ブラック・ジャック 8

*白いライオン

 アフリカはアンゴラ共和国からの依頼者である。患者は、日本に寄付した「白いライオン」、ルナルナだ。原因不明の病気で、日に日に弱っていき、今は公開が中止されている。獣医の診断はノイローゼ。空気のせいでは無い。

 ブラック・ジャックは動物園に赴く。毎日二万人の人が押しかけていたのだが、公開は中止されていて、子どもたちが可哀想だ。ブラック・ジャックの診断でも、あと一週間ともたないだろうが、全国の子どもたちのためにもなおしてやってくれ、と、頼まれて..

 ひと晩じっくり診察したい、と、ブラック・ジャックはルナルナを借り出す。ピノコは大はしゃぎだ。可愛い可愛いと、ルナルナの迷惑顧みずかまうピノコを見て、ブラック・ジャックの下した処方箋は、「人間から永久に離すこと」だった。ルナルナは、アルビノ=白皮症なのだ。それだけでも体が弱いのに、この目立つ体のために、全然自分の自由がなく、ことに日本に来てからは、毎日何万人の目にさらされて..これでは普通でも気が狂う。白いから見せ物にされるのだ。彼を治療する唯一の方法は、色素を注射して、白い体を普通の体にしてしまい、アフリカの原野に放してやることだ..

 白いから可愛いのに、と、猛反対するピノコを、お前はまともな体に、一人前の体の女の子になりたいと思ったことはないのか、ルナルナも、きっとそう思っているんだ、と、説得する。そして、ルナルナは治るが、どういう結果が起きても構わないか、と、動物園を承諾させた上で、色素を注射し..かくして、ルナルナは白いライオンではなくなった。商品価値のなくなったルナルナはアフリカに返され、ブラック・ジャックのもとには、全国のこどもたちから抗議の手紙の束が殺到する。

 原因不明も何も、病因は、最初からほとんど明らかである。キーポイントは、序盤から、「子どもたちのために」と何度も繰り返されていること。動物園の関係者たちは、「ルナルナのために」とは言わないのである。最後に一度だけ、ブラック・ジャックに「ルナルナを殺すかお客をがっかりさせるか、どっちをとるかね?」、と二者択一を迫られた園長?は、「ルナルナを助けてください…」と答えるが、この時点では彼は、「皮膚に色素が沈着する」ということの意味が、判っていなかったのである。判っていたら、反対したに決まっている。

 障害児(あるいは奇形児)に対して、「おまえもまともな体になって、幸せをつかみたいだろう?」と問いかけるのは、こんにち的なモラルの視点からは、グレーかも知れない。

*ホスピタル

 「中立病院」内の大名行列。医長の王仁川の「ご回診」なのである。

 骨肉腫の患者、木村少年に対して、手遅れだ、腕を切るしかない、手術の日は追って沙汰する(もとい、通知する)、と、無情な診断をサクサク下すと、大名行列は次の病室へ。しかし木村少年は、腕を切られるのはいやだ、と、苦しむ。

 中立病院を訪問したブラック・ジャック。大学で同期だった辰巳医師に、相談に呼ばれたのだ。辰巳の相談というのは..ここは東亜大学出身の医者が多く、医長の王仁川が東亜大学出なものだから、その学閥が病院を支配しているのだ。おかげでよその大学を出た辰巳らは、小さくなっていなければならない。ところで、問題の骨肉腫の患者、木村少年は、辰巳の受け持ちなのだ。そして少年はピアノの天才であって、ピアノに命をかけているのだ。辰巳の診断では、切らずにすむはずだ。しかし王仁川は、一目みただけで、切ってしまえ、と命じたのだ。辰巳は少年の一生のためにも切りたくないが、王仁川に逆らうということは、病院を追い出されるということだ。それでブラック・ジャックに相談したのだが..大病院のことにはかかわりたくない、と、ブラック・ジャックはにべもない。

 病院からの帰り際に、大名行列に出くわしたブラック・ジャックは、王仁川に、無免許医の来る場所じゃない、と、誹られる。そのくらいは(慣れているし)屁でもないが、王仁川の同期だった本間医師を侮辱されて、激昂する。そして気を変えた彼は、木村少年のオペを手伝うことにした。但し、ブラック・ジャックの名は出さずに、辰巳が執刀したことにするのだ。

 医長の絶対命令であるから、腕はいったん切り離す。それから患部の腫瘍部分を切除して、つなぎなおした..

