ロ短調ソナタ(Franz Liszt,1853)の構造分析


 この曲は、(数え方にもよるが)5つの循環素材を持つソナタ形式であり、呈示部−展開部−再現部というソナタ形式の構造に、ソナタの3(または4)楽章構成が重畳されている。全1楽章である。

第1素材 冒頭に現われる、ためらう様な神秘的な下降短音階。
第2素材 その直後に力強く現われる、7度下降を特徴とする音型。
第3素材 さらにその直後に低音に力強く現われる、同音反復を特徴とする音型。
第4素材 3/2拍子で朗々と歌われる、ゆるやかに上昇していく広大な主題。
第5素材 3/4拍子で穏やかに歌われる、中間動機。

 これらはいずれも、容易に聴取/同定出来よう。

 まず、全曲を出来るだけ細かく分解してみよう。その上で、それらをいくつかの「群」にまとめ、意味付けを試みることによって、構造を見通すことにする。

A(1 - 7)  レント・アッサイ。呟く様な素材1。この導入部は「交響詩 前奏曲」とそっくりである。ト短調。
B(- 13)  アレグロ・エネルジコ。素材2。この時点ではさほどでもないが、 これ以降多様な変容が施される過程において、 この「7度下降」は、徐々に「ファウスト交響曲」を支配する第1楽章第2主題との近親関係を顕にしていく。
C(- 17)  力強い素材3。どこか無調的で不安定な素材2と異なり、安定した短調の調性感を持つ。とはいえ、ロ短調からどんどん転調して行く。
D(- 31)  素材2と素材3による経過的な部分。フォルテシモに至るクレッシェンド。
E(- 80)  素材2による、ロ短調の嵐の様な音楽。低音には、素材3が聴こえ続ける。これ以降も、このふたつの素材はしばしば組み合わされた形で現われる。
F(- 104)  右手が8分音符のユニゾンと和音を連打し続ける不穏な雰囲気の中、左手に素材1が現われる。
G(- 119)  グランディオーソ。寄せては返す波のごとき8分音符の和音連打の上に、素材4が堂々と現われる。ニ長調。
H(- 152)  素材2による弱音の経過的な部分。後半には低音に素材3の呟きが聴こえてくる。
I(- 204)  これまで常に低音に現われてきた素材3が、高音部で倍の音価で、エスプレッシーヴォで奏される。ニ長調である。この部分の後半では、左手に、素材2が現われる。
J(- 296)  アレグロ・エネルジコ。素材2、素材3、の順で華々しく展開される。そのままの勢いで低音に素材1が現われると、再び断固たる素材2。
K(- 306)  低音部で、短調で力強く素材4が打ち鳴らされる。これをレシタティーヴォがフォローする。素材4とレシタティーヴォがもう一度繰り返される。
L(- 330)  素材2と素材3の対話。後半では、低音部でオスティナート風に繰り返される素材3の上で、音価を長く引き伸ばされた素材2がディミヌエンドしていく。
M(- 348)  嬰ヘ長調、アンダンテ・ソステヌートに変わって、穏やかな素材5。
N(- 362)  高音部に素材3。音楽の性格は、Iに似ている。イ長調。
O(- 394)  素材4。次第に高潮してゆき、後半は素材2。嬰ヘ長調。
P(- 432)  嬰ヘ長調の素材5。
Q(- 452)  嬰ヘ長調。Nに似た性格で、密やかに素材3。徐々にディミヌエンドし、低域に沈みこんで行く。
R(- 459)  素材1。Aと極めて近い性格。嬰ヘ短調。
S(- 532)  アレグロ・エネルジコ。素材2と素材3によるフーガ。二重フーガではなく、素材2と素材3をシリアルに連結した旋律による。変ロ短調からスタートする。
T(- 554)  素材2と素材3による力強い音楽。Eとほぼ同じで、ロ短調。
U(- 599)  Fと同様の素材1。後半、素材2が絡み、素材3が経過句風に奏される。
V(- 615)  Gと同様の素材4。但し伴奏は4分音符である。ロ長調。
W(- 649)  Iと同様の素材3。やはりIと同様に、後半、左手に素材2が現われるが、 この素材2は素材3のリズムを持っている。ロ長調。
X(- 672)  ストレッタ。 Jにおける素材3の展開とほぼ同様。
Y(- 699)  プレスト。素材1と素材2。
Z(- 710)  素材4。伴奏は3連4分音符。ロ長調。
α(−728)  アンダンテ・ソステヌート。素材5。ロ長調。
β(- 749)  アレグロ・モデラート。素材3のオスティナートが8小節続いたあと、素材2が密やかにピアニシモで。
γ(- 760)  レント・アッサイ。素材1。ロ長調のままピアニシシモで終了。

