少年のおじさんに手紙で呼び出されたからだ。

 この町には、近頃頻々と、謎の傷害事件が起きていたのだ。被害者はいずれも、体のどこかをスパッと切られている。それは必ず、晴れた日の午後に起こる。犯人はつかまらないし、被害者は誰にも恨みを受ける覚えのない、善良な市民たちだ。少年のおじさんは怯えて、しばらくこの町に滞在して、傷を負った人を手術で助けて欲しい、と訴えてきたのである。それでブラック・ジャックがやってきたとき、折悪しく、当のおじさんが喉を一刀のもとに切られたとろで、シャツを切り開くためにメスをあてがったところに、パトカーと刑事がやってきたのである。で、警察沙汰が嫌いなブラック・ジャックは、言い訳もせずに逃げていた、というわけだ。

 まだ信用しない少年に、ブラック・ジャックは、切り裂き事件のあった場所をプロットした地図を見せた。ほぼ、円を成しており、その中心には、アメリカのミサイル実験場がある。事件はみな、この実験場から5キロメートルのところで起きているのだ。少年を連れて、車で、その「5キロメートルライン」を走ってみせるブラック・ジャック。切られたウサギ、切られた鹿、そして、切られた樹木..正気の人間が、こんなまねをしてまわると思うか?

 そしてこのラインの上には、集落もあるのだ。そこに着いた時、既に立て看板が、ばっさりと着られていた。晴れた日の午後に出歩くと、この村にも通り魔が来る!と、少年は、村人たちに知らせる。避難する村人たち。

 そこでは、警察が待ちかまえていた。コートの裏の凶器一式を確認して、証拠は十分、とばかりに、ブラック・ジャックをしょっぴこうとした彼らに、ブラック・ジャックは、あと一時間、ここにいたい。そうすれば、この事件の真相を解いてみせる。これは恐らく、「かまいたち」だ。ミサイルの発射によってできた真空の渦による事故だ。それを実証するために、この線上に立って、私自身、切られてみる..

 そしてミサイルが発射された時、ブラック・ジャックと、彼に近づいた刑事は、「かまいたち」に切られた。片手をやられたブラック・ジャックは、心臓が裂けかかっている刑事に、片手で応急処置を施して、気を失う。そこに救急車。

 刑事と並んで入院しているブラック・ジャック。基地指令から見舞金が届いた、という伝言だが、そんなはした金は、もちろん受け取れない。いままで死んだりキズついた連中への慰謝料と私の手術代、しめて一千万ドル請求する。さもなきゃあ、おれがミサイルをブタ箱へぶちこんでやるよ、と、刑事。

 「かまいたち」というネタ(真相)が、早い時点で明らかなので、ミステリとしての緊迫感がさほどでもないのが、残念なところだ。仮に読者が「かまいたち」を知らなければ、「正気の人間が、こんなまねをしてまわると思うか?」というところで、わけのわからぬ恐怖に襲われるかも知れないが、それを狙っている(つまり、「かまいたち」を知らない、年少読者をターゲットにしている)にしては、恐怖感を盛り上げる演出が不足している。

*雪の夜ばなし

 吹雪の夜、暖炉の前で飲んでいるブラック・ジャック。

 ドアにノック。しかし誰もいない..いや、いつの間にか、若い男女が部屋の中に入り込んでいた。母の手術をたのむという彼らに、急患なら町にいい病院がある、私に診てもらいたければ三千万払いな!と、はねつけたブラック・ジャックだが..三千万の札束が、これまたいつの間にか、机の上に。

 欲が出たか、どこにその患者がいる!というブラック・ジャックに、ふたりは、カラのベッドを指し示す。「見えませんか、ここに母が…………………………」。首の骨が折れているというのだ。全く無人のベッドに向かって、彼らは声をかけ、慰める。からかっているのではなさそうだ。偽札でもない。億万長者の精神病患者か? 迂闊にことわると、何するかわからない(この認識は、こんにちではまずいかも)。やむを得ず、手探りで手当と手術の「まねごと」をするブラック・ジャック。吹雪がひどくなってきた..

