ブラック・ジャック 5

*ブラック・クイーン

 手術が好きなブラック・クイーン。切らずに済むかも知れない手足でも、スパスパ切ってしまうブラック・クイーン。冷たくて冷酷なメスの女王。

 本名は、桑田このみ。彼女の恋人のロックは、ブラック・ジャックに例えられるような汚名を気にし、結婚したら、手術はやめてくれないか、と、頼むが、手術が彼女の生き甲斐なのだ。ロックもわかってくれない、と、夜の街でやけ酒を浴びるブラック・クイーン。

 とある酒場で、ブラック・ジャックと出くわして、彼にからむ。(このからみ方が、小気味よい。)


「あなたって、冷酷でクールでメスの鬼で吸血鬼でフランケンシュタインでロボットで氷人間! そうなのォ」
「おっしゃるとおりだ」
「アハハハーァ ハハハー、フッフッフッフフフ ハハハハー、じゃあ同類ね、握手しましょ。あなたとあたしとは同類」

 数日後、ロックが重傷を負い、このみの病院に運ばれてきた。脚がメチャクチャである。切断する他ない。動転するこのみ。恋人の脚でもズバッと切れるかな、と、院内の医師、看護婦たちの、好奇の視線が集中する。「切ったら、ほんとにあの人、メスの鬼よ」..

 待合室でうなだれているこのみを訪れたブラック・ジャック。クリスマスプレゼントを持ってきたのだ。ジャックからクイーンへの。そして、手紙を渡そうとしたところで、このみの表情に気が付く。

 もしも恋人がいて、自分の命より大事な、その恋人の命に関わるとき、手でも足でも切れるか、という彼女の問いに、「私は医者ですよ、医者の診断に恋人もイカの頭もありませんな」。そして、重傷を負ったのがこのみの恋人だと知ったブラック・ジャックは、「それならさっさとオペをやりゃいい。どんどんお切りなさい! 遠慮はいらん!」、と、このみに鎮静剤と偽って睡眠薬を飲ませると、ひとりで、手術室に入る。

 このみが目を覚ましたとき、ブラック・ジャックは既に姿を消しており、そしてロックの脚は、切らずに治されていた。クリスマスイブの奇跡だ、と、(このみがひとりで、手術をしていたのだと思いこんでいた)医者たち。ひとり、病院から退出していたブラック・ジャックは、ブラック・クイーンに渡しそこなったラブレターを、破り捨てる。

 過去の恋人ではない、現役の恋物語は珍しい。そしてそれが、破局以前の片思いで終わってしまうところがまた、ブラック・ジャックらしい。

*死への一時間

 ニューヨークで、新たな安楽死用の薬、カルディオトキシンを仕入れた、ドクター・キリコ。ここちよい深い眠りにおちて、一時間で死ぬ薬だ。一切証拠を残さずに..

 彼は、やはりニューヨークに来ていたブラック・ジャックと、レストランで鉢合わせ..そして話している最中に、鞄を盗まれた。カルディオトキシンの入った鞄を! 動転してレストランを飛び出して、鞄の行方を探すキリコ。行きがかり上、キリコの勘定を払ったブラック・ジャックは、この界隈のかっぱらいのチンピラの名を聞き出す。六番街のジュリアーノだ。

 薬を追うキリコ。彼とは別行動で、ジュリアーノの行方を突き止めたブラック・ジャック。しかし遅かった。貧民街のアパートの中で、ジュリアーノは、心臓病に苦しむ母親に、薬を飲ませてしまっていた。(レストランでの、キリコとブラック・ジャックの会話を、盗み聞きしていたのだ。「ぐっすりおねんねして………………そのあいだに、ハートがだんだん静かになる。いたって楽で平和的な薬さ」。)確かに彼女は、ここ数年来、ないほど、安らかな顔で眠っているが..あと一時間で死ぬぞ! お前がかっぱらった鞄の持ち主を探してこい!