 辰巳医師が腕をつなぎ戻した、と聞いた王仁川は、わしでもやったことが無いのに、そんなことが出来るか、と、確認に来たが、ギブスを外した腕は見事につながっており、指も動く。リハビリをすれば、また、ピアノが弾けるようになる。

 三流大学出のお前にこんなことができるか、誰がやった!とつめよられた辰巳は、ブラック・ジャックがやった、と、あかした。ブラック・ジャックも自分と同じ三流大学出だが、やったのだ。

 天狗の鼻をへし折られた王仁川は、無免許医に執刀させた責任を取らせて、辰巳を解雇した。ブラック・ジャックの名を出せば、こうなることは判りきっていたのだが、辰巳は、一度だけ東亜大学出の大先生を、ガクーッとさせたかったのだ。(ちょっと、動機が不純ではありませんか。)

*絵が死んでいる

 楽園のような南海の島で、鳥と自然に囲まれながら、画業に励む画家、ゴ・ギャン。その島の沖合で、突然の核爆発! 村人は全滅し、鳥たちも死に、ゴ・ギャンの皮膚も崩れ落ちた。平和郷は地獄と化したのだ。

 日本の療養所で治療を受けていたゴ・ギャンは、ブラック・ジャックを呼んだ。あの核爆発は、最近、核兵器を作り出したK国の、突然の実験だったのである。無論、事前に警告はしていたのだろうが、島の奥までは届かなかったのだ。そして自分は、地獄を見た..どうせ自分はもうすぐ死ぬが、核爆発の残酷さを世界に伝えてから死にたい。書いたりしゃべったりするのは苦手だが、画家だから、絵として残したい。せめて一年、いや半年、その絵を描きあげるまで生かしておいて欲しい..

 しかしブラック・ジャックの診断は、もって二週間。今まで生きていたのが不思議なくらいだ。生き延びたければ、皮膚も内臓も全部入れ替えて、それでも追いつかないだろうが..7千万円。ゴ・ギャンの返答は、描き上げた絵を持っていってくれ! それを7千万円で売ればいい。

 手術を開始したものの、どこから手をつけていいか判らないほどの惨状である。都合良く、さっき心臓マヒで死んだばかりの死体があるので、脳と心臓を、そちら側に移植することにした。つまり、身体を「総替え」するのである。ゴ・ギャンは、いくら生き延びたって、他人の体はごめんだ、と訴えるが、さもなくば、このまま死ぬのだ..取りだした脳髄の入れ替え手術。ひとつひとつ神経をつないで行く..

 数ヶ月後、新しい肉体を得て、拒否反応も起こさず、ゴ・ギャンは制作に励んでいる。しかしブラック・ジャックには、心配なことが、ひとつあった。拒否反応よりも恐いことが。多分、それは現実に起きるだろうが..

 ゴ・ギャンの描く、核爆発の地獄図。それはなかなか大した迫力なのだが..ゴ・ギャンには全く納得がいかない。あの地獄は、こんなものではなかったのだ。この絵は死んでいる。地獄のイメージが消えてしまったのだ。もしも放射能障害で死にかけていたら、本物の生きた絵が描けたろうに..そして彼は、ほとんど仕上がりかかっていた絵をうっちゃって、絵筆を捨ててしまった。ブラック・ジャックは、7千万円分の価値は十分ある、と、その絵を持っていったのだが..