 手術は終わった。カルテを作るブラック・ジャック。この男女は患者の子どもたちだった。東京から北海道旅行に、母親を連れていく途中だったのだが、この付近の上空で、彼等の乗った旅客機に、自衛隊機がぶつかり、母の首の骨は折れ、旅客機はお客もろとも、町の中に墜落してしまったのである!

 慌てて窓に飛びつくブラック・ジャック。下町は火の海である。彼等は母親をブラック・ジャックに直してもらおうと思ったが、既に体が焼けてしまっていたので、やむを得ず、魂だけ運んできたのである。彼等は、まだ体が残っているだけマシだったが..(三千万円は、自衛隊基地の金庫からかっぱらって来たのである。)

 死んでいるのではない、別種の人間になったんだと主張する彼等は、母をどうしても北海道旅行に連れて行く、治るまでしばらく寝かせてやっておいてくれ、と、ブラック・ジャックに託して去っていった。

 そこに、下町から重傷者を運んできた人間たち。しかし「無人」のベッドを指して、今は使用中だ、床に寝かせろ、と主張するブラック・ジャックを気味悪がって、出て行ってしまう。どうように、自衛隊の人間も追い返してしまうブラック・ジャック。気が狂ったと思われただろうが..

 窓の外に、白い、巨大な幻の旅客機が現れた。旅客機の幽霊!? あの兄妹たちだ。(今度は姿を現さず、声だけだ。)ドアが突然開き、部屋の中に吹雪が吹き込んできた。母を北海道旅行に連れて行くのはやめて、もっと遠くで療養させることになった。新しい旅客機を用意した。そこに墜落した旅客機の客が、そっくり乗り移ったのだ。一席だけあけてあるから、先生も乗ってくれ、母の主治医として..そんな遠くへは行けない!と叫んだブラック・ジャックは、渦巻く吹雪の中に、三千万円をまき散らし(、返し)、そして凍死寸前、幻の飛行機は去っていった..まぁ、誰に話しても信用されるわけがない。「雪の夜ばなし」、か..

 確かに、論理的に追い込んでいったら、これは夢オチでしかあり得ないのだ。なぜなら、旅客機が「いつのまにか」墜落していたからである。ブラック・ジャックは、これの墜落の音を聴いていないのだ。悪夢のように、場面がつながって行く。雪の情景と、火の情景が..

 しかしはっきりと「夢」としては描かず、それを決定づける「証拠」も書かないが故に、夢とは断言できず、その結果、「夢」と「現実」の間をたゆたう、不思議な幻想譚となった。佳作である。

*銃創

 行楽地のスナックにやってきたブラック・ジャック。遊興族の連中からは、むさくるしい格好を不審な目で見られ、安物のカレーライスを注文するので、ウエイターには貧乏人め、と、見下されるが、気にもかけない、ブラック・ジャック。

 スナックの2階から医者が下りてきた。往診に来ていたらしい。食事しながら、卒業と同時にパリ大学から誘いが来たの、服田首相の胆石を手術したのは私だの、暴漢に撃たれたK国の大臣からタマを抜いたのは私だの、自慢話に余念が無いのだが..そのとき、レストランに強盗が入ってきた。狙いは、ブラック・ジャックが、今日、町で稼いできた5千万円だ。(貧乏人どころでは、なかったわけだ。)反撃するブラック・ジャックは、強盗達にメスを飛ばすが、銃で撃たれ、強盗たちは車で逃げた。電話線は切られており、その他の車は、全てタイヤをパンクさせられていた。当面、助けは来ない。

 ベッドに寝かされたブラック・ジャックは、例の医者に、銃弾の摘出を依頼するが..様子がおかしい。ブラック・ジャックと二人になった彼は、妙におどおどしており、しまいには、手術は出来ない、と降参してしまった。まだ一度も、こんな手術をしたことはなかったのだ。さきほど吹いていたのは、全部ハッタリだ。医大はオナサケで出してもらった。ライセンスは三千万円で教授にとってもらった。そもそも医大にも裏口で入って、麻雀三昧でろくに学校にも行っていなかったのだ..