 薬の正体が解らなければ、ブラック・ジャックにも迂闊に手が出せないのだ。40分後、キリコが飛び込んで来た。キリコは購入もとに電話して、助かる方法を聞きだした。効果があるかどうかは解らないが、手術しか無い。大型のペースメーカーの電極を心内膜下に埋め込む..人工心肺が必要だ。ジュリアーノと母親と、ブラック・ジャックとキリコを乗せた車は病院にかけつけるが、あと5分しかない。ブラック・ジャックと、もう手遅れだと諦めかけるキリコが執刀し、時間との勝負になったが、僅か数分間で手術を成功させた。危機一髪だった。心臓の搏動が強まりだしたとき、キリコの表情にも安堵感と達成感が浮かんだ..

 そして最後のページは、ドクター・キリコ・シリーズの名場面のひとつである。要約しても艶消しなので、ネームを1ページぶん、最後まで引用しておく。


(病院の屋上で、夜景を見つめるキリコに、)
「…………ひとまず、一件落着か…………………………。どうだい大将。殺すのと助けるのと気分はどっちがいい?」
「ふざけるな。おれも医者のはしくれだ。いのちが助かるにこしたことはないさ…」
「ところで……この手術代は、だれが払ってくれるのかな。ずーっとたどってみると、どうもおまえさんらしいな」
「ばか、せっかくの気分をぶちこわすな!!」

*ハッスルピノコ

 そろそろ満一歳になるピノコ。主観的には19歳なのだが。そんな彼女に「卒業証書」が届いた。秋田通信進学講座の全課程を修了したのだ。大喜びのピノコは、意気揚々と大学受験に向かうが、受付で相手にされない。どう見たって七歳だし、通信教育の修了証書だって、金さえ払えば卒業させてくれるところもあんのよ、と、通用しない。

 がっかりしたピノコは、帰宅したブラック・ジャックに、学校に行きたい、と、駄々をこねる。おまえはまだ学校は早い、と、説得するブラック・ジャックだが、やむを得ず、裏口入学(というか、裏口受験)を画策する。担当者の前に札束を積み上げて、(もちろん、担当者は受け取らないのだが、)火をつけたのである。「ワーッもやすくらいならもらいますっ」(そりゃそうだよな。[:^J^])

 とにかく受験には、こぎ着けた。大喜びのピノコ。しかしその当日、ブラック・ジャックが恐れていたとおり..試験が始まって、ものの三分とたたないうちに、ピノコは突然痛がりはじめて、医療室に運び込まれたのだ。脳も神経もまだ未熟なので、試験のような雰囲気に耐えられなかったのだ。ブラック・ジャックは、ピノコを連れて帰り、手術するが..胆道ディスキネジーだ。胆道の緊張が異常で胆道がつまってしまうのだ。精神的にしか治しようがない。これでは入学は無理だ..

 受験が駄目だったことを知ったピノコは、幼稚園から始める、と、諦念とともに呟くが..幼稚園で大暴れしたピノコは、幼稚園からも、もう来なくていい、と、追い出されてしまったのだ。

 「くよくよすんな! 幼稚園や学校なんざ、ゴマンとあるさ」。しかし、ブラック・ジャックの胸中は..

*ある老婆の思い出

 老婆が、編み物をしながら追憶にふけっている。そう、今から50年前のこと..

 ある病院の看護婦だった彼女(メアリ)は、患者が死んでもドライに割り切る医師たちに、ついていけない思いを抱いていた。患者と親身になりすぎて、個人的なつきあいになってしまうのである。そんな彼女の目の前で、妊婦が倒れた。異常分娩かも知れない。たまたま行き会ったブラック・ジャックの車を止めて、勤務先の病院に運んでもらう。医者の車に偶然巡り会って喜ぶが、ブラック・ジャックは手術に立ち会うつもりはなかった。病院の医師にまかせればいい..が、医師が出払っていたのだ。ブラック・ジャックは、オペが終わるまで外部にもらすな、という条件で、手術を引き受けるが..

