アルクトゥールスへの旅(デイヴィッド・リンゼイ,1920


 この驚くべき小説は、「降霊術の会」から始まる。ところは欧州、時は19世紀末。

 社交会では全く無名の、マスカルとナイトスポーも、招待されていた。霊媒が霊を実体化させた時、館全体に大音響が鳴り響き、乱暴に開かれたドアから高笑いをしながら入って来た男が、霊の首を捻りあげてしまった。霊は慌てて消滅するが、それまでそれが浮かべていた上品な笑みが、消える間際には、見る者をぞっとさせるほどの卑しいにたにた笑いに変貌する。陽気な闖入者の名はクラッグ。彼はマスカルとナイトスポーを、謎めいた旅に誘う。「サーター」を追跡すると言うのだ。

 3人は路上に出る。クラッグとナイトスポーは旧知の間柄だが、ナイトスポーにとっては、クラッグは不愉快な友人である。マスカルは、あの霊の顔に浮んだ恐ろしいにたにた笑いが「クリスタルマンの笑み」であると聞かされる。サーターとは? クリスタルマンとは? サーターを追う旅とは、恒星アルクトゥールスの惑星、トーマンスへの旅。クラッグは、半信半疑のマスカルに不思議なレンズを渡す。マスカルはそれをアルクトゥールスに向け、二重星をめぐる巨大惑星を見た。彼は冒険行を決意する。

 出発地は、スコットランドの辺境の海辺に建つ、廃墟も同然のスタークネス天文台。出発に先立って、ナイトスポーはマスカルを、天文台からほど近い断崖に誘い、そこでかすかに鳴り響く不思議な音を聞かせる。三拍目が少し強く打たれる、四拍子の太鼓のリズム..

 ふたりは天文台に戻る。マスカルは天文台の塔に登り、トーマンスのビジョンを観るが、そこで、ナイトスポーは地球に戻るがマスカルはトーマンスで死ぬ、と警告する声を聞く。クラッグの到着。三人は魚雷型ロケットに乗り込み、アルクトゥールスへと飛び立つ。



 マスカルは、トーマンスの緋色の砂漠で目覚めた。クラッグとナイトスポーの姿は見えない。これより、マスカルの冒険が始まる。

 マスカルの額にはこぶが、胸には触手が生えていた。この「器官」の問題は重要である。マスカルの旅が進むにつれて、これらはあるいは「眼」になり「腕」になり、時にはさらに分岐し、時には萎えて落ちる。これらは感覚を司る器官であるが、マスカルの世界認識や意識をも変貌させていくのである。

 マスカルはジョイウィンドという、思念や感情の変化と共に皮膚の色が変わる女に助けられた。こののち、マスカルの遍歴には多くの女性が現われるが、その最初のひとりである。また、マスカルが出会った女たちはことごとく死ぬ(殺される)が、死ななかった唯一の女でもある。

 ジョイウィンドの住居に帰りつくために砂漠を越える途上で、マスカルは、トーマンスの自然の驚異の数々に出会う。白い太陽「ブランチスペル」の灼熱。異様な動植物相..(二重星のかたわれ、青い太陽「アルプペイン」は、物語の終り近くまで地平線の上に姿を現わさない。)マスカルはジョイウィンドから、この世界の造物主は「シェイピング」であると教えられる。そしてサーターもクリスタルマンもシェイピングの別名であり、クリスタルマンは愛情をも意味していると聞かされ、混乱する。さらに、クラッグとは悪魔の別名であると知って驚く。

 とある湖のほとりで、マスカルは再び、あの音を聞く..


