ブラック・ジャック 6

*奇妙な関係

 逃げる犯人、追う刑事。一億円強奪犯人だ。時効二週間前なのだ。刑事の車は事故を起こし、犯人の車は、なんとかブラック・ジャックの医院にたどり着いたが..彼には5発ぶちこまれていた。ブラック・ジャックは彼を手術室に運び込み、例によって事情は聞かずに手当を開始するが..すぐに臓器移植をしなければ、確実に死ぬ。

 そこに、刑事も転がり込んできた。手術室がふさがっているので、予備室に入れて手当開始。両足の複雑骨折だが、これは時間さえかければ治る..ひとつ頼みがあるんだが..手術代一千万円をただにするから、肝臓をちょっぴりくれないか。いやなら出て行け、ほかの医者にかかれ。あなた次第で向こうの患者は死ぬ。諦めて肝臓を提供することにした彼は、「この強要はあきらかに書類送検ものですぞっ」(そりゃそうだろうね。[;^J^])

 刑事の脚の手術と、刑事から犯人への肝臓移植手術は、無事におわった。一週間後、入院していた刑事は、あと十日もすれば退院できる、と聞いて、せっかくここまで追いつめた、七年前の銀行ギャングの時効が来てしまう、と、悔しがる。(実は、ふたりの入院患者は、お互いが誰であるのか、知らないのだった。)壁越しに(お互いの素性を知らずに)会話をして、うち解けて行くふたりだったが..一足先に退院する犯人は、壁の向こうの命の恩人が、自分を追っていた刑事だということを知って、愕然とし、そして治療代一億円をブラック・ジャックから請求され、ふぬけたように退院して行く。「元気を出しなさいよ、人生はこれからだ、おだいじに」

 ブラック・ジャックは刑事に、入院してきた日に、こんな落とし物があったよ、と、トランクを渡した。一億円だ! 夢じゃないか、と、喜ぶ刑事。

 えっと、金が戻ればいいという問題ではないような気がするし、そっちは民事ではないかと..まぁいいか。[;^J^]

 時効になった犯人は、たしかに綺麗な体にはなったわけだ。「人生はこれからだ、おだいじに」

*帰ってきたあいつ

 毎年、その地区の学校の学園祭は、学園祭あらしの不良グループにあらされていた。ジョーズというあだなで呼ばれる不良の一味だ。生徒たちが心をこめて作った陳列品を破壊し、盗む。しかし生徒の自治会は仕返しを恐れて、ほとんど、教師や警察には届けていなかったのだ。しかしその日、ジョーズに立ち向かった委員長(ケン一)を殴ろうとして、ジョーズは倒れてしまう。

 心筋梗塞だ。ジョーズが(ほぼ確実に)死ぬと言う噂を聞いてバンザイを叫ぶ生徒たちと、それを叱る委員長。

 彼は絶望的な症状だったが、ブラック・ジャックに回されて、一命は取り留めた。そして一年後..この心臓病は生まれつきのものであり、完治はできない。今後カッとしたり興奮したりすると、命の保証は無い、というブラック・ジャックに、せいぜいおだやかにするよ、と答えて、ジョーズはブラック・ジャックの医院を退院したのだが..

 再び文化祭の季節だった。ジョーズが治ったという情報にざわめく生徒たち。せっかく今年は明るい学園祭が開けると思っていたのに。今年の学園祭は不良はおよびじゃない、と、ジョーズを追い返す委員長に石をぶつけようとして、興奮してはいけないことを思い出したジョーズは、手を出せずに引き返す。他の学校を荒らしに行っても同じ。当然のように、子分たちからは見放された。ブラック・ジャックにねじこむジョーズ。どうともなるはずがない。生き方を変えなければ命が持たないんだから、暴力ザタは廃業しろっ。しかしジョーズは、カッコよく生きたいのである。大人しくしている平凡な人生なんか、まっぴらごめんだ。

 そこでブラック・ジャックは、学園祭のガードマンになることを薦める。学生たちからは感謝される..カッコいいぞ。

 例の高校に、ガードマン志願したジョーズ。罠じゃないかと疑われて、信用されないジョーズは、寂しい表情で、じゃあ、勝手に守ってやる..