 やはり、外部に(帰宅していた院長に)連絡が飛んでいた。胎児と母体を救う、危ういところで、手術中に飛び込んで来た、院長。手術はやめて出て行け、さもないと、法外な手術料を請求されて、病院の経営が傾く..そしてブラック・ジャックは、警官に手術室から連れ出されかけるが..その時、胎児が生き返った。母体も救うために手術を続行するブラック・ジャック。「そうビクつくない!! おまえさんの顔色を見てたら、手術料をとる気もなくなったぜ」

 親子は助かり、ブラック・ジャックは警察で絞られて釈放。夜の公園で、ブラック・ジャックは、看護婦の仕事に自信をなくしたメアリに、「もし人のいのちを救って、その人の人生をかえたなら、もしかしたら歴史だって、かわるかもしれないだろう?」

 患者と赤ちゃんは無事に退院し、メアリは彼女の強い希望で、病院をやめて彼女のうちに乳母としてつとめることになった。そして、光陰矢のごとし。奥さんが亡くなるとき、メアリは息子のことをくれぐれと頼まれて、息子どうよう、大切に育て上げたのである。そして彼は政治家になり..


「ただいま、メアリおかあさん」
「お帰りなさい、大統領閣下」

 このラストシーンの衝撃と感銘は、忘れがたい。

*不発弾

 熱気球への搭乗を招待された、とある会社の、井立原社長。客席にはもうひとり、ブラック・ジャック。搭乗したのは、このふたりと操縦士だけだ。やがて気球は何故か流され、小さな孤島に不時着し、ブラック・ジャックと井立原が降りている間に、操縦士は気球を発たせてしまう。この孤島は、ブラック・ジャックの地所だったのだ。彼らは丁度島の中央に不時着したのだが、もしも海岸のどこかにつないである船に辿り着けば助かる。但し、地雷が555個、埋めてあるが..と説明したブラック・ジャックは、ひとり、ヘリコプターで離脱してしまう。大怪我をしたら、なおしてやると言って..

 取り残された井立原は、地雷を避けるために腹這いになって微速前進しながら、徐々に思い出して来た。このシチュエーションに記憶があるのだ。20年近く前、自衛隊の特別作業班にいた彼は、とある海岸ぞいの道で不発弾の処理にあたっていたのだが、全ての不発弾を掘り出したかどうか良く確認もせずに、作業を終えてしまったのだ。それから3年後、母親と男の子が、残っていた不発弾の犠牲となったと言うが..しかし自分も含めて、当事者たちは異動しており、責任は曖昧なままに終わっていたのだ..

 やがて井立原は、地雷を爆発させてしまい、大怪我を負った。ヘリで戻ってきたブラック・ジャックは、彼を回収して手術すると、ベッド上の彼に真相を伝えた。

 いい加減な不発弾処理の犠牲になったのは、ブラック・ジャックと母親だったのだ。彼はほとんどバラバラになった体を、つなぎあわせてもらったが、母親は、四肢も声も失っていた。父親は愛人と逃げてしまい..そんな父親をも、母は許したのだが、ブラック・ジャックは復讐を誓ったのだ。母の一生をメチャクチャにした犯人たちに、それ以上の苦痛を与えてやる、と。

 彼はがむしゃらに金を貯め、金の力にものを言わせて犯人たちを探しまわり、ついに関係者が5人いることを突き止めた。井立原は、そのひとりだったのだ。不発弾の埋まっていた地所を早く売りたがっていた役人に金を掴まされて、まだ不発弾が残っているかもしれないのに、立入禁止の立て札を外したのだ。ブラック・ジャックは、彼に自白させると、そのテープを証拠として、押さえたのだった。あと4人..

*身代わり

 クロイツェル中央病院に呼ばれたブラック・ジャックは、その病院の前に佇んでいた少女に、「悪魔!」と、空き缶を投げつけられ、指先を怪我してしまう。彼女はすぐにハンカチで手当してくれたが..まっ黒な格好をしていたので、悪魔だと誤解したのだ。彼女の母親は、この病院に、ずっと入院しているのだ..

