ジャングル大帝 3

*第3巻 第1章 レオの宮殿

 ルネを諦めきれないライヤ。彼女を慰めるために、ココとトミーはカバのバッカスを設計主任に起用して、レオとライヤの城の建設を始める。象のパグーラは使いの要請をはねつける。

「おれは人間のまねなんかするやつは大きらいだっ」
「おいっ!!チビ、帰ってレオにいえ。ジャングルにはジャングルのくらしかたがあるとな」

 このパグーラの言葉は、全くの正論である。象を除く動物たちが総力をあげて完成した王城を前にした、レオの言葉、

「ジャングル王城か! ぼくたち動物もとうとうこんなものをつくるようになったのか…」

よりも、遥かに説得力があるのではないだろうか? レオは決して人間におもねっている訳ではない。しかし、人間と対等の立場に立とうとするあまり、あまりにも人間の真似をしすぎるように思えるのだ。

お城というより、それは動物たちの安全な避難所で寝場所でした。弱い動物は夜になると集まってきて……… 安心してぐっすり寝ることができるのでした。

 ライヤはすっかり元気を回復したが、しかしやはりルネを忘れることはできない…。

*第3巻 第2章 ニューヨークにて

 ルネはニューヨークで、ダンディ・アダムのサーカスに入れられる。実はこのサーカスは、二重スパイの巣の隠れ蓑だったのである。人語をしゃべるライオン・ルネによる猛獣使いの芸は、大当たり。しかしルネは嫌でたまらず、アフリカに帰りたいと願う。

*第3巻 第3章 死斑病

 ビゾーがレオたちに苛められたと誤解したパグーラは(本当のところは、城の建設の邪魔をしたりいたづらをしたりしたので、おしおきされたのである)、ジャングル中の象たちを集めて、レオの城を踏み潰すべく、取り囲む。レオとパグーラの対決。

「どういうわけだ? 人間なんかのまねをして、あんな用のない物を築いたのは!」
「人間のまねとは思わない。人間にはただ戦うだけの城だが、わしは小さな仲間を守ってやるために作ったのだ」

(あ、一理あるな。[;^J^])

 二匹の決闘のさなか、ライヤの病気が重くなったという知らせが入り、戦いは中断される。ライヤは死斑病にかかっていた。これは人間にはうつらず、動物だけを襲っておそるべき速さで広がっていく、伝染病なのだ。この死病が、今やジャングルじゅうを荒れ狂っていた。死体をなぶって遊んでいたビゾーも、病に倒れる。

 ライヤは死んだ。レオの嘆き。そして今ルッキオにも感染した。なすすべもなくオロオロするレオ。

 その時、遥か彼方から近づいてきたのが、マイナス博士、アルベルト・コッホ、そしてヒゲオヤジたち、A国の探検隊であった。彼らはここが死斑病の大流行地帯の中心であることに気がつく。アルベルト・コッホの指揮の元、病象から血清が作られ、家畜たちに注射される。

 探検隊はレオの宮殿を発見し、レオとヒゲオヤジ、コッホらは再会を果たす。ルッキオを救ってくれればなんでもすると約束する、レオ。アルベルトはルッキオに血清を注射して、治す。レオの感激。人間たちはジャングル中の動物たちに注射をする。また、人間を信用せず、ビゾーへの注射を拒否するパグーラたちを火薬で脅して追い払い、倒れて動けないビゾーに強引に注射する。

