良くも悪くも「二番煎じ」。新ネタが、全く無い。冒頭でいきなり明らかにされた、「貞子が死んだのは1〜2年前、つまり、貞子は井戸の底で、30年も生きていた」という“おぞましい”真相が、効いてくるかと期待したのだが、これはこれだけの話であった。
あとはひたすら、前作で怖かった(素晴らしかった)モチーフの再利用である。
小説「リング」には、抜群のアイデアと論理的な構成があり、映画「リング」はそのアイデア(の外枠)だけを生かして、論理的な部分は適当に省略して、「オカルト」映画としてバランス良くまとめたものである。
その映画「リング」の続編である映画「リング2」には、前作を越えるアイデアはないのだが、上述したように、前作である映画「リング」自体が、重心を「アイデア」や「論理」よりも、「オカルト的な雰囲気」に置いていたので、その続編が「ムード主体」であることは、実は大きな欠点とは言えない。(論理的に突っ込むと、おかしな点がたくさんある。そもそも「貞子の呪い」の焦点が、ぼけてしまっているのである。)
..とはいえ、散漫な構成であるとの印象は、拭えない。怖がらせることだけを目的とした「無駄なエピソード」が多すぎる。例えば、高野舞のマンションのベランダの手すりを掴む腕。「らせん」の読者ならずとも、これは“「貞子」の復活の恐怖が、舞の身辺に及ぶこと”を連想するのが当然であるが、そうはならない。舞は呪われないのである。もう一箇所、実にイライラとさせられたのが、山村志津子(の幽霊)が、鏡の前で櫛を使っているシーンである。ここに貞子も現れるのであるが、このシーンは長すぎる。繰り返しもくどすぎる。意味もないし、怖くもない。何よりも、前作以来の「最も恐ろしく、大切なイメージ」のひとつであったのだから、このように“浪費”してしまっては、いけない。
その一方で、目を見張るシーンも、多々ある。精神病院に入院していた雅美が、精神病院の休憩室のテレビ画面に「リングビデオ(の一部)」を念写してしまい、それを観た患者たちがパニックに陥るシーンは、素晴らしい。また、その直後、雅美の心象風景に交感した舞が、雅美の悪夢 − 貞子がドアの陰から現れて、ゆっくりとこちらを振り向く − を“目撃”するシーンは、文句無しに恐ろしい。
事件の解決に動く“トンデモ科学者”川尻医師が、面白い。貞子に魅入られた超能力者たちの超能力を「水の浸透率」に置き換え(すりかえ)、「真水に貞子を(恐怖を)溶かす」というプランを立てるのだが、このいかがわしさが、素敵である。なんともそれらしい実験装置(ガジェット)も、よろしい。このあたりは小説「らせん」を意識していると思う。
浅川玲子役の松嶋菜々子について言えば、前作では、目を見張るほどの美しさに感嘆させられたものだが、今回は(地味な衣装と髪型のせいか)そうも思わなかった。しかし、その“背の高さ”には、改めて驚いた。高野舞役の中谷美紀と並ぶと、同じ画面に収まりにくいのである。[;^J^] 「らせん」に引き続き、今回も交通事故で大流血死、と相成ったが、不謹慎な話だが、思わず笑ってしまった。[;^.^]
音楽(というより、音響)は、玲子と陽一が警察を逃げ出すシーンなど、数ヶ所、違和感が残るシーンはあるが、前作同様、概して素晴らしい。但し、エンドタイトル(主題歌)は愚劣。これは映画全体の印象をスポイルしかねない。前作の主題歌は、それなりに素晴らしかったのに..
貞子は“消えた”らしいが(少なくとも、登場人物たちは、そのように期待しているが)、その確証はなく、リングビデオの呪いは、香苗(深田恭子が力演)が「引き継いだ」形になった。このシリーズ、いくらでも続けられるぞ。[;^.^] どうせやるなら、ドル箱シリーズに育て上げ、少なくとも13本は作って欲しいものである。
Last Updated: Jan 27 1999
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