“モーツァルトがいなかったら、何の躊躇もなく言おう。これこそこの世におけるたった一つの宝石であると。”
(コッカール)
ベルリオーズの諸作品中でも、際立って異彩を放つ作品である。データ欄を読む限りでは、ごく普通の(むしろやや大掛かりな)編成に見えるが、実は、金管と打楽器は、ほとんど沈黙を守っているのである。響きも古雅を極め、「なるほど、ベルリオーズといえども、他の(ほとんどあらゆる)作曲家たちと同様に『晩年形式』に傾斜するものであるのだなぁ」などと感心すると、莫迦を見る。
バロック風に響くのも当然。これは、悪意に満ちた偏見と先入観に基づく酷評に悩まされたベルリオーズが、ひとつ先入観の無い批評を聞いてやろうじゃないかと、自分の名を伏せ、「パリの宮廷礼拝堂の楽長であったピエール・デュクレが1679年に作曲した、古風なオラトリオの断章」として発表したものなのである。1850年11月12日のことである。(ただし、全曲を、ではない。第2部の合唱曲のみである。)この作戦はまんまと当たり、(実に信じがたいことだが)パリの聴衆と批評家たちは、誰一人作曲者の正体に疑いをさしはさむこともなく、この美しい作品に拍手喝采を送ったのである。その後、ベルリオーズは「実は自分の作品である」と発表したのだが、世間の評価は変わらなかった。(そりゃそうだ。)まんまと一本取った訳だ。心情は理解できるが、たちの悪い悪戯である。
この好評に力を得た彼は、この合唱曲の前後に曲を付加して、「エジプトへの逃避」としてまとめあげ、1853年12月10日にライプツィヒで初演する。これも大成功である。これの後日譚「サイスへの到着」と、エジプトへの逃避の原因となった出来事を語る「ヘロデの夢」が追加され、宗教的三部作として完成を見た「キリストの幼時」は、1854年12月10日にパリで初演された。これはパリでは珍しく、最初から大好評を博したのであった。
実はこの時期は伝記的に重要なのであるが、彼の「回想録」は1948年から書き始められて、1854年に出版されている。私自身は、これは「ベンヴェヌート・チェリーニ」の回で紹介した「チェリーニ自伝」に匹敵する自伝文学の傑作だと思うのだが、贔屓の引き倒しになりかねないので、それはさておき、その回想録から最も感動的な、涙なくしては読めない箇所を要約しつつ引用しよう
“ある夜、私は交響曲を作曲している夢を見た。夢の中で音楽を聴いた。翌日の朝、目を覚まして私はその交響曲の最初の断片を完全に憶い起こした。…すぐに机に向かって書きとろうとした。その瞬間である。突然こんなことを考えた。…いま私がこれを楽譜に書きとる。すると、どうなるのか。どうしたって全体をつくらねばならなくなる。この作曲の仕事。いま私はその発端にいる。楽想は広がってゆく。やがて大きな交響曲になるだろう。すると、どうなるのか。この仕事にかかりきりで3、4ヶ月が必要になる。…だから収入は減る。かりに交響曲が完成したら、こんどはこれを写譜させたい誘惑にとても抗えないだろう。…結果は1200フランの負債になる。写譜が出来上がる。すると当然演奏したい誘惑に攻めたてられる。さて演奏だ。収益は全出費の半額も埋めないだろう。今の状態では必然的な成り行きだ。無一文の上にまだ負債が加わるのだ。哀れな妻の病気に最低必要なものさえ買えなくなる。…私は身震いしてペンを捨てた。『くそっ。一日たてば交響曲のことなど忘れるさ!』翌日の夜、また交響曲の夢をみた。…こんどはまるで楽譜に書いたほど明快な旋律であった。その旋律の形式も性格も、私にはとても気に入った。起き上がろうとした。…前夜と同じ反省がそれを抑制した。私は誘惑に対して堅く身構えた。忘れたい、忘れたい、この忘却への希望に私はしがみついた。やっと眠りにおちた。そして明朝目覚めたとき、この夢の記憶は永久に消えていた。”
恐らくは事実だったのだろう。我々は、失われた傑作を嘆くべきである。しかし、当時の彼の生活が、この文章からストレートに想像される様な、貧窮を極めたものであったと考えてはならない。「テ・デウム」の回でも述べた通り、金回りは良くはなかったかも知れないが、赫赫たる名士だったのである。
この三部作中、「エジプトへの逃避」(の一部)は、名を騙って発表されただけに、かなり本気でバロックしているが、正体が割れた後に作曲された「サイスへの到着」と「ヘロデの夢」では、そういう意味では手を縛られていない。特に後者は「幼児虐殺」を引き起こす事件だけに、金管の遠慮の無い用法も見られる。このように様式的には一貫しない点もある作品だが、その古雅な美しさは絶品という他はない。
さて、この構成を見てどの様に思われたであろうか。特に「ヘロデの夢」において顕著なのであるが、切れ切れの場面の連続であり、連続したドラマとしての求心力/推進力に乏しいとは思わなかったであろうか。実際、これはキリスト伝説の挿話(断章)をつなぎ合わせた物に他ならない。