 ジョーズが暴れず、悪事を働かないので調子が狂う生徒たち。一方、不良たちは、裏切り者のジョーズが守っているので、恐くて入って来れないのである。

 学園祭の最終日、バザーの売り上げを狙ってくるだろう不良たちに備えて、最後の夜の守りにつくジョーズ。委員長からの感謝の言葉にまんざらでもなく、女生徒たちからは花をもらって、嬉しさを隠しきれない。そして、夜になって襲撃してきた不良たちとの、喧嘩が始まる..

 翌朝、ブラック・ジャックは、委員長から、ジョーズが死んだという電話を受けた。朝、校門の前で、花をまき散らして死んでいたのである。カッコ良く死んだのだ..

 用心棒をやらせれば、いつかはこうなることが、わかりそうなものだが..

 一番、印象的なシーンは、ジョーズが死ぬと聞いて、みんながバンザイしているコマ。彼らを、「こら!! 人が死ぬっていうのにバンザイいうやつがあるかよオッ」、と叱る委員長に、横から、「なんちゃって、ホントはうれしいくせに!!」。

 自分たちを悩ます不良が「死ねばいい」という心情は、真実であろう。死ねば嬉しい。それは、人命を尊ぶ気持ちよりも、遙かに強い。だからこそ、ここでバンザイをしている生徒たちの姿には、素直な勢いがあり、それを(恐らくは建前から)叱っている委員長の姿は、卑劣とまでは言わないにしても、どこか弱い。彼の心からも、重荷が取れたはずなのだ。それを見透かす、脇からの「なんちゃって、ホントはうれしいくせに!!」。実にリアリティ溢れるシーンである。

 そして、こういう役を演じさせると、ケン一は、まさに天下一品である。

*ガス

 ブラック・ジャックの鞄の中に入っていたカプセルを、風邪薬だと思いこんで、ピノコが飲んでしまった。それは、(自殺志願の病人から取り上げた)青酸カリのカプセルだったのだ。あと30分で溶けて、即死だ!

 胃洗浄をしても出てこない。手術だ。レントゲンで当たりをつけて開腹したが、そこには既になかった。ブラック・ジャックともあろうものが焦ったか..あと10分。潮干狩りのように、数メートルもある腸を開けて回っている暇はない。

 ひらめいた彼は、窒素ガスのボンベを、腸の上端につないてガスを吹き込み、内容物を肛門側に吹き飛ばし、そして運を天に任せて直腸を切開した。ほとんど溶けかかっていたカプセルは、そこまて来ていた。崩れる寸前、間一髪、カプセルを取り除いたブラック・ジャック。ピノコの肛門からは、それからしばらくの間、ガスの残りがおならとなって、出続けたのであった。

 最後に、グズグズになっているカプセルを、先端の細いピンセットでつまみ挙げるところは、見ていてハラハラする。スプーンみたいなものですくい上げる方が安全なのじゃないかしら?

*研修医たち

 南米帰りのブラック・ジャックは、市立中央病院の若手の研修医たちに、自分たちがやるオペに立ち会って欲しい、と、頼まれた。聞けば、彼らの勤める病院はしきたりが古く、外科医長の山裏博士が絶対権力を握り、「一人前」の研修医たちである彼らに、ちゃんとした仕事をさせない..看護婦でもできるような下働きしかさせないのだと言う。このままでは自分たちの技術が進まない。

 ある日、診療時間後にやってきて、受け付けられなかった急患を、自分たちがこっそり診てやって、注射も薬もした。このことがわかって、山裏は烈火のごとく怒り、そんな患者は知らん、自分たちで勝手に治せ! そして研修医たちは病院側と決裂して、自分たちだけで手術をしなくてはならなくなったのである。

 水腎症だと言う診断だ。彼らの手術の経験は虫垂炎だけで、あとは博士の執刀を見ていただけだと聞いたブラック・ジャックは、話にならん。みんなで協力して手術するというが、蛙の解剖じゃあるまいし、患者がたまらんな。と、席を立つ。研修医たちはブラック・ジャックに立ち会って助けてもらいたいのだが、ブラック・ジャックは、ナマハンカな手術の助手をつとめるつもりは、さらさらない。彼らの用意した礼金も、はした金だ。山裏博士かベテランに執刀してもらって、技術を憶えなっ。しかしそれでは、研修医たちにとっては、敗北だ。彼らは、山裏博士や病院のお偉方の鼻をあかして、自分たちを認めさせたいのである。が、ブラック・ジャックは立ち去った。