 この音は、今マスカルが旅しているのとは別の世界に属しているように思われた。マスカルが旅している世界は神秘的で夢のような、信じられない世界なのに、この太鼓の音は現実そのもののかすかなこだまのようだった。それは人の話し声にみちている部屋で時計がかちかちいうのに似ていて、時どき耳に入るだけなのだ。

 ジョイウィンドの住居に辿りついたマスカルは、翌日、彼女の夫に見送られて、自分でも目的の判らぬ旅を始める。そして「神」が出現する。


 マスカルは、何かが起ろうとしていることに気づいた。空気はそよとも動かなかった。何者にも遮られない午後おそくの陽光は、官能を刺激する暑さでマスカルの身体を包んだ。空高くぽつんと浮かぶ雲がみるみるうちに頭上を通り過ぎて行った。
 マスカルのうしろのどこか遠くで喇叭が長々と鳴った。最初は何キロも離れたところから聞こえてくるようだったが、それは次第にふくらみ、音が大きくなるにつれてますます近づいて来た。依然として音は鳴り続けていたが、今では大男マスカルの真上で喇叭を吹いているかのようだった。そのうち音は次第に弱まり、マスカルの前を通り過ぎて行った。そして、ついにはごくかすかになり、遥か彼方に去った。
 マスカルは大自然と二人っきりになったような気持だった。神聖な静寂が心を包み、過去も未来も忘れ去られた。森も太陽も白日もマスカルにとっては存在しなかった。マスカルは自分を意識していなかった。−−思考も感情もすっかり消えていた。だが、というものがマスカルにとってこれほどの高さをもったことはいまだかつてなかった。
 ひとりの男が腕を組んでマスカルの行く手に立っていた。身にまとっている服が蔽っているのは胴体だけで、手足はむきだしのままだった。男は年をとっていると言うよりはむしろ若いほうだった。マスカルは、まだなじめないでいるトーマンスの特殊な器官がこの男の顔にはないことに気づいた。男の顔はのっぺりしていて、暑い日に陽炎が立つように、ありあまる生命力が全身から発散しているように思えた。男の眼は、マスカルが視線を合わせられないほどの力強さをたたえていた。
 男は不思議な声で「マスカル」と呼びかけた。その声は二つの音を響かせ、第一の音は遥けく、第二の音は低くて共鳴絃がびゅうんと鳴っているようだった。
 この人物の前に立ち続けているうちにマスカルは、喜びが湧き起るのを感じた。何かいいことが自分の身に起っているにちがいないと思った。
 言葉を発することが肉体的に難しかった。「どうしてぼくを立ちどまらせるんです」
「マスカル、よく見たまえ。わたしを誰だと思う?」
「シェイピングだろう」
「わたしはサーターだ」
 マスカルは再び視線を合わせようとしたが、相手のまなざしに射すくめられるような感じがした。 「ここはわたしの世界であることはきみも知っているはずだ。きみをここへ連れて来たのはなぜだと思う? わたしに仕えてもらいたいからだ」
 マスカルはもはや口をきくことができなかった。
 幻の人物はさらに語りつづけた。「わたしの世界をからかう者、そしてうわっつらにあるのではなく底知れぬ根源から生じるこの世界の厳しい永遠のリズムや美や崇高を莫迦にする者……そういう連中をわたしは逃しはしない」
「ぼくは莫迦にしてなどいません」
「訊きたいことがあったら訊きたまえ、お答えしよう」
「別にありません」
「マスカル、きみがわたしに仕えるのは、どうしても必要なことなのだ。分らないのかね。……きみはわたしの召使いであり、助け人なのだ」
「ご期待に添うように致しましょう」
「これはわたしのためであって、きみのためではない」
 この最後の言葉が発せられるや、突如サーターが道の外に向かって上へと跳躍するのをマスカルは見た。天空を見あげると、サーターの姿が占めていた幻の空間全体が人間の形としてではなく真ん中のへこんだ巨大な雲の映像として見え、それが顔をしかめるようにしてこちらを見おろしていた。やがてこの映像は光が消えるように見えなくなった。
 マスカルは心臓を激しく鼓動させてじっと立っていた。するとまたあの孤高な喇叭の音が聞こえた。今度は正面の遥か彼方でかすかに鳴り始め、少しずつ強さを増しながらゆっくりとこちらに進み、頭上を通り過ぎるとき最も音が大きく、それからは後方に遠ざかるにつれ次第に静かで素晴しい壮厳な音となり、ついには森を圧する死のような静けさの中に吸いこまれた。それは驚嘆すべき重要な一章の幕切れのようにマスカルには思えた。
 喇叭の音が消え去るのと同時に、天空が稲妻のような速さで開き、測り知れないほどの高さの青い丸天井となってゆくようだった。マスカルは大きく息を吸って手足を伸ばし、ゆっくりと微小をうかべながらあたりを見まわした。