 そして1年後、ゴ・ギャンは発病した。精神障害だ。ブラック・ジャックの予想どおりだ。脳に十箇所以上の腫瘍と、脳軟化症の兆し。残されていた脳が、放射能障害で犯されだしたのだ。彼は、ブラック・ジャックが売らずに取って置いた絵を持って来させると、まだ未完成のそれに、最後の仕上げを施し始めた。そして、真の地獄図が完成した時、彼は死んだ。間に合ったのだ。

 ブラック・ジャック・シリーズでしばしば扱われている「脳移植」ものには、その、現代の医学水準からはかけ離れすぎている虚構性を維持しきれていない(つまり、単にファンタスティックであり過ぎるだけの)作品が、実は少なくないのだが、このエピソードでは、「他人の体」に入ってしまったことの結末が本質的であり、テーマと見事に噛み合っている。

*のろわれた手術

 三十年がかりの努力の末、ついに古代人の墓の発掘に成功した。素晴らしい副葬品。大発見だ。そして棺の中には、非常に保存状態のいいミイラが。しかし地底の墓から地上に出ようとした調査隊一行を、落盤が襲う。

 三人の科学者が、重傷で危篤状態になったが、彼らを手術をしようとした主治医が、あいついで事故に遭う。「ミイラの呪い」だ。

 七人も大怪我をしたあげく、ブラック・ジャックにオハチが回ってきた。無論、ブラック・ジャックは、呪いになんか興味は無く、恐れるものではないが、それはそれとして、相手の足元をみながら、容赦なく手術代をつり上げて行く。


「こないだはこないだ。あれから一週間たってますよ。四千万円に値上がりしましたが、どうですか?」

 (ブラック・ジャックと言うと、必要以上にヒューマンな側面が強調されるきらいがあるが、こういうピカレスクな(卑劣と言ってもいい [;^.^])側面が、言うまでもなく、大きな魅力なのである。この「悪」の輝きがあってこそ、彼のヒューマニズムも引き立つのだ。)

 手術を引き受けた彼は、ミイラにも興味を示して見学する。23〜4歳の女性だ。「女もひからびちゃおしまいだねえ」(差別的発言かも。[;^.^])頭の横の大穴と、右脚と左手の骨折。察するところ、大きな事故にあって、それが致命傷で死んだのだろう..

 病院内のブラック・ジャックを襲う、怪異現象の数々! 看護婦は階段の上で転んで、階段下のブラック・ジャックにメスやハサミをぶちまけるし、頭上からはガラスの容器が落ちてくる。とどめは、ブラック・ジャックの足に熱湯を吹きかける、ポットの突然の吹きこぼれだ。それでも、呪いも祟りも信じないブラック・ジャックは、「4人」の手術を同時に行う。重傷を負った3人の科学者と、1500年前の怪我人=ミイラだ。


「ミイラだろうがなんだろうが、ケガ人をほうっておけるかっ」「諸君、私はね、性格として、手術もせずにほうってあるきず口を見るのは、がまんできないんだよ。たとえ死体でもだ!」

 そして何事もなく、4人の手術は終わった。

 病院から帰るブラック・ジャックの頭上に、ビル工事の鉄骨が落下して来たが..! 突然の突風がブラック・ジャックを押しだし、彼は助かった。


「ふしぎな風ですねえ」
「ばかばかしい!」

 ..と去って行く、ブラック・ジャック。

 ブラック・ジャックのダーティな魅力と、ほどよいギャグ、そして怪奇趣味。実にウェルバランスな、軽快で爽やかな快作である。


「ひとり一千万として、四人四千万円。悪くない仕事だ」

*B・J入院す

 交通事故にあったブラック・ジャックは、右腕骨折を含む重傷を負って、入院した。執刀医は、うわさに高いインチキ名医・ブラック・ジャックを嫌い抜いている男であるが、残念ながら、いまのブラック・ジャックは患者である。手術しながら、この神経のどれかひとつでも縫合しなければ、切断すれば..あんたは、二度と指先を使えなくなる..正義のためにはメスの暴力がやむをえないこともある..と、ブラック・ジャックを脅す彼だが、むろん、そんなことはせずに、手術を終えた..