 翌朝、すっかり全快したビゾーをつれて、パグーラが和解に来る。人間の医学の力と、動物たちへの献身的な治療の前に、頑なな彼の心も溶けたのである。

 人間と対等に立ちたい、というレオの願い(強迫観念)は、この章で、もっともナマで唐突な形で現われている。レオが自分を知っていることを不思議がるアルベルトに、

「この国へきたら、つまらない好奇心なんかやめたまえ。きみたちとわれわれは対等なんだ。対等で話をつけよう」

と、やや場違いで高圧的な台詞をはき、人間たちをポカンとさせてしまうのである。「レオ、無理しているな」という感想を禁じ得ない。

*第3巻 第4章 ムーン山に関する記録

 これまで「夢の山」と呼ばれてきた幻の山は、以降「ムーン山」と呼ばれる。

 かつてスタンレイによって発見された、この伝説の山。A国探検隊は、月光石を求めて、ムーン山に向かってレオと共に旅立つ。人間たちにルッキオを救ってもらったレオは、人間たちとの約束を守って同行するのである。それは道案内となる(ムーン山に棲んでいる)マンモスとの橋渡しを、期待されてのことであった。彼はルッキオに、恐らく自分は帰らないであろう、その時はお前が女王になって後を継ぐのだ、と、別れを告げる。アルベルトは探検隊に同行せず、レオの宮殿に残って「人造肉」の研究を続ける。

「これが完成すれば、動物たちの共食いは、いっさいなくなります」

 A国探検隊は雨に閉じ込められ、食中毒に倒れる。レオは薬草を取りに行く。そこにやって来たB国探検隊。隊長はロンメル将軍で、プラス教授も同行していた。A国探検隊の窮状に付け込んで、武器を奪い、めぼしいものをかっさらって行くB国探検隊の無法ぶりを、プラス教授になじる、マイナス博士。B国民として、探検隊の意向には従わざるを得ないプラス教授の苦渋。

 B国探検隊は去り、レオが帰って来た。薬草で回復したA国探検隊の前に、ムーン山が、その姿を現わす。

*第3巻 第5章 ルネ故郷へ帰る

 ルネの芸で大当たりを取って、得意満面のダンディ・アダムのもとに、ランプがやって来た。かつてカスパで、アダムに月光石を巻き上げられたランプも、今や暗黒街の顔役。アダムが二重スパイであるという情報をネタに、恐喝にかかる。狙いは、ルネ。

 一方、かつてルネと共にさらわれてきた、ボーイのピートは、ルネを少女に変装させて、逃がす。街中に逃げ出したルネは、人間と自動車の渦に翻弄され、人間の国はなんと恐ろしいところだろう、と、つくづく故郷を懐かしく想い、なんとしてでも帰る、と、決意する。その時、サーカスでは火事が! アダムに痛めつけられた放火の天才、ランプが、火を放ったのだ。ピートと仲間の動物たちを救うために、サーカスに駆けもどったルネは、象たちを指揮して、消火させる。この大混乱の中、アダムとランプは、死ぬ。

 多くの人命を救った、小さな英雄・ルネとピートは、御褒美に帰国させてもらえることになった。アフリカへ向かう船の中で、事情通のトビウオから母が死んだことを知らされたルネは、激しく悔やむ。

*第3巻 第6章 ビッグ・クレバス

 いよいよ、魔境に踏み込むA国探検隊。眼も眩むような断崖絶壁を越えた彼らは、B国探検隊が恐竜に襲われているところに遭遇し、恐竜を退治する。弾丸を使い果たし、(以前とは立場が逆転して)窮乏に陥っている、B国探検隊。マイナス博士は彼らを見捨てて先に進もうとするが、別の恐竜がA国探検隊が隠れる洞窟に向かうのを見て、彼らの救助に駆け戻る。

 A国探検隊を妨害しないという条件で、隊に加えようというマイナス博士の提案を、B国のロンメル将軍は、頑なに蹴る。マイナス博士は、彼の心が動くまで、ここに居続ける、と、決断する。

 両国探検隊の、互いににらみ合ったままの奇妙な共同生活がはじまるが、プラス教授とマイナス博士だけは、熱心に協力して研究を続けている。やがて12月24日、両国探検隊をなんとか和解させたいヒゲオヤジは、合同のクリスマスパーティーを開く。互いに自国の国歌を歌いあうなど、もうひとつしっくりしない彼らだが、レオが「きよしこの夜」を歌いはじめると、両国探検隊とも、声を合わせるのだった。