 帰宅したブラック・ジャックからピノコへのおみやげには「わがむすめピノコへ」と書かれていて、奥さんのつもりだったピノコはへそを曲げて寝てしまう。

 あの病院のことが気になって寝付かれないブラック・ジャックは、翌朝、山裏博士を訪問した。彼の述べるところによれば、世間知らずで人生経験もない、大学を出たばかりの研修医たちを甘やかさずに、厳しく鍛える方針であり、それが良い医者になる道だと信じているのだ。身の程知らずの手術をやって、何が起ころうとも彼らの責任。手助けはおよしなさい、と。

 手術室に入ったブラック・ジャック。研修医たちはこれで安心だ!と喜ぶが、ブラック・ジャックは執刀する気はない。見に来ただけなのだ。研修医たちによる手術が始まった。腕前はまずまずだが..しかし、水腎症ではなかったのである。ウイルムス腫瘍だ。誤診にびびった研修医たちは、そんなことは誰にでもある、と、ブラック・ジャックに叱りつけられ、彼の指示に従って処置をすると、すっかり元気を無くしてしまった。そしてブラック・ジャックに、山裏博士のもとで、あと7〜8年は苦労しなっと、諭される。

 一足お先に手術室から出てきたブラック・ジャックは、(他の研修医たちを残して)彼のあとに続いて出てきた男が、マスクを取ってみたら、山裏博士であったことに驚いた。患者にもしものことがあったら大変。まんいちの時は、自分が彼らに替わって手術をするつもりだった。あなたもそのつもりできたんでしょう、と、ブラック・ジャックの援助に感謝する山裏博士。

 帰宅してみたら、ピノコは、例のおみやげと一緒に寝ていた。機嫌を直したらしい。

 結局、本当に患者のことを心配していたのは、執刀する気などないっと突っぱねていた山裏博士とブラック・ジャックであり、研修医たちは、メンツを立てる道具としてしか、患者をみていなかったのである。技術以前に、これが問題ですね。

 ピノコへのお土産のエピソードが、まったく噛み合っていないが..目くじら立てるほどのことではないか。[;^J^]

*てるてる坊主

 竹中外科医院の一家。その一人息子の洋の日記。


「パパは世界でいちばんえらい医者だとおもいます。ママはそのつぎにえらいお医者です。ぼくは大きくなったら、きっと世界で三ばんめにえらいお医者さんになろうと思います」

 しかしその家庭は、問題を抱えていた。竹中が借金をたくさん作ってしまったのである。竹中の後輩のブラック・ジャックがやってきた。彼から三千万円も借金していたのだ。競馬ぐせがあったのだ。洋は、ブラック・ジャックが大嫌いになって、帰れ、と言う。また日を改めて、と、ブラック・ジャック。その夜も競馬ですって、酒を飲んで帰ってきた竹中。

 深夜、ドアの前で騒いでいる酔っぱらいにどなり返し、追っ払おうと階段を下りた竹中は、脳溢血を起こして転落した。そして、葬式。


「パパは世界一のお医者さんじゃありませんでした。パパはお金をたくさん、かりました。ママはかりたお金をかえさなくてはなりません」

 葬式後、ブラック・ジャックがやってきて、一ヶ月で三千万円返せなければ、このお宅をいただく、と血も涙もないことを言う。そして、ものは相談だが、私が手を貸そう。この医院へおやといになれば、三千万円くらいかせがせてさし上げますがね..

 洋は、ブラック・ジャックが気に入らない。


「とうとうママはそいつのいいなりになってしまった。そいつはお医者といってもニセのお医者でしかもあつかましかった」

 しかし竹中未亡人は、ブラック・ジャックには、案外やさしいところもある、と気が付いていた。雨の日の患者さんには、帰ると時に「おまじない」として、てるてる坊主を渡すのである。洋の部屋に勝手に入って本を読んでいたのも、彼の小さいこどもに、どんな本を与えればいいのか、参考にしたかったからだ。(洋は、勝手に入られて、怒ったのだが。)

 ある日、ブラック・ジャックを指名して患者がやってきた。バンチ氏症だ。相談に乗ったブラック・ジャックは、手術料として四千万円要求する。

 ブラック・ジャックは竹中未亡人を助手にして、手術を始める。そして最後の仕上げをまかせると、手術の成功を彼女の手柄にする。そして四千万円の小切手から三千万円を受け取った。残りは彼女のもうけだ。