 数日後、入院中のブラック・ジャックの手当をしている「研修医」。彼女はブラック・ジャックを尊敬し、そして恋してしまっていたのだ。そんな彼女を、医者はしごく、鍛える。「これは嫁入り前のけいこごとじゃないんだ!!」「人間の命がかかった仕事だぞ、命が!!」「ブラック・ジャックとなどイチャイチャするな!!」..

 やがて退院も近くなったある日。医者はまげて、ブラック・ジャックに頭を下げた。彼女と結婚してくれ。私と違って、先生を世界一尊敬している。彼女は、私のたったひとりの妹なんだ。このままでは仕事も手につかんし、女医としての勉強もうわの空だ。もしも結婚してもらえないのなら、二度と妹に姿を見せないでほしい..

 そしてブラック・ジャックは、彼女の知らないうちに、突然退院し、それを知った妹は、逆上して兄を責めて病院から飛び出して、それを追った兄は、交通事故に遭う。

 彼女は、ブラック・ジャックに電話をした。すぐに手術をしないと命が危ない。ブラック・ジャックは、私は右腕がまだ使えない。それにあなたとは、もう会わないほうが、お互いにいい、と、答えたが..


「いつ先生にオペをお願いしまして? 私、これでも医者ですわ。私が手術をするんです!」

 顔を赤らめるブラック・ジャック。彼女が依頼したのは、執刀への立ち会いであり、間違っていたら指示することなのだ。ブラック・ジャックは、もちろん、すぐに駆けつける..

 ブラック・ジャックが、全く執刀しないパターンのひとつ。兄妹愛と、妹の自立(成長)物語のダシにされて、はっきり言って、ブラック・ジャックはいい面の皮である。

*気が弱いシラノ

 体の弱い少女、ジュン。入院せずに、自宅で療養しているのだ。彼女に想いを寄せている白野は、しかし気持ちを打ち明けられない。自分の顔は不細工だし..それにジュンが恋しているのは、伊達男の栗須なのだ。栗須への恋心が、彼女の体を持ちこたえさせていたのだ。(栗須には他に恋人がいて、ジュンのことなど、気にかけていなかったのだが、彼女はそのことを知らなかった。)だから白野は不本意ながら、「栗須からのラブレター」のメッセンジャーボーイの役割に甘んじていたのだが、実は、その手紙は、全て白野が書いていたのだ。

 しかし一ヶ月後、栗須はあっけなく交通事故で死んだ。このことを、ジュンが知ったら..そこで白野はジュンに、栗須は旅行中だ、と、嘘をつくと、ブラック・ジャックを訪れた。自分の顔を、栗須の顔に整形手術して欲しい。三年間もつきあっていて、自分の気持ちを告白もできないのか、と、ブラック・ジャックは白野を叱りつけた上で、本来は五千万円かかるところを、格安の千円コースで、整形手術する。包帯が取れるのは、三ヶ月後だ..

 白野の包帯姿に驚くジュン。ぼくは三ヶ月で治るけど、その頃にはお別れだ。引っ越すからね。でも、栗須が帰ってくるよ..しかし、大切な友だちの白野と別れたくないジュン。そして次第に、彼女の栗須への恋心は、さめていったのだ。何しろ、白野と違って、一度も交際したこともないのである。状況の変化にうろたえる白野..

 そしていよいよ、三ヶ月目が近づき、別れを告げる白野に、本当に好きなのはあなただった、愛とは何かがようやくわかった、どこにも行かないで! と引き留めるジュン。遅すぎた、僕の顔は、もう、栗須の顔だ、と後悔しながら包帯を取った白野だが..なんと、元の顔だ。ブラック・ジャックは手術をしなかったのだ。ちょうどそこに現れたブラック・ジャックは、「こうなると思っていたからね。千円じゃ安いだろう」

 「シラノ・ド・ベルジュラック」を下敷きにした、爽やかな恋物語。ブラック・ジャックは、ここでは単なる、恋愛コンサルタント業。

*リンチ

 シシリアの片田舎の村に呼ばれた、ブラック・ジャック。大地主ジェルビーノの娘の、子宮癌の手術をするためだ。アル中で手術できない地元のスッポ医師に、替わりに手術を、と、助けを求められたのである。他のイタリアの外科医に頼めないのは、誰一人来てくれないからだ。この村は、極端によそ者を嫌い、そのことはイタリアじゅうの医者が知っている。特に女は、よそ者に肌をさわらせない、それが医者でもだ。下手に触ると、村の人間が黙っていない。それを聞いて、ブラック・ジャックは呆れた。手術も診察も出来ないじゃないか!