 こんな医者におれの体を切らせるのか..と、暗い気持ちになるブラック・ジャック。自分で自分の手術をしたことはあるが、しかし、今は手が利かない。どうしても、おまえさんの手を借りるぞ! 逃げるな! と、ブラック・ジャックは、逐一彼に指示し、叱咤激励し、あるいは罵り、とにかく手術を行わせる。そして銃弾に辿り着いたところで、ブラック・ジャックは気を失ってしまった。もう、彼の指示も助けも得られないが..しかしその医者は、ようやく、習い覚えた技術を思い出し、自信も出てきて、独力で銃弾を摘出すると、応急処置を終えたのだ。

 翌日、つくづく身のほどを知りました、と、ブラック・ジャックに頭を下げ、もう一度はじめっから出直しです、と、赤面して去って行く医師に、ブラック・ジャックは、励ましの言葉を贈る。


「今度は堂々といえますよ! K国の大臣なんかじゃなく……、私からタマをぬいたんだとね!」

 何故か心に残る作品。それは、この情けない医者に、感情移入出来てしまう点があるからだ。(いやいや、私は裏口入学なんかしなかったし、授業にも出ていたし、実力で卒業も就職もしましたよ。そんなレベルで誤解しないでいただきたい。冗談じゃありませんよ、失礼な。[;^J^])

 実力以上に吹いて、しかし自分ひとりで事態を解決しなくてはならなくなって、逃げ出すことも出来ない..程度の差こそあれ、誰しも、こういうシチュエーションは、身に憶えがあるのではあるまいか。この逆境にどう立ち向かうか。この情けない医者が、最初はそうしようとしたように、「逃げ出す」、という解も、あるのだが..

*二人三脚

 小学校の運動会。ヒゲオヤジは、息子の昭吾と二人三脚に出場するが、まるでドジで、だんとつのビリッカスで..しかし逆独走状態でゴールめざして走る姿に、大声援..

 ヒゲオヤジは、そんなシーンを回想しながら、十年前のせがれは、かわいかったのに..今やとんでもない悪ガキである。反抗期なのか..しかしそんな生やさしいものではなかった。昭吾は脅迫状を作ると、ブラック・ジャックに発送したのである。一億円出さないと、家を爆破する。むろん、ブラック・ジャックは鼻で笑って、屑籠へポイである。

 つまり昭吾は、テロリスト(まがいの)グループに入っていたのだ。ブラック・ジャックの恐喝に失敗した彼らは、「人民の敵」ブラック・ジャックの家を爆破するために、爆弾を用意する..

 昭吾の悪友を突き止めるために彼のあとをつけていったヒゲオヤジは、昭吾の仲間に殴り倒され、捕らえられてしまった。それを知った昭吾は、つまんねえ(ヒゲオヤジ)男が、よけいなまねをしやがって!!

 ブラック・ジャックの家を破壊しに行く彼らは、ヒゲオヤジもつれて行く。アジトをみられた以上、殺す他はない。何も殺すことは..と、昭吾の腰は引けている..

 車に爆弾と気絶しているヒゲオヤジを積み、ひとりでに走らせて、ブラック・ジャックの医院に正面からぶつけるのだ。しかし走り出した車に昭吾は飛びつき、ヒゲオヤジを助け出そうとしながら、ブレーキを踏む。車は、ブラック・ジャックの医院の手前で爆発した。逃げるグループ。残されたのは、瀕死のヒゲオヤジと昭吾であり、ブラック・ジャックとピノコは、昭吾は救出出来たものの、ヒゲオヤジは救えなかった。そして手術室で、昭吾と、ヒゲオヤジの死体を並べて、手術が始まった..