 一月後。雨。患者も増え、医院の運営も起動に乗ってきたところで、ブラック・ジャックは、そろそろ私もご用ずみ。竹中未亡人は引き留めるが、もう彼女ひとりで、十分やっていける、と。

 洋は、ブラック・ジャック先生を呼び止めて部屋に招じ入れ、いつか覗いていた本を、先生のこどもにプレゼントする。ブラック・ジャックはお返しに、ポケットの中から、テルテル坊主をずらりと引っぱり出すと、雨が早くやむように、と、それを少年の部屋の窓に並べた。


「ぼくはブラック・ジャック先生が世界でいちばんえらいお医者だとおもいます。二ばんめにえらいのはママです。ぼくはきっと三ばんめにえらいお医者に」

 非常に、巧みな構成である。

*湯治場のふたり

 湯治場で鉢合わせになった、ブラック・ジャックと琵琶丸。ブラック・ジャックは、昔の手術のあとがうずくから、とごまかしたが、琵琶丸には見抜かれている。ふたりの目的は、多分、同じなのだ。

 旅館を出て、さらに谷を越え、草原も越えて奥地に向かうブラック・ジャックは、再び琵琶丸と一緒になった。やはり..

 刺生庵。そこで待っていた年寄りの刀鍛冶、馮二斉。彼に言わせると、歳を取ったし、仕事を引き受けるのは、これが最後になりそうだが..

 ブラック・ジャックは、メスを鍛え直してもらうために、やって来たのである。礼金の札束、一千万円。それを無造作に受け取った馮二斉は、ふいごの炎の中にそれを放り込んだ。金の使い道は、これに限ると。

 彼の鍛えたメスは、素晴らしい輝きと切れ味であった。これが一千万なら安い。しかし、あなたに鍛えてもらったメスで、私は自信をつけました、と礼を述べるブラック・ジャックに、馮二斉は、ほんとの刀は、ものを切る道具ではない、心を切るためにある。医者って連中は、まったくもってヤクザだ、と、にべもない。

 琵琶丸のハリも鍛え直す。一万人は刺して、そのうち二百人はツボを刺し間違えている、と、お見通しである。

 外で待っていたブラック・ジャックのもとに、琵琶丸がかけつけてきた。彼のハリを鍛え終わった直後に、馮二斉が倒れたのだ。心臓が止まっている。

 懸命の治療を始めたが..琵琶丸のハリ。効かない。ブラック・ジャックの手術。胸をさいて、直接心臓を刺激したが..

 死んだ馮二斉を埋葬したふたりは、彼の遺書を見つけた。二人宛だ。死ぬことも、彼らが訪れることも、なにもかも見通していたのだ。


「天地神明にさからうことなかれ。おごるべからず。生き死にはものの常也。医ノ道はよそにありと知るべし」

 「この意味がわかったときゃ、また会いましょう」と、琵琶丸は去ってゆくが、ブラック・ジャックには、一生わからないかも知れない。彼には、切るだけが人生なのである。

*鯨にのまれた男

 記憶喪失の正一青年が、帰宅した。しかし母親にも、息子がみわけられなかった。それもそのはず、顔かたちが全く変わってしまっていたのだ。彼は、世にも珍しい事故にあったのだ。

 捕鯨船の船員だったのだが、同僚ふたりと海に転落して行方不明となり、一頭の鯨の胃袋から、3人の、溶けかかった遺体が発見された..いや、そのうちのひとりは生きていた。全身の皮膚が無くなっていたが..

 直ちにオーストラリアに送られ、そこでブラック・ジャックの形成手術を受けたのである。この時点では、3人のうちの誰なのかは判らなかったのだが、すぐにでも植皮手術をしなければ手遅れになるので、ブラック・ジャックは、適当な顔を作り上げた..そして、彼が意識を取り戻したのちも、彼が誰だかは、判らなかったのだ。ショックと脳症状による記憶喪失。内臓も皮膚も声も変わり、つまり、元の人間だったなごりは、何一つ残っていないのだ。血液型は3人とも同じだった。ではなぜ、彼が正一だと推測できるのか。彼が助かった時に履いていた靴に、Sというイニシャルが入っていたからだ。これだけしか手がかりが無いのだ。

 一緒に暮らして、記憶が戻るのを待つほかは、無い。(もしも彼が正一ならば。)しかし、全く見知らぬ同士のふたりは、気まずい。部屋を見ても「母」の手料理を食べてもアルバムを見ても、全く何も思いださない。きっと自分は正一では無いのだ。「母」は、彼が正一だと信じて、何くれと無く気を使い世話をやくが、彼のほうは気を無くしている。ブラック・ジャックに相談にいく正一。記憶は失っても、五感の神経は、多分無くなっていないだろう、と、ブラック・ジャックはアドバイスするが..