 よそ者は結構!と拒絶するジェルビーノ。スッポが、世界一の外科医だと保証するので、しぶしぶ承諾するが、娘が嫌がったらただじゃおかん、と、釘を刺す。ブラック・ジャックは、娘(アンナ)をひとめみて、手遅れだ、無駄なことはしたくない、と、見捨てて帰ろうとするので、さすがにジェルビーノはブラック・ジャックを引き留める。ブラック・ジャックの出した条件は、娘をいじくりまわして切りさいなむが、いっさい文句は言わないと誓え、というものであり、ジェルビーノは、これを呑んだ。

 気丈に拒絶するアンナの服を脱がせて触り、診察するブラック・ジャック。それに耐えるジェルビーノ。アンナをスッポの医院へ運んでレントゲンと手術の準備をするよう指示したブラック・ジャックは、いったん宿に引き上げたが..

 村人たちの襲撃。ズタズタにリンチされるのを、平然と見て見ぬ振りをする、帳場の人間。ホテルに這い戻るのを手助けもしない通行人たち。ボロボロの体でスッポの医院に向かうブラック・ジャック..

 彼の姿に驚いたジェルビーノ。もちろん、彼の差し金ではないのだ。アンナだ。ブラック・ジャックに触られて癪にさわったアンナが、村人たちを煽ったのだ。お前の命を助けてくれる人に、なんと恥知らずな真似を、と、叱りつけるジェルビーノ。

 大怪我を押して手術を始めるブラック・ジャックに、治ったら娘に存分に罰を与える、と、約束するが、その必要は無い。アンナは治るためには、女として一番大事な部分を切り取られるのだから、それで十分罰を受けることになる..

 手術を終えたブラック・ジャックを送り出すとき、ジェルビーノは、恩人であるブラック・ジャックに手を出した村人たちを、恥知らずめ!と、叱りとばした。

 偏屈な男として登場したジェルビーノは、(娘をよそ者に触らせたくない、という)自分の気持ちに耐えて約束を守った、信義の男であった。

 子宮の摘出手術を「罰」呼ばわりするのは、ちょっと気になる。なんの悪事も働いていないのに子宮の摘出手術を受けざるを得ない女性はいるわけであって、彼女らは、なんらかの「罰」を受けたわけではないだろうから。

*二人目がいた

 姥本琢三を訪れたブラック・ジャックは、彼が病気だときいて、顔を曇らせた。全身に癌が転移していて、もう手遅れだ。やっと見つけたのに..じゃ、これで、と立ち去ろうとするブラック・ジャックを、姥本の娘が引き留めた。あなたも医者なら、ちょっと見ていってくれ、と。

 凄まじい転移だ。私なら治せるが、治す気もない。治すいわれがない。そう言って立ち去るブラック・ジャック。父に恨みでもあるのか、と、悔し涙にくれる娘。

 帰途、不発弾の事故の回想の苦しめられ、迷い抜いたあげく、ブラック・ジャックは、姥本の娘に電話をする。心からおとうさんを治したいのなら、私の家に連れてきなさい。但し手術代は高いから払えまい。ほかのもので埋め合わせるなら、それでもいい。おまえさんのからだを私の思いのままにさせる気なら、手術代をまけてあげよう。受話器を叩き置く娘。

 二週間後、ようやく決心のついた彼女は、姥本をブラック・ジャックの医院に連れてきた。覚悟を決めたから、早く手術をして下さい! さっそく手術にとりかかるブラック・ジャックは、彼女に、服を脱ぐよう指示する。おまえさんの体を使う。腎臓の片方や、そのほか移植に必要な部分をもらう。からだを思いのままにさせろというのは、こういう意味だったのだ。もっともな誤解 [;^J^] を解いて、ほっとした彼女は、父の隣りの手術台へ。手術を始めたブラック・ジャックは、しかし手術中、思わず姥本の体に刃物をつきつけたくなる衝動と、戦わなくてはならなかった..