 ブラック・ジャックが呼ばれたのは、院長の「身代わり」として、公開手術をするためだった。院内政治のゴタゴタで、二ヶ月前から植物人間状態のクロイツェル院長が、健在である、と、アピールする必要があったのだ。

 クロイツェルに変装したブラック・ジャックは、見事に公開手術で難手術をこなす。彼が贋物ではないか、と疑っていた反対派の領袖たる副院長も、感服して、疑いを解いた。しかしブラック・ジャックは、(約束では、人前に顔を出すのは公開手術の時だけだったのだが、)患者には責任がある、と、あと一日、クロイツェルとして診察することを強行した。ブラック・ジャックに依頼した男としては、身代わりということがばれる危険が増すばかりなので、一刻も早く立ち去って欲しいのだが..

 翌日、(手術で奇跡的に持ち直した)患者を見舞いに来た娘は、ブラック・ジャックの変装を見抜き、彼の正体を皆の前で、無邪気に明かした。「ブラック・ジャックさんでしょう!」..昨日、病院の前にいた少女だったのだ。握手に差し出した彼の指先の傷に、見覚えがあったからだ。

 贋物と判ってしまえば、彼(の手術)に対する医者たちの尊敬も吹き飛び、「詐欺で告訴してやる!」、と、石持て追われる。むろん、(計画をぶちこわしにされた、依頼者からの)報酬も無しだ。病院から去る彼を追う、無邪気な少女は、「おじちゃんは悪魔なのに、どうしてママを助けてくれたの?」

 ..設定の根幹に関わるところだから、うるさいことは言わないが、外科医ともあろうものが、不用意に指先(それも右手の人差し指)を怪我したらいかん。

*サギ師志願

 深夜、息子を抱えて、みすぼらしい身なりの母親(サファイア)が、病院から病院へと走り回る。しかしどこでも門前払いだ。ようやく、矢部井医院の矢部井医師(ヒゲオヤジ)が、ドアを開けてくれたが..診察代も滞納しているし、彼は渋い顔である。子どもは心臓発作を起こしていた。こんな患者を持ち運ぶとは無茶なことを..そこに、彼女の亭主(丸首ブーン)が怒鳴り込んできた。うちには医者にかかる金なんかねぇっ! 大体、医者なんか信用できない、昔腹膜炎をやらかした時も、どの医者も貧乏人にはそっぽを向き、やっと手術してくれた病院も、治ってから、がっぽがっぽ、入院費を取っていきやがった。だから、金輪際医者にはかからないのだ!

 しかし矢部井の診断では、この子は難病の川崎病かも知れない。手術をしなければ死ぬ。一計を案じた矢部井は、ブラック・ジャックに電話をすると、病状を説明して手術を依頼する。即金で3千万円。患者は払うと言っています..

 そして亭主に金持ちの扮装をさせ、3千万円の小切手を書かせる。もちろん、不渡りだ。詐欺罪だ。しかし、「あんたの子どもを見殺しにするのと、あんたがブチこまれても子どもは助かるのと、どっちがいいっ」

 ブラック・ジャック到着。亭主から3千万円の小切手を受け取ったブラック・ジャックは、矢部井とともに手術を開始する。そして亭主が、手術が終わるのを待ちきれず、善は急げと警察に、詐欺の現行犯だよ、と、自白の電話をしているところに、手術を終えて手術室から出てきたブラック・ジャックと矢部井。

 電話の内容を聞いたのか聞かなかったのか、ブラック・ジャックは、息子さんは助かった、と、母親を安心させると、いかん、パトカーがやってきた。私をつかまえに来たに違いない。なにしろ無免許医だからね、取りあえず裏口から逃げるとするか、と、小切手を亭主に返して、矢部井にあとを頼むと、退散する。

