この曲は、(数え方にもよるが)5つの循環素材を持つソナタ形式であり、呈示部−展開部−再現部というソナタ形式の構造に、ソナタの3(または4)楽章構成が重畳されている。全1楽章である。
第1素材 冒頭に現われる、ためらう様な神秘的な下降短音階。 第2素材 その直後に力強く現われる、7度下降を特徴とする音型。 第3素材 さらにその直後に低音に力強く現われる、同音反復を特徴とする音型。 第4素材 3/2拍子で朗々と歌われる、ゆるやかに上昇していく広大な主題。 第5素材 3/4拍子で穏やかに歌われる、中間動機。
これらはいずれも、容易に聴取/同定出来よう。
まず、全曲を出来るだけ細かく分解してみよう。その上で、それらをいくつかの「群」にまとめ、意味付けを試みることによって、構造を見通すことにする。
A(1 - 7) レント・アッサイ。呟く様な素材1。この導入部は「交響詩 前奏曲」とそっくりである。ト短調。 B(- 13) アレグロ・エネルジコ。素材2。この時点ではさほどでもないが、 これ以降多様な変容が施される過程において、 この「7度下降」は、徐々に「ファウスト交響曲」を支配する第1楽章第2主題との近親関係を顕にしていく。 C(- 17) 力強い素材3。どこか無調的で不安定な素材2と異なり、安定した短調の調性感を持つ。とはいえ、ロ短調からどんどん転調して行く。 D(- 31) 素材2と素材3による経過的な部分。フォルテシモに至るクレッシェンド。 E(- 80) 素材2による、ロ短調の嵐の様な音楽。低音には、素材3が聴こえ続ける。これ以降も、このふたつの素材はしばしば組み合わされた形で現われる。 F(- 104) 右手が8分音符のユニゾンと和音を連打し続ける不穏な雰囲気の中、左手に素材1が現われる。 G(- 119) グランディオーソ。寄せては返す波のごとき8分音符の和音連打の上に、素材4が堂々と現われる。ニ長調。 H(- 152) 素材2による弱音の経過的な部分。後半には低音に素材3の呟きが聴こえてくる。 I(- 204) これまで常に低音に現われてきた素材3が、高音部で倍の音価で、エスプレッシーヴォで奏される。ニ長調である。この部分の後半では、左手に、素材2が現われる。 J(- 296) アレグロ・エネルジコ。素材2、素材3、の順で華々しく展開される。そのままの勢いで低音に素材1が現われると、再び断固たる素材2。 K(- 306) 低音部で、短調で力強く素材4が打ち鳴らされる。これをレシタティーヴォがフォローする。素材4とレシタティーヴォがもう一度繰り返される。 L(- 330) 素材2と素材3の対話。後半では、低音部でオスティナート風に繰り返される素材3の上で、音価を長く引き伸ばされた素材2がディミヌエンドしていく。 M(- 348) 嬰ヘ長調、アンダンテ・ソステヌートに変わって、穏やかな素材5。 N(- 362) 高音部に素材3。音楽の性格は、Iに似ている。イ長調。 O(- 394) 素材4。次第に高潮してゆき、後半は素材2。嬰ヘ長調。 P(- 432) 嬰ヘ長調の素材5。 Q(- 452) 嬰ヘ長調。Nに似た性格で、密やかに素材3。徐々にディミヌエンドし、低域に沈みこんで行く。 R(- 459) 素材1。Aと極めて近い性格。嬰ヘ短調。 S(- 532) アレグロ・エネルジコ。素材2と素材3によるフーガ。二重フーガではなく、素材2と素材3をシリアルに連結した旋律による。変ロ短調からスタートする。 T(- 554) 素材2と素材3による力強い音楽。Eとほぼ同じで、ロ短調。 U(- 599) Fと同様の素材1。後半、素材2が絡み、素材3が経過句風に奏される。 V(- 615) Gと同様の素材4。但し伴奏は4分音符である。ロ長調。 W(- 649) Iと同様の素材3。やはりIと同様に、後半、左手に素材2が現われるが、 この素材2は素材3のリズムを持っている。ロ長調。 X(- 672) ストレッタ。 Jにおける素材3の展開とほぼ同様。 Y(- 699) プレスト。素材1と素材2。 Z(- 710) 素材4。伴奏は3連4分音符。ロ長調。 α(−728) アンダンテ・ソステヌート。素材5。ロ長調。 β(- 749) アレグロ・モデラート。素材3のオスティナートが8小節続いたあと、素材2が密やかにピアニシモで。 γ(- 760) レント・アッサイ。素材1。ロ長調のままピアニシシモで終了。
特に素材2と素材3の徹底的な活用が注目されよう。素材4、素材5は、動機的活用はほとんど施されず、単体の主題として現われる。