*第3巻 第7章 氷の地獄

 クリスマス・イブで、両国探検隊の雪解け、とはいかなかった。相変わらずA国探検隊とは距離を置く、B国探検隊。原住民のシェルパたちは、もう帰らせてくれと、不満をつのらせている。そんなある日、ついにマンモスの足跡が、テントの近くに現われた。待ちに待った道案内役が、すぐそこまで来ているのだ。

 その翌日、原住民たちは、レオの毛皮を奪って逃げようと、レオを襲う。驚くレオ。彼らを追い払うための威嚇射撃が、付近に眠っていた恐竜たちを目覚めさせる! ロンメル将軍の、さすがに素晴らしい指揮の元、両国探検隊は、一頭、また一頭と、恐竜たちを退治していくが、ロンメル将軍は、毒蛇に噛まれて倒れる。

「きっと………B国は勝つ………」

 筋を通した硬骨漢の、見事な死にざまであった。その時、B国探検隊中でも、とりわけ卑怯な言動を取り続けてきた男が、A国探検隊の指導者もなくしてやる!と、マイナス博士に向かって発砲する(が、弾は外れる)。取り押さえたヒゲオヤジに向かって、ナイフをふるう彼は、実はかつてのメリーの腰巾着、ピエールであった。「きさまはなぜメリーをケン一にあたえた」逆恨みである。

 依然として暴れまくる恐竜たち。そこにマンモス(オフクロサン)がやってきて、彼らを鎮める。礼を述べ、人間たちとの約束なんだ、光る石の出る山(ムーン山)まで案内してくれ、と、オフクロサンに頼むレオ。

 彼女の先導のもと、A・B両国の合同探検隊(隊長を失なったB国隊はA国隊に合流した)は、ムーン山の麓に辿り付く。登攀開始。不気味な山鳴り。悪化する天候..いよいよ山頂へアタックする前の晩の夜中、プラス教授とマイナス博士は、レオを通訳にして、マンモスからルートを聞き出している。それに気付いたヒゲオヤジは、熱帯生まれのレオに、なんということをさせる!と、怒る。レオは平気な顔をしてテントの外で眠るが、実は寒さに必死で耐えているのであった。(さらなる寒さに備えて体を慣らすために、テントに入らないのである。)その夜、レオは夢を見た。ルネが帰って来る夢。そして、失明する夢。

 翌朝、登頂を試みるレオと探検隊を、(これ以上進めないので)見送るマンモス。雪目(雪の強烈な照り返しで、目が痛めつけられること)で視力を失うレオ。雪崩と強風に苦しめられる探検隊は、ついに、無数に転がる月光石を発見した!

「レオ! ほらわかるか、あそこが頂上だ。わしたちを長いあいだ苦しめたムーン山のてっぺんじゃよ」
「わかります。見えないが……そう感じます」
そしてついにわれわれは征服した! A国もB国もない人間が大自然のカベのひとつを征服したのだ。
*第3巻 第8章 大団円

 吹雪が荒れ狂う中、山頂のテントの中では、プラス教授が探検と調査の記録を書きとめている。そしてウェゲナーの大陸移動説を一歩押し進める、驚くべき学説。大陸は数万年前、月光石の大爆発によって分裂のキッカケをつくったのではないか..

 激化する嵐。テントが吹き飛ばされ、死への行進が始まった。必死の下山。しかしひとりまたひとりと、雪嵐の中に飲まれて行く。錯乱したピエールも霧の中へ姿を消す。凍傷に冒されたプラス教授は、足手まといになることを恐れ、記録をマイナス博士に託して、密かにテントを去る。

 そしてマイナス博士も死んだ。生き残っているのは、レオと記録を持ったヒゲオヤジだけである。失明したレオは、どうせ自分は生還できないからと、ヒゲオヤジに、肉と毛皮の提供を申し出る。驚き拒むヒゲオヤジに、レオは、死を賭してムーン山の秘密に挑んだ科学者や軍人たちとの約束を、思い出させる。ヒゲオヤジには、記録を持ち帰る義務があるのだ。まだためらうヒゲオヤジに、レオは襲いかかり、もくろみ通りに刺し殺される。吹雪の中、涙ながらに肉と毛皮を切り取るヒゲオヤジ..