 さてここまで、作品世界のバックボーンを知ってもらうために、やや詳しく要約/引用してきたが、ここから先は(到底紙幅が足りないので)かいつまんで紹介する。

 ジョイウィンドと別れたマスカルは、北へ、北へと旅を続ける。その過程でさまざまな女たちと出会い、また既に述べた「器官」を発達させ、あるいは変貌させて、次々と新たなる認識を獲得していくのである。同時に、価値観と善悪の基準をも、何度も何度も逆転させていく。その意味ではこれは一種のビルドゥング・ロマンであり、彼が出会う女たちや賢人たちによって語られる、美、芸術、生命、愛、神、悪魔、等などの、時には詩的な意味づけは、滅法面白い。

 このビルドゥング・ロマンの、もうひとつの特徴は、(既に述べたように)彼女らが次々と死んでゆくことだ。それも、時には意志を操られたマスカルの手にかかり、あるいはマスカルの過失から危険を見過ごされ、いずれにせよ、マスカルが原因となって死んで行く。野性的な女・オウシアックス、催眠術を使う女・タイドミン、美に憧れて家族を捨てた女・グリーミール、余りにも美しい、女の性そのものであるサレンボウド、みなことごとく死んでしまう。これらの手痛い体験を、マスカルは背負っていく。

 不気味な通奏低音がふたつ、マスカルの遍歴の背後に流れ続ける。ひとつは、既に述べた「太鼓の音」である。

 出発前の地球上の、スタークネス天文台の近くの断崖と、そしてジョイウィンドの住居への途上にある湖で聴かれた、「三拍目が少し強く叩かれる四拍子の太鼓のリズム」は、マスカルがタイドミンを殺そうとした時にも、付近の火口から聞こえて来る。


 下からかすかに太鼓の音が響いてきた。マスカルは熱心に耳を傾けた。すると心臓の鼓動が速くなり、憂鬱な心配事がみるみるうちに心の中から消えていった。その瞬間、世界全体とその偶発事がすべて偽りであって何の意味ももたないように思えた……

 そののち、ある森の中で、3人の幻の人物が、この太鼓の音を鳴り響かせながら行進していくのが見られる。その3人とは、マスカル、クラッグ、ナイトスポーであり、クラッグの幻影はマスカルの幻影を殺し、ナイトスポーの幻影はどこかに歩き去ってしまう..

 もうひとつのさらに不気味なライトモチーフは、これも既に顕れた「クリスタルマンの笑み」である。どんなに気高く美しい女も、その死に顔は、卑しいにたにた笑いに変貌してしまうのである。

 世界の外側の「現実」から響いてくるがごとき「太鼓のリズム」と、全てのトーマンス人が同じ元素から作られているのではないかと疑わせるような「クリスタルマンの笑み」は、圧倒的なリアリティで描き出されるトーマンス世界の現実感に、「何か」を二重映しにする。(しかしそれは決して現実の「希薄化」ではない。このことはあとで述べる。)この世界はシェイピングの世界なのか? クリスタルマンの世界なのか? シェイピングはサーターなのか?



 マスカルの旅路が終わりに近づくにつれて、驚異はますます大きくなってゆく。

 彼はある川を遡ってゆく。その流域の生命相は異様に濃密であり、やがて上流の源流に近いところに至って、マスカルは、生命が空気中から直接出現するのを目撃する! 彼はその様子を観察して「これは思考の誕生に似ている」と喝破する。とすると、トーマンスの生命相(及び自然)は、やはり誰かの想念の産物なのであろうか?