 意気に感じたブラック・ジャックが、ただ働きに甘んずる、というパターンのひとつ。

 「ブラック・ジャック」は、手塚治虫のスターシステムの集大成であって、どのエピソードも、名優たちの共演がみどころなのであるが、このエピソードでは、特にバランスの良い、生き生きとした競演が楽しめる。ちなみに、最後に無駄足を踏んだ警官たちは、中村捜査一課長と田鷲警部であり、最初から最後まで寝ているだけだった息子は、写楽である。亭主の労務者仲間として、ランプとハム・エッグも、顔だけ見せる。

*ディンゴ

 オーストラリアの大平原のどまんなか、車を走らせるブラック・ジャック。平原の広さを見誤り、ガソリンが乏しくなってきた。(もう300キロも、ガソリン・スタンドひとつ無いのだ。)そろそろ患者の家だし、そこで帰りのガソリンはわけてもらえるだろうが..

 彼を呼んだレヤード氏は、かつて来日して、京大病院で診察を受けたのだが、結局原因不明で治らず、帰国していたのだ。改めてブラック・ジャックを呼んだというわけなのだが..しかし、レヤード邸についたところ、なんと一家全滅していた。死後数日。しかも尋常な状況ではない。外傷無し。明らかに突然死である。例の、日本で診察してもらった、無気味な赤い斑点が、全ての死体に浮き出している。これは伝染病なのか?

 そこに、自家用機が接近してきたが..墜落して、物置に激突した。操縦を誤った飛行士の全身にも、赤い斑点が! そして物置の中に貯蔵されていたガソリンに引火して、物置も母屋も、炎上した!

 頼みの綱のガソリンを補給しそこなったブラック・ジャックは、100キロほど離れたところで(無用の長物と化した)車を捨てて、平原を歩き始める。果てしなく続くキャベツ畑の中を、いく昼夜も..

 歩き始めてから数日後、突然、腹痛に襲われ、その後数日間にわたって、微熱や痛みの症状が一進一退する。原因不明。そしてついに、あの赤い斑点か現れた! 激痛。排泄物を調べたブラック・ジャックは、そこにエヒノコックスの体の一部を発見した。

 エヒノコックスは、犬やキツネや狼などに寄生して、人間の体に入ると、腸を食い破って体じゅう暴れ回り、その毒素は、人間をたびたびショック症状に陥れる、恐ろしい寄生虫である。赤い斑点など出るはずはないが、新種なのかも知れない。

 ブラック・ジャックは、携帯用ビニールハウスの中で局所麻酔をして、自らの開腹手術を始める。そして腸の中から、予想通り、巨大なエヒノコックスを摘出したが..そこに、ディンゴの群れが襲いかかってきた! 身動きできないブラック・ジャックは、メスで応戦するが、絶体絶命。間一髪、猟師が助けにかけつけ、ブラック・ジャックは一命を取り留めた。

 生還したブラック・ジャックによって、この恐怖の寄生虫の猖獗が明らかにされた。既に200所帯もの農家が、一家全滅に近い被害を受けていたのだ。シドニー大学での研究の結果、これは農薬でミューテーションを起こした凶悪な変種であり、ディンゴが媒介をしていることがわかった。思えば、かつて、人間と犬がオーストラリア大陸にやってきて、大陸じゅうの生き物を殺し、多くの種を絶滅させてきたのだが、今度は、その犬が野生化した末裔たるディンゴが、人間に死をばらまいているのである..

 SFではないが、もっともSF的なテイストに満ちあふれた傑作。冒頭の謎の無気味さと、構成の力強さ。

*

 大病院で手術を終えた、ブラック・ジャック。患者の指名だったのだ。ますます腕が冴え渡って、得意満面とも思えるブラック・ジャックに対して、「人間のからだをあなどっちゃいかん、あなどってかかると、きっとしっぺがえしをくらうぞ」、と、忠告する山田野医師。人間の体は、理屈どおりには治せない、と。