 翌日、昭吾の母が、ブラック・ジャックの医院を訪れた。夫は死んだが、息子の命は助かった。早く良くなっておくれ、という母に、この医者にかかった以上、目玉が飛び出る位、払わされるよ、と昭吾。ブラック・ジャックは、そのとおり、まず一億円はかかったが、あの脅迫文の一億円を帳消しにしてくれれば、トントンになる。治してやるが、もう二度と、あんな脅迫の真似はしないように仲間に言うんだな。

 おまえがボロ儲けしているあいだは、何度でもおしかけてきてやる、という昭吾に、ブラック・ジャックは、「その足でかね?」

 昭吾の足は、ほとんどヒゲオヤジの死体の骨が移植されていたのだ。ヒゲオヤジは、一生、昭吾の足をささえるのだ。そして、母は、昭吾に父からの(渡さずじまいの)手紙を渡した。それは、教養のない、下手で誤字だらけの手紙だったが、いつか二人三脚で走ったことが、忘れられないのだ、という手紙であった。これから、昭吾と父は、一生、二人三脚なのだ..

*助け合い

 某国の警察で、取り調べ(というより拷問)を受けている、ブラック・ジャック。身に憶えのない、殺人容疑だ。その時、ブラック・ジャックのアリバイを証言する証人が現れた。殺人事件の時間に、ブラック・ジャックが飲んでいたバーで出会った、日本の商社マン、蟻谷だ。国境を越える車の中で、ブラック・ジャックが逮捕されたというニュースを聞いて、わざわざ駆けつけてきたのだ。そしてブラック・ジャックは釈放された。

 困った時に助け合うのは当たり前だ、という彼に、ブラック・ジャックは、何かお礼をさせて欲しい。蟻谷は、いつかケガでもしたときには、助けていただきましょうか..

 日本。札幌の大安商事。蟻谷は、上司の財田局長に呼び出される。会社の不正工作のスケープゴートとして、死んでくれ! どこの会社でも、そうやっとるんだ。手回し良く、遺書も用意されていたが..踏み切り前で、飛び込んで死のうかと、一度は考えた蟻谷だったが、こんな責任を負って死ねるか!と思い直したところで、後から車にはねられ、踏み切りの中に放り込まれ、そこに電車が..

 大安商事の蟻谷課長が、投身自殺をはかって瀕死の重傷、彼は大安商事の汚職事件のいきさつをよく知っていた云々、というニュースを聞いたブラック・ジャックは、彼を救うために動き出す。

 蟻谷が収容された(が、財田の息がかかっていて、治す気が全然無い)「Q急病院」に、手術をやらせろと電話するが、もちろん断られる。半日で北海道まで行こうにも、飛行機は満席。交通法規を無視しまくり、レンタカーを次々と乗り捨て、ボートで海峡を渡って、「Q急病院」に駆けつけた。しかし院長は、ブラック・ジャックにカルテも見せない。ブラック・ジャックは、経営者に現金で二十億叩きつけて、オーナー兼院長となり、(つまり病院を乗っ取って、)手術を強行する。8回の手術を重ねて、蟻谷は危険を脱したが、財田は諦めない。今度は「自殺」ではなく「事故」で死んでもらえばいい..意識を取り戻した、顔中包帯まみれの蟻谷は、ブラック・ジャックに、自殺ではなく殺人未遂だ、今後も命を狙われる、と、訴えるが、ブラック・ジャックは、多分、二度と狙われることはない、と請け合う。

 そして退院の日。財田の手のものが、蟻谷を「事故死」させるべく、病院の玄関口でスタンバイしていたが、蟻谷は出てこない..いや、実は既に退院していたのだ。なぜか見逃したのだ。財田は、奴が生きている限り、俺は枕を高くして眠れない..

 見逃したのもどうり、蟻谷は、別人のような顔になっていたのだ。何しろ顔がぐちゃぐちゃだったので。ブラック・ジャックがここまで蟻谷につくしたのは..「おたがいさまでさァ。あなたに助けられたときは、もっとうれしかった……」。


*手塚治虫漫画全集 159

(文中、引用は本書より)


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Last Updated: Feb 16 2000 
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