 マスカルはこれまで、何人もの賢者たちと出会い、言葉を交わしてきた。このトーマンス世界のありように対する彼らの説明は、しかし個々に異なり、矛盾しあっていた。そしてこの川の源流、地下の世界に至り、マスカルは最後の賢者に出会う。彼の名はコーパング。コーパングはサーターの名を知らず、「三つ眼」を基本形態とするトーマンス人にとってごく自然な、宇宙と自然を三つのカテゴリーで捉える思想の、最も完成されたものをマスカルに説く。


「……マスカル、人は自分の眼で何を見るにも、三つの方法で見る。三つの方法とは、長さと幅と深さだ。長さは存在であり、幅は関係であり、深さは感情なのだ」
 ………
「この三つの知覚の状態は三つの世界である。存在はフェイスニーの世界であり、関係はアムフューズの、感情はサールの世界である」

 そうして、コーパングはマスカルを、この三つの《神》を表す《三体の像》の元へと案内する。マスカルはこれらの神秘的な彫像に畏怖と感銘を覚え、大いに感動するのだが..

 その時、あの太鼓の音が聞こえてきた! そしてその音の方角から、影を作らない不思議な光が! 「マスペル」の光である! これに晒された三体の像の神聖な表情は、クリスタルマンの笑みへと変貌した! 驚愕したコーパングは、己の信仰の対象が真実ではなかったことを知り、マスカルと共に「現実よりももっと現実らしく聞こえる」太鼓の音を追うのだと叫ぶ!



 マスカルのサーター追跡行も、いよいよ大詰めである。マスカルの命はあと1日しか持たないと、既にさまざまな予兆によって宣告されている。

 地下世界を脱したふたりは、さらに北のリッチストーム山脈へと向かう。彼らはホーントという舵手の操縦する不思議な反重力船に乗って、山脈の上空を昇って行く。三人はそこで、最後の「女」サレンボウドに出会う。それは原形質の女。女の性そのもの。不用意に彼女に触れたホーントは死ぬ。

 サレンボウドは目覚め、マスカルと宿命的な恋に陥る。マスカルに旅の目的を忘れるなと警告するコーパングはふたりと別れ、遠くに見える謎めいた遺跡へと向かう。愛に溺れるふたりを襲ったのは、もはや轟音にも等しい太鼓の音と、眼も眩むマスペルの光! マスペルの光に焼かれ、クリスタルマンの笑みを浮かべて死んだサレンボウドを埋葬したマスカルは、山を下る..



 そこにいたのは、クラッグだった。彼はマスカルに、真の悪魔はクラッグではなくクリスタルマンなのだと告げ、ふたりは旅の最終目的地、バリーの沼地へと降りていく。

 ギャングネット。ふたりを待っていたのは、この、紺色の長衣を身にまとい、つばの広いソフト帽をかぶった、優しい風貌の高貴な青年だった。クラッグと反目している彼は、マスカルをいたわり、トーマンス世界の《美》と《快》はクリスタルマンの想念であって、トーマンス世界の醜いものはクリスタルマンではなく、悪魔のしわざなのだと告げる。

 アルプペインの訪れとともに、マスカルは死ぬ。死の間際に、彼が見た幻影、それはマスペルの火に焼かれて空中でもがく、ギャングネット=クリスタルマンだった。

 最後にナイトスポーが出現する。マスカルとその体験が(恐らくは)分離抽出され、ナイトスポーに移入されたのだ。クラッグの真の持ち駒は、ナイトスポーだったのだ。

 ナイトスポーは、あの、スタークネス天文台を思わせる塔に登る。そこで彼は、遂に真相を知ったのだった。マスペルの発する生命の光。しかしそれは地球に到達する以前に、ある物質を通過し、そこで無惨に歪められて地球に届く。それが地球の生命相の悲惨と卑しさと永遠の苦痛の根本原因だったのだ。その、生命光を歪める物質こそが、クリスタルマンであった! さらに、クリスタルマンにとってマスペルの光こそ、彼の食糧、彼の快楽源なのである! あの太鼓の行進曲のリズムは、マスペルの光が分解される時に発生していたのだった。