 母校に連れて行かれても、駄目。鯨の体内での苦しさをシミュレートするためにフトン蒸しにしてもらっても、駄目。やけ酒を飲んで喧嘩して、家に連れ帰られた彼は、「母」の寝室に忍んで、ネグリジェ姿を覗く。からだをみたら、小さいときに抱かれたからだかどうか、思い出すかと思ったのだが..これでも、思い出せなかった。

 翌日、もう終わりにしよう、おれはやっぱり正一じゃない、あんたは無関係な女だ、と、家から出ようとする正一は、そういえば、昨夜はあんたのはだかを見て、へんな気を起こしたぜ、と軽口を叩く。「母」は怒って彼をひっぱたき..その痛みで、彼はついに思い出したのだ。母の平手打ちの痛さを..

 顔かたちも記憶も失ってしまった人間の、アイデンティティの問題。この話では、結局、記憶が戻るのであるが。

 (全ての)友だちの顔かたちが、ある日突然(微妙に)変わってしまったら、それでもその友だちを、もとの友だちと同じ人格だと思えるだろうか、という、幼年期の恐怖を思い出した。

*約束

 警察に包囲された、アラブの難民キャンプに入っていくブラック・ジャック。そこには、列車強盗のルペペが逃げ込んでいた。ブラック・ジャックは、彼の治療に呼ばれたのである。

 大動脈に銃弾が食い込んで止まっている、という難しい状態である。無論、市内の病院に連れていって手術出来る立場ではない。人工心肺どころか、まともな医療器具さえほとんど無い難民キャンプの中では、ブラック・ジャックといえども、一気にこれを抜くことは出来ず、いったん、大動脈に食い込んでいる銃弾の外側に、もう一皮、大動脈の壁を被せて弾ごとおおい、当面は外れないように固定することにする。そして後日、大病院で改めて手術を行い、人工心肺を使って、弾を抜き取ればよい。

 神業の手術を終えたブラック・ジャックは、後日、ルペペがここを脱出するのに成功して連絡をよこしたら、第二の手術を行う、と約束する。

 難民キャンプの連中がルペペをかばうのは、彼が、ここの英雄だからだ。祖国の難民を救うために強盗団を組織した彼は、金を強奪してきては、難民キャンプの人たちに渡しているのだ。

 一年後、ルペペからの手紙がきた。差し出し住所はパリ警察。彼は逮捕され、一年以内には確実に処刑される身なのだが、ブラック・ジャックによる第二の手術を依頼してきたのだ。ブラック・ジャックは完璧な手術を行い、銃殺される日、ルペペは、手術のあとは撃たないでくれ、と言い残し、その願いどおり、頭部を撃たれて死ぬ。

 「死者との対話」どうようの、「どうせ助けられない死刑囚」テーマ。

*灰色の館

 とある、古い、大きな館に呼ばれたブラック・ジャック。そこで彼を待っていたのは、美しい女主人。そして患者は、地下室に閉じこめられていた、彼女の兄だ。彼は、三年前に大火傷を負って、ふためと見られぬ姿になっていた。それを、元の姿に形成手術で戻してくれ、というのだ。組織の損傷は深い。これは長引く..

 彼は、舌も声帯も駄目になってしまっており、指もひきつって何ももてない。つまり、しゃべれず書けずで、その心の中は、誰にも判らないのだ。なんとも哀れな患者だ。もうひとつ判らないのは、火傷をしてから三年間も、(いくら他の医者には治せなかったからとは言え、)地下室に閉じこめていたことである。しかも、実の兄なのにである..

 日を改めて治療を続けるブラック・ジャックは、重大なことに気がついた。後頭部に殴られた跡がある。しかも、火傷する前に。この男は、殴られたあと、誰かに焼かれたのである。この兄妹のあいだに、何があったのだ?