導入部前半 A 導入部後半(経過部) BCD 呈示部 第1主題 E 導入主題によるブリッジ F 第2主題 G 経過部 H 第3主題 I 第1展開部 JKL 中間部 a MN b O a’ PQ 導入部の再現 R 第2展開部(フーガ) S 再現部 第1主題 T 導入主題によるブリッジ U 第2主題 V 第3主題 W 第3展開部 XYZ 終結部 αβγ
E−G−IとT−V−Wが、第1−第2−第3主題の呈示と再現である、という整理の仕方は、調性的にも性格的にも妥当性が高い。MNOPQは、緩徐楽章的性格が極めて強く、本来の展開部であるJKLとSの間に割り込んでいると考える。3つの展開部は、呈示部、中間部、再現部の、それぞれ後半をなしているともみなせよう。
導入部前半 A 導入部後半(経過部) BCD 呈示部 第1主題 E 導入主題によるブリッジ F 第2主題 G 呈示部内の展開部 HIJKL 中間部 a MN b O a’ PQ 再現部 導入部の再現 R フーガ S 第1主題 T 導入主題によるブリッジ U 第2主題 V 再現部内の展開部 WXYZ 終結部 αβγ
[1]と似ているが、I、Wを第3主題と認めず、第1主題の展開とみなす立場である。GとVは性格的にも調性的にも第2主題として必要十分であること、IとWは第3主題として独立させるには第1主題と近すぎることが、[2]の立脚点である。「再現部内の展開部」は、「『呈示部内の展開部』の再現」とも捉えることが出来る。
導入部前半 A 導入部後半(経過部) BCD 呈示部 第1主題 E 導入主題によるブリッジ F 第2主題 G 経過部 H 第3主題 I 展開部第1部 JKL 展開部第2部(中間部) a MN b O a’ PQ 展開部第3部 導入部の再現 R フーガ S 再現部 第1主題 T 導入主題によるブリッジ U 第2主題 V 第3主題 W 終結部 XYZαβγ
これは実に4重の「3部形式」という解釈であり、この曲のアナリーゼとしては最も挑戦的なものである。つまり、導入部−主部−終結部という3部形式の中央の主部が、呈示部−展開部−再現部という3部形式になっており、その中央の展開部がまた3部形式になっており、さらにその中央が3部形式による中間部なのである。ソナタ形式の本質を3部形式に求めるとすれば、 これはほとんどパラノイアックなソナタ形式と言える。 [1][2]と異なり、XYZを展開部としないのは、Xと特にYが、実に「終結感」漂う音楽だからである。この終結部では、5つの素材全てが現われ、回想される。
導入部前半(主要主題の呈示) A 導入部後半(経過部) BCD 呈示部 第1主題 E 主要主題 F 第2主題 G 経過部 H 第3主題 I 第1展開部前半(主要主題を含む) J 第1展開部後半 KL 中間部 a MN b O a’ PQ 導入部の再現(主要主題) R 第2展開部(フーガ) S 再現部 第1主題 T 主要主題 U 第2主題 V 第3主題 W 第3展開部前半(主要主題を含む) XY 第3展開部後半 Z 終結部前半 αβ 終結部後半(主要主題) γ
比較的登場回数の少ない素材1を主要主題とみなし、それが全曲のフレームとなっていると考える。この主要主題は、全曲の両端と、前半(呈示部)の呈示部部分と展開部部分、後半(再現部)の再現部部分と展開部部分に現われるので、全曲が対称的な構造を取っていることが判る。(中間部には全く現われない。)と言っても、完全なシンメトリーではなく、後半(再現部)の開始に先立って現われるので、ここがいわば対称性を破っており、続いて現われる第2展開部(フーガ)がさらに事態を悪化させている。ここは4楽章ソナタの第3楽章(スケルツォ)に相当するとみなせよう。
導入部前半 A 導入部後半(経過部) BCD 呈示部 第1主題 E 導入主題によるブリッジ F 副主題 G 経過部 H 第2主題 I 第1展開部前半 J 第1展開部後半(副主題を含む) KL 中間部 a MN b(副主題) O a’ PQ 導入部の再現 R 第2展開部(フーガ) S 再現部 第1主題 T 導入主題によるブリッジ U 副主題 V 第2主題 W 第3展開部前半 XY 第3展開部後半(副主題を含む) Z 終結部 αβγ
[4]と類似しているが、素材4を、全曲を貫く脊梁である副主題と考える。その5回に及ぶ出現は、[4]における主要主題よりも、美しい均衡をこの曲にもたらしている。
(1992/12/09 記)Last Updated: Nov 10 2011
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