 特に素材2と素材3の徹底的な活用が注目されよう。素材4、素材5は、動機的活用はほとんど施されず、単体の主題として現われる。



[1]展開部の位置に中間部があり、展開部は3箇所に分散していると捉える

導入部前半
導入部後半(経過部)BCD
呈示部
  第1主題
  導入主題によるブリッジ
  第2主題
  経過部
  第3主題
第1展開部JKL
中間部
  aMN
  b
  a’PQ
  導入部の再現
第2展開部(フーガ)
再現部
  第1主題
  導入主題によるブリッジ
  第2主題
  第3主題
第3展開部XYZ
終結部αβγ

 E−G−IとT−V−Wが、第1−第2−第3主題の呈示と再現である、という整理の仕方は、調性的にも性格的にも妥当性が高い。MNOPQは、緩徐楽章的性格が極めて強く、本来の展開部であるJKLとSの間に割り込んでいると考える。3つの展開部は、呈示部、中間部、再現部の、それぞれ後半をなしているともみなせよう。



[2]展開部の位置に中間部があり、呈示部と再現部が後半で展開されていると捉える

導入部前半
導入部後半(経過部)BCD
呈示部
  第1主題
  導入主題によるブリッジ
  第2主題
  呈示部内の展開部HIJKL
中間部
  aMN
  b
  a’PQ
再現部
  導入部の再現
  フーガ
  第1主題
  導入主題によるブリッジ
  第2主題
  再現部内の展開部WXYZ
終結部αβγ

 [1]と似ているが、I、Wを第3主題と認めず、第1主題の展開とみなす立場である。GとVは性格的にも調性的にも第2主題として必要十分であること、IとWは第3主題として独立させるには第1主題と近すぎることが、[2]の立脚点である。「再現部内の展開部」は、「『呈示部内の展開部』の再現」とも捉えることが出来る。



[3]極めて大規模な展開部が、中間部を内包していると捉える

導入部前半
導入部後半(経過部)BCD
呈示部
  第1主題
  導入主題によるブリッジ
  第2主題
  経過部
  第3主題
展開部第1部JKL
展開部第2部(中間部)
  aMN
  b
  a’PQ
展開部第3部
  導入部の再現
  フーガ
再現部
  第1主題
  導入主題によるブリッジ
  第2主題
  第3主題
終結部XYZαβγ

 これは実に4重の「3部形式」という解釈であり、この曲のアナリーゼとしては最も挑戦的なものである。つまり、導入部−主部−終結部という3部形式の中央の主部が、呈示部−展開部−再現部という3部形式になっており、その中央の展開部がまた3部形式になっており、さらにその中央が3部形式による中間部なのである。ソナタ形式の本質を3部形式に求めるとすれば、 これはほとんどパラノイアックなソナタ形式と言える。 [1][2]と異なり、XYZを展開部としないのは、Xと特にYが、実に「終結感」漂う音楽だからである。この終結部では、5つの素材全てが現われ、回想される。



[4]導入部で呈示される主要主題を軸に、対称構成を取っていると捉える

導入部前半(主要主題の呈示)
導入部後半(経過部)BCD
呈示部
  第1主題
  主要主題
  第2主題
  経過部
  第3主題
第1展開部前半(主要主題を含む)
第1展開部後半KL
中間部
  aMN
  b
  a’PQ
導入部の再現(主要主題)
第2展開部(フーガ)
再現部
  第1主題
  主要主題
  第2主題
  第3主題
第3展開部前半(主要主題を含む)XY
第3展開部後半
終結部前半αβ
終結部後半(主要主題)γ

 比較的登場回数の少ない素材1を主要主題とみなし、それが全曲のフレームとなっていると考える。この主要主題は、全曲の両端と、前半(呈示部)の呈示部部分と展開部部分、後半(再現部)の再現部部分と展開部部分に現われるので、全曲が対称的な構造を取っていることが判る。(中間部には全く現われない。)と言っても、完全なシンメトリーではなく、後半(再現部)の開始に先立って現われるので、ここがいわば対称性を破っており、続いて現われる第2展開部(フーガ)がさらに事態を悪化させている。ここは4楽章ソナタの第3楽章(スケルツォ)に相当するとみなせよう。



[5]グランディオーソの副主題を軸に、対称構成を取っていると捉える

導入部前半
導入部後半(経過部)BCD
呈示部
  第1主題
  導入主題によるブリッジ
  副主題
  経過部
  第2主題
第1展開部前半
第1展開部後半(副主題を含む)KL
中間部
  aMN
  b(副主題)
  a’PQ
  導入部の再現
第2展開部(フーガ)
再現部
  第1主題
  導入主題によるブリッジ
  副主題
  第2主題
第3展開部前半XY
第3展開部後半(副主題を含む)
終結部αβγ

 [4]と類似しているが、素材4を、全曲を貫く脊梁である副主題と考える。その5回に及ぶ出現は、[4]における主要主題よりも、美しい均衡をこの曲にもたらしている。

(1992/12/09 記)
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Last Updated: Nov 10 2011
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