E・クィーン「Yの悲劇」


 素晴らしい! 完璧である! 読者に呈示されているヒントも万全。再読、三読に耐える。大人の筋立てを子供が実行することの不気味さと、この仕掛けによって様々な不自然さを全て説明してしまう巧妙さ。(凶器としてのマンドリンの件は圧巻である。)三重苦の登場人物への尋問のサスペンス。(所謂手話とは異なり、指先を昆虫の触手の様に動かす不気味さ。)異様で奇矯な一家の人物造形(明記されていないが、悪性の血とは(脳)梅毒のことか?)。ヨーク・ハッターが実は生きているのでは? 遺産相続争いか? 等などのミスディレクション。(影の)主役の自殺(最後まで疑問符つきだが)に始まる、素晴らしいストーリーテリング。最後は探偵が真犯人に引導を渡す。他にも感動したミステリーはいくらでもあるが、読了直後にラスト50頁ほどを4回読み返し、翌日改めて最初から読み返した、などという作品はこれだけである。

 「Xの悲劇」(ハヤカワ文庫、宇野利泰訳)の、新保博久による「YよりX」という解説は示唆的である。要は、日本におけるYの評価の異常な高さに比して、相対的にXが低く見られている(のかな?)という現状を咎めているのであるが、Yの評価の高さを「しかしまあ本当のところは『Yの悲劇』に、戦前の日本ミステリの主流であった怪奇探偵小説の趣があるからだろう」と喝破しているのに、膝を打った。そうだったのか!

 私自身、怪奇/浪漫嗜好であるということを自覚しており、この一連の読破計画の流れでも、「曲った蝶番」「三つの棺」「妖魔の森の家」「プリンス・ザレスキーの事件簿」「八つ墓村」(新保氏いわくB級品 [;^J^] 悪かったな)と言った作品群に特に感銘を受ける一方(チェスタトンはもう別格!)、例えば、より洗練されている「見知らぬ乗客」には、感心しながらも感動は出来ない、ということからも再確認していた形だったが、その一方で、最も感動したのが「Yの悲劇」であり、これは読了直後には「洗練された、完璧な傑作」として整理/認識していたので、自分の怪奇嗜好とは合致しない、むしろその様な嗜好を超越した傑作である、と捉えていたのであるが、そうか、やはり結局、怪奇小説だったのか。[;^J^] ま、思い当たる節は山ほどあるが。

 新保氏の主張は、現代の洗練されたミステリに馴染んだ読者には、YよりX、というもので、全くの正論だと思う。で、私にとっては、Yの方がXよりも遥かに、圧倒的に面白かった訳だ、これが。[;^J^]「現代の洗練されたミステリ」も、全く読んでいない訳ではないんだけどねぇ。

 現代の洗練されたミステリの価値を知っている人にとっては、私の様な、半世紀以上も昔に書かれた「怪奇探偵小説」を喜んでいる者などは、ミステリをSFに置き換えて言えば、今頃になって、ヴェルヌ、ウェルズを「発見」して「空想科学小説って面白いねぇ。君も読んでみたまえ」と薦めてくれるSFバージン(実在する−実例を知っている)のごとくであろう。[;^J^] 苦笑しながら(PKDやデビッド・ブリンを読めと言いたいが、値打ちも面白さもわからんだろうし、せめてクラークは踏まえろよ)と言いたいが言えない、という窮地に追い込まれるのであろう。[;^J^] この状況は、吾妻ひでおの大傑作「宇宙の英雄マッド・ファンタスティック」に、完璧に描き出されている。

*創元推理文庫


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jul 15 1995 
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