 一年後、姥本の娘がやってきて、父は死んだ、と、告げた。衝撃を受けるブラック・ジャック。死因は癌ではない。彼の手術でどんどん元気になった彼は、ふとしたはずみに心臓発作で倒れたのだ。安らかな死に顔だった。素晴らしい手術だった。父も心残りは無かったでしょう..しかし、ブラック・ジャックのやりきれない気持ちは、彼女には解っていなかった..

 不発弾の杜撰な処理をした責任者が五人。現場責任者が姥本琢三だった。その爆発事故で犠牲になった婦人は、全身がズタズタになって死んだ。彼女の残された息子は、彼女を不幸な死に追いやった五人に対する復讐を誓ったのだ。やっとみつけたひとりは、ある孤島で恐ろしい目に合わせた。二人目が姥本だったのだが、ようやく彼を訪ね当てたときには、既に死人同然だった..

 そんな彼を助けたのは、個人的なことと仕事は別だからだ。姥本の娘は、さすがにショックを受けて、なにか自分にできることはないか、と申し出るが、ブラック・ジャックは、もう二度と会いたくない、と、彼女を去らせる..

 姥本を治したのは、情ゆえではなく、病人を見捨てられないという、プロ根性からであった。それが(「情」的には)裏目に出たわけだ。「元気な体にしてから、ゆっくり復讐するつもりだった」という彼の言葉も、恐らく作ったものであったろう。彼は、単に、治さずには居られなかったのである。

*悲鳴

 声帯ポリープの切除手術が終わった。当分、会話は禁止。筆談ですませなさい..

 その患者は、高校の放送部のマドンナだった。その美しい声に、全校生徒が憧れていた。声優になるのが、夢だったのだが..ある日突然、しゃがれ声になってしまったのだった。

 ブラック・ジャックの診断では、ただの声帯ポリープ。これは、声をやたらと使う人間には、よく出来るものなのである。あまり声を出さなければ危険はない。命に関わるものではないから、声がかすれたくらいで悲観するな、と諭すのだが..

 美しい声に、彼女の夢がかかっていたのだ。じゃあ、恩師のお孫さんなんだから、1000円で切ってあげよう。そのかわり、手術をしたあとは、絶対に医者の指示に従いなさい。

 そして手術したあと、彼女は、2〜3週間は絶対に声を出すな、というブラック・ジャックの指示に従わず、見舞いに来た友人たちとゲラゲラ笑い合い、その結果、声帯が炎症を起こしてしまった。手術の成果を無駄にした彼女を、ブラック・ジャックは叱り飛ばす。世の中には、命が助かるために死にものぐるいになっている患者と、それを助けようと死にものぐるいになっている医者がいるのに..あんたはなんだ!

 そして彼女は声帯麻痺を起こし、ガマのような声になってしまった。その声は一生治らない、と宣告されて悲嘆にくれる彼女に、ブラック・ジャックは、これから一年間、どんなことがあっても声を出さなければ、人工声帯をつけてやろう、と約束する。今度こそ、約束したぞ。死にものぐるいで守れ。

 退院して学校に戻った彼女は、いっさい喋らなかった。不良たちに襲われた時も声を出さず、鞄を投げて通行人に合図して、事なきを得た。そして一年後、人工声帯をつけてくれ、と(筆談で)言う彼女に、ブラック・ジャックは、人工声帯なんかない、あれは嘘だ。絶望して医院の外に走り出した彼女は、足もとを誤って、崖から落ちそうになり、思わず悲鳴をあげた。もとどおりの、美しい声で。