 場面は変わって、ムーン山のふもと、ドンガ河の流域。山頂を吹き荒れていた雪嵐が嘘のような、穏やかな気候である。川上から、粗末な筏が流れてきた。レオの毛皮に身をつつみ、記録を大切に抱えた、ヒゲオヤジである。川下からも、一本の丸太が流れてきた。それに乗っているのは、白いライオン。

「オジチャンハダレ」
「お、おまえはレオの息子かい……(なんてふしぎな出会いだろう……)」
ヒゲオヤジはルネに毛皮を渡す。「おまえのおとうさんだよ」
「オトウチャマノケガワ?」
「そうじゃ。泣くんじゃないぞルネ。おまえは強い子だ。
ごらん! ジャングルの王城へ帰ってきたよ。帰ったら、みんなにな。おとうさんはどんなにりっぱだったかを話してやろうな」

 そしてエピローグ。舞台は3年後の日本。ジャングルに残ったアルベルト博士からの航空郵便が、ヒゲオヤジ家に届いた。それを読むケン一、メリーと、彼らの子供。手紙によれば、ルネも結婚して赤ん坊を生み、ルッキオはジャングルの牡獅子のところへ片付いた、と。

「酋長のトンガがこのルッキオの毛皮をねらっていて毎晩しし狩りのたいこが聞こえてきます」
「それはさておきムーン山のことはその後たしかめた人もなく、また次第に伝説の山になりつつあり……」

 手紙を読むケン一の言葉を聞きながら、ヒゲオヤジはアフリカの空へと続いていく空を眺め、感慨にふけるのだった。


 「ジャングル大帝」最終回のもたらす感動たるや、全く比類のないものである。言語を絶する、と書いてしまいたいところだが、それではこのような文章を書くという行為が、自己矛盾してしまう。手に余ることは承知の上で、分析してみよう。

 何よりもまず、その舞台である。この長編全体の、前半はジャングル、後半は氷に閉ざされた高山、そしてこのふたつの舞台を、ひとつの宝石(月光石)が結び付ける、という骨太な構成の力強さ。そしてこの後半の舞台に、主役であるレオを引っ張っていったのが、人間たちなのだ。「ジャングル大帝」というタイトル故、動物漫画として括られかねない作品であるが、実は、動物たちの物語と人間たちの物語とが、見事に絡み合い、融合しているのである。

 月光石の雄大な秘密も魅力的であるが、これについては、後述する。

 「全滅」のモチーフも、言うまでもなく重要である。南極のスコット隊を思わせる悲劇が進行し、ある者は、自分ひとりが助かろうと卑怯な死にざまを見せ、ある者は、他人の命と貴重な記録を守るために自ら死を選ぶ。その頂点が、ヒゲオヤジを生還させるための、レオの自己犠牲である。

 ヒゲオヤジは帰ってきた..そこで、ルネと奇蹟的に出会うのである。「なんてふしぎな出会いだろう……」と呟くが、まさにほとんどありえないほどの偶然である。そしてこれこそが、最終章のもっとも重要なシーンなのだ。以下に詳しく述べよう。

 極端な偶然は、しばしば「御都合主義」の言葉によって、いやしめられているが、それは作者が「手続きを踏むのを面倒がった」ことが「読者に見抜かれてしまい、結果として読者がしらける」場合に、限りたい。ここでのルネとヒゲオヤジの出会いは、そうではない。これは、「世界の記号化」による「宇宙の圧縮&伸張」なのである。他にもそういう作例は(手塚治虫に限らず)いくつもあるのだが、「ジャングル大帝」最終回におけるその効果が余りにも目覚ましいので、特にここで重点的に触れることにする。

