M・ルブラン「八点鐘」


 25年振りに再読したのだが、8編中、完全に忘れていた作品はひとつもなく、未だに鮮明に覚えていたのが4編。残り4編も、数頁読むうちに思い出した。「水瓶」−レンズを利用した太陽光線トリック。ポーストと乱歩にも、類例がある。「テレーズとジェルメーヌ」−被害者が加害者をかばって、自ら密室に入り込む。「雪の上の足跡」−いまさら言うまでもない、足跡トリック(後ろ向きに歩く)の古典。いずれも見事なものだが、やはり群を抜いて素晴らしいのが「斧を持つ貴婦人」である! タイトルのイメージ換起力もただごとではないが、なんと言っても恐ろしいのが、219頁のレニーヌ公爵(ルパン)の告発、


「なぜあの女たちを殺して他の女たちを殺さないのか、理由はあの女たちのクリスチャン・ネームがH(アッシ)で始まって、しかも八文字から成っているからです! よくお聞きくださいましたか、総督閣下、文字の数は八つです、頭文字はアルファベットの八つ目の文字です、そしてこの八(Huit)という文字も同じくHという字で始まっています。どこまでもHという文字です。しかも責め道具に用いられたのは一丁の斧(Hache-アッシ)でした。これでもまだあなたはおっしゃるでしょうか、『斧を持つ貴婦人』は狂女ではないと」

これは、私の(恐らくは生涯の)トラウマとなった。「あ」と「8」と「a(何故かhではなく)」が、特に書写時にしばしば混線してしまうようになったのである。最も多いのが、「あ」と書いたつもりで実は「8」と書いているケースだ。また、最近は「h8」と「ha」をタイプ仕分けなければならない機会が多いのだが、この両者を本気で打ち間違え、何度読み返しても気がつかないのには、本当に困ってしまう。

*新潮文庫


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jul 15 1995 
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