 炎症がおさまれば、自然にもとの声に戻っていたのである。一生治らない、と、脅かしたのは、そうしなければ、彼女が真剣にならなかったからだ。「私は、死にものぐるいでなおそうとする患者が好きでねぇ」。

 やや、後味が悪い。彼女に科したペナルティが、重すぎるような気がするからである。見舞いに来た友人たちも、しゃべれないということは知っていたんだから、面白い話をして笑わせるなんて、そりゃ酷いよ。

*虚像

 これもまた、屈指の名作のひとつ。

 平松小学校のクラス会。盛会だ。ブラック・ジャックも出席しているのだが、しかし大事な人が欠けていた。彼らの担任、志摩先生だ。病気らしいが、居所もつかめないのだ。

 いい先生だった。いつも生徒の味方で..相談相手になってくれて..しかし甘いだけではなく、厳しい面もあって..彼に人生を学んで、教師になった男もいる。しかし志摩先生は、突然学校をやめて、去ってしまったのだ。校長室の金庫をあけたからだ。校長や理事の不正の証拠を探していたのだ。入学金裏金反対運動などをやって、煙たがられていた。正義感だったのである。

 だから、卒業式には志摩先生はいなかった。中途半端だ。志摩先生を探し出して、ちゃんとした卒業式をやりなおそう。先生を捜し出して病気を治す役目が、ブラック・ジャックに割り振られた。

 細民街のボロアパートを突き止めたブラック・ジャック。そこには確かに志摩先生がいた。体を壊し、見る影もなく零落した、廃人寸前の志摩先生が。麻薬中毒だ。ブラック・ジャックは、禁断症状に備えて彼を地下室の物置に閉じこめ、治療を開始する。一文にもならない仕事だが..

 おまえさんが治るのを、何十人もが待ちこがれているんだ..志摩は、自分が遠い昔、小学校の教師をしていたことを、ようやく思い出した。しかし、彼らになんぞ会いたくない、やりなおしの「卒業式」になんぞ、出るもんか、と、何故か拒絶する。そして隙を見て飛び降り自殺をはかるが、ブラック・ジャックは手術で救う。

 一命を取り留めた志摩を、なぜ死ななきゃならない、と、諭すブラック・ジャック。あなたというすぐれた教師のおかげで、教え子たちは、みな、立派な大人になった。会社を作った人間も、芸能界にいった人間も、医者になったのもいる。特に可愛がられていた、車椅子の子だ。黒男という子だ。あんたの名前を子どもにつけた女もいる。そのくらい、慕われているんだ。卒業式には出席してくれますね?

 ここまで落ちぶれて、どのツラさげて教え子に会えるか。その資格はない。校長室の金庫を開けたのは、盗みのためだった。不正を暴くためではない。不正な金が金庫にしまわれていることを知っていたから、それを盗みに入ったのだ。本来、教師でもなかった。ニセ教師だ。しかし何年間も教師をしているうちに、受け持ちの生徒は可愛くなり、しまいには本気で教師をやろうという気にもなった。そのあいだ、何回も金庫の金を盗んだが、校長は泣き寝入りしていた。不正な金だったからだ..

 ブラック・ジャックは、ショックを受けたが、この話はふたりだけの秘密にしましょう..真相はどうあろうと、みんなは教師として認めているんだから、責任上、「卒業式」には出てもらう。出ないと詐欺師として訴えるぜ..

 ブラック・ジャックは同窓会の幹事に、先生の病気は回復し、卒業式への出席は可能だ、と連絡する。治療代として皆がカンパした百万円があるが、そんなはした金は受け取れない、先生にプレゼントとしてあげなよ。それから、俺は都合があって出られないから、みんなによろしく。

 そしてクラスの「卒業式」が、盛大に行われた。志摩先生は、感極まって言葉もなく..そして機上のブラック・ジャックは、「先生……、たっしゃで……」。

 例えそれが虚像でも偽りでも、心に刻まれた想いは、「真実」なのである。「事実」や「真相」などの出る幕では、ないのだ。


*手塚治虫漫画全集 158

(文中、引用は本書より)


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Feb 16 2000 
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