 まず気がつくのは、彼らの出会いの瞬間、「世界が極端に小さくなっている」ことである。この出会いを可能とするためには、この「作品世界」は、その構成要素を極端に少なくする必要がある。ニューヨーク、大西洋、トンガ河、ムーン山、ヒゲオヤジ、ルネ、これだけである。あなたはこういう世界を知っているはずだ。それは例えば子供向けの図鑑の「アフリカの地図」である。そこでは、アフリカ全図の上に、ピラミッド、サハラ砂漠、カイロ市街、ナイル河、ジャングル、キリマンジャロ、マサイ、ピグミー、サバンナ、ゴリラ、等などの「主要な構成要素」の絵が、描かれている。(あるいは、私はたしなまないが、RPGのマップも、このような構成であろうか。)つまり、子供はこのようなものとして、アフリカを(あるいは世界を、宇宙を)認識するのである。ティピカルな構成要素だけを頭に叩きこんで。

 無論、現実はこんなに単純で整理されたものではなく、世界は遥かに巨大で複雑でわかりにくい。そこで、「子供が認識するような世界像ではなく、大人の読者の鑑賞/批判に耐えうるような世界像を作り出すために」、ひたすら構成要素を増やす、例えば、互いに関係のない登場人物を覚えきれないほど大勢繰り出す、という方法論が出て来る。これは根拠と裏付けのある手法である。

 しかし、子供が認識するような「小さな」宇宙は、ある意味で「豊かな」宇宙ではなかったろうか? あなたも私も、子供の頃、本を読みながら、あるいはふとんの中で、無限に想像と憧れを膨らませてはいなかっただろうか? この単純で素朴な構造の世界像から? まだデビュー前の、藤子不二雄を名乗る前のふたりが、手塚治虫に、映画と見紛うばかりの画面構成の習作を見せたことがあるという。手塚治虫は、映画の真似をしていても駄目だよ、と、諭した。手塚治虫がどれほど沢山のものを映画から取り入れたかは、いまさら言うまでもない。彼がとがめたのは、映画的に写実的に塗り潰された画面構成だったのだ。それは想像力の飛翔を妨げる。これは「絵」自体の例だが、それは物語の組み立てについても、そして、「構成要素の単純さ」についても言えることであろう。私は、ルネとヒゲオヤジが出会うこのシーンを見て、まず、物語の舞台が、箱庭的に圧縮されたことを実感し、次に、その圧縮された小さな小さな宇宙が、まさに無限に、爆発的に広がって行くのを、確かに体験したのだった。

 最終章で、もうひとつ重要なのは、登場人物たちが代がわりしていくことである。最初はまだまだ子供だったケン一とメリーにも子供が生まれ、ルネにも子供が生まれ、これはパンジャから既に4代目である。ムーン山に登った主要登場人物たちは、ヒゲオヤジひとりを除いて全滅したが、その他の主要登場人物は、ことごとく生き残っている。そう、生命の河は途切れることなく続いていくのだ。

 「変わるものと変わらないもの」。そこに生きる動物たちと人間たちは、代がわりして行くが、そこで起こる出来事は、あるいは永遠に繰り返されるかのごとくである。アルベルト博士の手紙によると、酋長のトンガが(かつてはパンジャだったが、今度は)ルッキオの毛皮をねらって毎晩しし狩りをしている、という。すなわち、序章で繰り広げられた動物たちと人間たちのドラマは相変わらず続いており、それは白いライオンと狩人がいる限り、終ることはないのである。また、博士の手紙によると、彼らがあれほどの犠牲を払って持ち帰ったムーン山の記録も、今や顧みられずに忘れ去られつつあるらしいが、ヒゲオヤジはそれを無念だとは思っていない。あの月光石の壮大な秘密も、それが「失われた」あるいは「忘れ去られていく」ことで、ひときわ光茫を放っているのではあるまいか。同時に彼は、探検隊の奮闘と努力も、無駄だったとは思っていないのである..


 奇蹟的な傑作である。「生きとし生けるものすべてを大自然の中に吸収する」アフリカを舞台に、時の流れと生命の流れを高らかに歌い上げた「ジャングル大帝」は、文字どおり、永遠不滅のドラマなのだ。


*手塚治虫漫画全集 3

(文中、引用は本書より)


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: May 19 1996 
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