 ナイトスポーは、クリスタルマンのあまりの巨大さに絶望する。しかし、クラッグは諦めない。なぜなら彼こそがサーターなのだから。クラッグはまた、地球ではペイン(苦痛)とも呼ばれているのだ..



 「アルクトゥールスへの旅」は、ここで終わる。何も解決せずに終わるのだ。



 本書の読後感を表現するすべを、私は持たない。ここまで詳しく解説してきたが、本書のエネルギーの、百万分の一も伝えられてはいまい。

 本書のひとつのキーは、“現実”と“虚構”のせめぎあいである。太鼓の音と、クリスタルマンの笑みは、トーマンス世界全体が“虚構”であることを、強く示唆し続ける。となると、SFの読者であれば、誰もが直ちにP.K.ディックを思い出すであろう。が..

 本書はその意味では確かに“観念的”なのだが、しかし“観念の遊戯”という印象は、全く受けない。どうやらこの世界は“虚構らしい”ということは、半ばから明らかなのだが、それはこの世界の異様なまでのリアリティを、全くスポイルしない。ディックの作品では、ふと現実感が“希薄”になる瞬間があり、それが彼の小説のたまらない魅力なのだが、本書では現実感が薄れることが、全くない。(いうまでもないが、作品の質の優劣を論じているのではない。)図式的に表現してみれば、

トーマンス世界50%  + 現実50% = 100%

なのではなく、

トーマンス世界100% + 現実50% = 150%

という濃度を持っている。ひとことで言って、トーマンス世界は“強い”。

 クリスタルマンのキャラクターがまた、素晴らしい。「見るものをぞっとさせるほどの卑しいにたにた笑い」で特徴づけられる造物主!

 太鼓のリズムもまた、巧妙である。「三拍目が大きく叩かれる四拍子」は、心臓の鼓動(の不気味さ)を見事に表現している。(さらに言うと、私は、ウルトラQの最高傑作である「バルンガ」の通奏低音をも想起した。)



 この作品を語る時に外すことが出来ないのは、固有名詞のダブルミーニングである。実際、個々の人物、土地、物品、抽象概念についての描写は、極めて簡潔でありながら、実に豊かなイメージに満ち溢れているのは、それらの“名前”の魔力によるものだ。


マスカル(仮面をつけた髑髏)ホーント(憑かれた者)
ナイトスポー(夜の胞子)サレンボウド(暗兆)
クラッグ(尖岩)ギャングネット(集団網)
シェイピング(形成)トーマンス(責め苦の芝居)
クリスタルマン(結晶人)スタークネス(赤裸)
サーター(サート神の変形)ブランチスペル(分岐した呪縛)
ジョイウィンド(歓びの風)アルプペイン(至苦)
コーパング(肉痛)リッチストーム(屍風)
フェイスニー(顔無)バリー(赤裸)
アムフューズ(娯融)マスペル(ムスペルヘイムの変形)

 これは真に偉大な小説であり、観念的なアイデアを、その卓抜な観念に負けないだけの強靭な描写力で、別世界に創りあげた作品である。この“力感”と“認識の衝撃”は、凡百のSFからも幻想文学からも、到底望み得ないものである。

 21世紀を目前にして、これだけは記録しておきたい。20世紀は、無数の愚行だけではなく、これほどのものを産み出すことも出来たのだ。



*「アルクトゥールスへの旅」デイヴィッド・リンゼイ 中村保男・中村正明訳 (サンリオSF文庫)

(文中、引用は本書より)


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MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Feb 4 1996 
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