作品ノートによると、「レクイエム」「詩篇」と三部作をなすらしい。この2曲を聴いていないので、もしかすると<響紋>に対する私の評価も見当違いになっているかも知れないが、やむを得ない。
「レクイエム」は死者から生者への声、「詩篇」は生者から死者への声だと言う作曲者は、<響紋>は、生者から生者への声だと言いたいようである。しかし私にはそうは聴こえなかった。以下、作者の意図とは全く異なる解釈かも知れないが、私はこのように受容して感動したのである。
これは恐ろしい音楽だ。そしてまた、まれに見る「判りやすい」現代音楽である。つまり、ほとんど究極の「ホラー音楽」なのである。さらに言えば、「どうして現代音楽の語法は、こうもうるさい(騒音、不協和音)のか」という、素朴な疑問が発生しない音楽でもある。ここでは、あの耳をつんざく音響に「そうでなくてはならぬ」という存在理由があるのである。
これは魔界の音楽(音響)である!(“彼岸”よりは“魔界”に近い。)「かごめかごめ」を歌う児童合唱も、それに和すとも、それを嘲うとも聴こえる(響く)オーケストラの狂暴な音響も、この世のものではない。それは此岸の彼方の、生きている人間には手の届かない世界から響いてくるのである。この二者は相争っているのだろうか? あるいは合唱(によって表されている霊たち)をオーケストラ(によって表されている魔物たち)が支えているのだろうか? 全く判らない。何か恐ろしいことが霊界で起こっており、その結果は、やがてはこの世にもたらされるのだ..
Camerata 32CM-120 “民音現代作曲祭 '89”Last Updated: Jul 13 1995
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