 ホテルで集めた噂話によると、兄妹仲はひどく悪く、残忍な兄は、いつも妹をいじめていたが、しかし急に「行方不明」になったのである。

 治療はすすみ、あと一週間。植皮はほとんど済んでいるし、人工声帯も舌もつけた。指も動くようになった。喜ぶ妹に、ブラック・ジャックは、復讐のために、ピストルでもナイフでも持てますよ、と。なぜ、一度は兄を殺そうとしておきながら、生き返らせたいんです?

 兄は残忍な男だったが..私にとっては、ただひとりの兄だ。暴君で、いつも私を酷い目に会わせて..ある日、思わず置物で殴りつけ、兄はものも言わずに倒れ、二度と起きあがらなかった。私は兄が死んだと思って、焼却炉で焼き..その、焼却炉の中で、兄は生き返ったのだ。火だるまになった兄の火を消し止め、一命は取り留めたが、もはやもとの兄の姿ではなく、廃人になった彼を地下室に隠し、世界中から医者を捜していたのだ。治った兄には殺されるだろうが、構わない。私は兄を愛している。

 そこに、指と口が効くようになったばかりの兄が、ガスバーナーを持って、入ってきた。先生には感謝しているが、俺はこの女を生かしてはおけない。そう叫んで妹の顔面にバーナーの炎を吹き付けると、屋敷に放火し、ブラック・ジャックはピノコと共に、炎上する館から、辛うじて脱出する。


「医者は人のからだはなおせても………………、ゆがんだ心の底まではなおせん」

 ゴシックロマンである。兄の暴力の理由が良く判らないのだが、仮に理由などなく、性格的なものだとすると、その兄に(反撃したこともあるとはいえ)基本的には逆らわず、殺されることも厭わない妹の行動原理にも、理由などなく、性格的なものなのであろう。単なる近親相姦的な関係よりも、もう少し踏み込んだ、マゾヒズムのにおいが濃厚に立ちこめている。

*ある女の場合

 終電過ぎのホームで、若い女が倒れた。その場に行き会わせたブラック・ジャックは、駅員室で、緊急の手術をする。肝硬変だ。意識がもどった患者は、一文無しだと打ち明ける。当然だ、あんな時刻に、医者にもいかずに、痛みをこらえて駅で夜明かししていたんだから。いつか必ず払うから、という彼女に、ブラック・ジャックは、無理するな、自分の請求金額はとても無理だから。

 私にもプライドがある、払えないと思われるのは悔しい、という彼女は、身の上話を始めた。ちょっと有名な社交場のホステスで、出世欲と名誉欲に燃えていた彼女は、金持ちの男のあいだで女王のようにふるまった末に、ある金持ちと結婚し..もともと愛情などなかったので、毎日が耐えられずに酒に溺れ..そして夫にも耐えられなくなって、飛び出してきたのだ。着のみ着のまま、一文無しで。酒で壊れた体で。

 あとは救急病院に引き継ぐから、と、ブラック・ジャックは去る。手術代は、ラーメン一杯でいいから、と、言い残して。

 季節は移ろい、ブラック・ジャックは、偶然、彼女と再会した。良い暮らしをしているようだ。体も治った。彼女はブラック・ジャックを、是非とも、と、無理矢理自宅に招待する。

 大きな屋敷だ。貿易商と再婚したのだ。彼女は、あのときの支払いが気になって仕方がないから、請求額を教えてくれ。だからラーメン一杯、というブラック・ジャックに、いまはどんな高額でも支払えるから。無一文のときに手術したのだから、ラーメンでたくさん。

 五千万円でも払える、という彼女に、そんな金は欲しくない。その金はあなたの金ではなく、ご主人の金だ。そんな五千万円よりも、心をこめておごってくれるラーメンのほうが満足だ。それに、金持ち意識をふりまく人間は好きじゃない..

 さらに時は流れて..ニュースで、彼女の夫の貿易商が、破産して自殺したということを知ったブラック・ジャックは、いつかの駅のホームに行ってみた。やはりそこに彼女は来ていた。破産して身ぐるみ剥がれたのだ。しかし、最初に会ったときと同じに戻ったというわけではない。今は酒を飲んでいない。だから働ける。それと、靴下の中に、債権者に見つけられないよう、お金を隠していたのだ。ラーメン一杯分..

 これもまた、ブラック・ジャック・シリーズにおける、数多いサファイアの名演のひとつ。どうも..汚れ役の方が、板に付いているような気がしますが..[;^J^]


*手塚治虫漫画全集 156

(文中、引用は本書より)


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Feb 9 2000 
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