 帰途、かなり大きな地震があった。嫌な予感がして病院に引き返したブラック・ジャック。やはり事故が発生していた。さっきの患者に静脈注射している最中に、地震で、点滴静注の台が、注射をしている手の上に倒れ込んで、針が折れ、その先端が体の中に入って、行方不明になってしまったのである。恐らく、静脈の中を流れて行ったのだ。ほとんど考えられない事故だ。レントゲン像を見ると、針の先端は、血管の中を引っかかりながら、徐々に心臓に近づいている。もしも針先が心臓に届いたら..心臓の壁や弁を傷つけたら..そしてかりに心臓を突破したとしても、その先には、肺臓がある! 抜き取らなければ、命が危ない。

 電磁石、小型レーダー、そして人工心肺! 機材を駆使し、ブラック・ジャックの神懸かりの早業を持ってしても、針は捕まえられず、それどころか、完全にその姿を消してしまった。打つ手無し。やむを得ず、手術は中止された。

 数日後、不機嫌なブラック・ジャックのもとに、病院から電話。なんと、針が、患者の体内から出てきた、というのである。それも、もとの腕の中の「動脈」から。つまり、針は、静脈から、心臓、肺、動脈を通り抜けて、またもとの腕に戻ってきたのである。どこも傷つけずに。まずいものを食った口が吐き出すように、自然に吐き出されたのである。ブラック・ジャックには制御できない(手の出せない)ところで、“勝手に治った”患者の体。

 山田野医師の、「人間のからだをあなどっちゃいかん、あなどってかかると、きっとしっぺがえしをくらうぞ」という言葉を思い出したブラック・ジャックの、悔しい表情。

 (ここでは、医学界の鼻つまみ者と言う描き方ではない。病院中の医者が、ブラック・ジャックに敬意を払っている。)

*空からきた子供

 ウラン連邦の軍用VTOL(レポール)が、ブラック・ジャックの医院の庭先に着陸した。ガガノフ空軍少佐とその妻、そして彼らの息子であり患者であるアンドレイだ。ブラック・ジャックを国に呼ぶわけには行かなかったのだ。彼らは特殊訓練軍兵士で、封鎖区域内から出ることも外国人と接触することも許されていないからだ。

 ブラック・ジャックの名を知った彼らは、極秘兵器であるVTOLを盗んだのだ。国を裏切り、極秘兵器を盗み、地位も名誉も国籍も捨てて、日本へ逃げ込んだ裏切り者となったわけである。我が子のために..

 しかし、ブラック・ジャックは、一度は手術を断った。アンドレイは心室中隔欠損症であり、手術には手遅れなのだ。あと一年早ければ..と、ブラック・ジャックも苦しむ。既にアンドレイの肺の血管は、高圧がかかって、駄目になりかかっている。肺の血管を洗いざらい取り替えるか、いっそ肺の移植をすれば..しかし肺の代替物があるか? 自分を頼って、一生の全てを犠牲にした家族に、何もしてやれないのか?

 ついに、驚くべき手術をしたブラック・ジャック。母親とアンドレイの体を、つないだのだ。母親の肺とアンドレイの心臓を。むろん、恒久的なものではない。いつの日か、健康な肺の移植ができるチャンスがあれば、その時、改めてアンドレイを切り離すのだ..礼を述べたガガノは、ウラン連邦の軍人として責任をとる、と述べると、眠っている妻子に別れを告げて、VTOLもろとも自爆した。

 昔、初めてこれを読んだ時は、なんと無茶な手術を、と呆れたものだが、再読してみたら、あくまでも一時的な措置なんですな。しかしそれにしても。

 手術代として、ありがね全部200万ドルを支払ったガガノフに、ブラック・ジャックは「これは生活に残しとけ。それよりあのレポールをもらう。一千万ドルはするぜ」、と言うが..捌くルートを持ってるのかよ。(いや、持っていそうな気はしますが、そう簡単に人目に付かないように持ち運べる代物では..[;^.^])


*手塚治虫漫画全集 155

(文中、引用は本書より)


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Feb 13 2000 
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