「ファウストの劫罰」を、私は「世界風景」であるとしたが、「キリストの幼時」は三部作という構成もあいまって、まさに三幅対のフレスコ画である。「ヘロデの夢」「エジプトへの逃避」「サイスへの到着」を、各々祭壇画の左翼、中央パネル、右翼として想い浮かべると、「劫罰」以上に、絵画作品的であると言える。特にルネサンス時代の宗教的三幅画は、各画面に、時間的にも空間的にも乖離している(が、論理的には連続している)事象を同時に描き込むので、ますます「キリストの幼時」の印象に近くなる。ベルリオーズ自身は、「絵画を解さない」と回想録で明言しているのだが、案外、本質的な「面白味」は会得していたのかも知れないし、それが(「回想録」中では、口を極めて“時間の無駄であった”と罵っている)イタリア滞在の成果だったかも知れない、と想像するのは、タイムマシンを持たぬ後世の人間の、勝手で自由な、大いなる楽しみである。
既に何度も述べたように、時間的/空間的連続性を無視して印象的な情景を並べるという、コラージュ的な書法は、ベルリオーズの大きな特徴である。「劫罰」だけではなく、「ロメオとジュリエット」もそうだし、「幻想」も「ハロルド」も、次回に取り上げる大作歌劇「トロイアの人々」もそうである。但し、これらの作品が「結果として」コラージュ風な構成を取るに至った理由(というか必然性)は、それぞれに異なる様である。
この作品では、原作が徹底的に抽象化、純粋化されており、その結果、幻想曲/接続曲風の構成になっている。ベルリオーズが求めたのはこの原作のエキスであり、ストーリーを追うことには、ほとんどなんの意欲も見せていない。「ファウストの劫罰」
簡略化も行なわれているが、むしろ非常に多くの情景を取り入れたために、曲間をつないでいる余裕がなくなったと言うべきである。変化に富んだ豊かな楽想を目一杯盛り込んでしまった。「トロイアの人々」
題材が巨大過ぎる。まともに音楽化すれば、15時間とは言わないが、10時間は越えるだろう。それを4時間に切り詰めたとあっては、断章の連続になるのも止むを得ないところである。「キリストの幼時」
以上の「巨大志向」の作品群とは明らかに異なる。ベルリオーズは、最初から必要最小限の情景しか用意していない。「止むを得ず」コラージュになってしまった、とはとても言えない。逆に、だからこそ「コラージュ志向」が外的な要因によるものではなく、作曲者の本質的な特質であったことの証左となる様に思えるのである。
「キリストの幼時」は、言わば瓢箪から駒の作品である。ベルリオーズの気まぐれから始まった、この擬古典調の作品は、しかし信じがたいほど美しい..本当のバロックの作曲家には不可能な、近代的技法とロマンティックな「色気」が、清楚な楽想をほのかに彩どる。妙な表現だが、倒錯的な美しさに静かに輝く作品なのだ。
作曲年代1854年初 演1854年12月10日:パリ編 成フルート2(ピッコロ持ち替え)、オーボエ2(1人はコーラングレ持ち替え)、クラリネット2、バスーン2、ホルン2、トランペット2、コルネット2、トロンボーン3、ティンパニ2対、オルガンまたはハルモニウム、弦5部、ハープ、テノール独唱、ソプラノ独唱、バリトン独唱2、バス独唱2、混声合唱、児童合唱。構 成全3部。詳細は略。本文参照のこと。所要時間約95分
現時点で国内盤が出ておらず、結局国内発売されない可能性が高い88年の録音であるが、国内現役盤から推薦盤を選ぶという原則を曲げて、第1位に推薦する。何度聴き比べてみても、これが一番良い。ヨセ・ファン・ダム、アンネ・ゾフィー・フォン・オッターら、独唱陣も優れている。インバル/フランクフルト放送交響楽団/他
ただ、不思議なことに、過去のログを調べてみると、この盤を初めて聴いたときに、私はどちらかと言えば酷評に近いレビューを書いているのである。“ここに聴かれるスマートでメリハリのきいたリズム感は、ニューエイジのバロック演奏としては魅力的だが、この折衷様式の、珠玉の美しさを保ちながらもどこか不健全というか、清純無垢とは言いがたい色気を放つ作品の演奏としてはいかがなものか。具体的には、「エジプトへの逃避」の前奏曲。まるで清浄飲料水の様な美しさである”と。確かにそれはそうなのであるが..
国内現役盤の中では、演奏の潤い/僅かな不満はあるが瑕疵に過ぎない歌唱陣/録音の良さ、と、最もバランスが良く、お薦め出来る..のだが、どうも「エジプトへの逃避」のテンポが、やや速すぎる様な気がする。インバルのベルリオーズ演奏は、概して信頼のおけるものであり、現代のベルリオーズ指揮者としては、ガーディナー、レヴァインと共にトップクラスなのだが、どうも私のテンポ感覚、タイミング感覚と、相性が悪いのである。マルティノン/フランス国立放送管弦楽団/他
待望久しいCD化であった。1969年の没後100周年記念録音。これは学生時代に、ミュンシュ/パリ管の幻想と共に、LPを潰すほど耽溺した盤であるだけに、こう書くのはつらいのだが、演奏の素晴らしさと見事に反比例する音の悪さが残念。ADDというのが信じられない程の歪み方である。よほどソースが悪かったのか、テープの保管に問題があったのか。(再生装置の故障を疑ってチェックしてしまった。)レッジャー/イギリス室内管弦楽団/他
格別の取り柄は無いのだが、作品の素晴らしさの邪魔をしない演奏である。特に推薦はしないが、買って損することは絶対に無い。
目下廃盤中の、クリュイタンス/パリ音楽院管弦楽団/他
は、可及的速やかに再発売して頂きたい。
(「回想録」からの引用は、白水社刊 丹治恆次郎訳 による。)
Last Updated: Dec 28 1995
Copyright (C) 1994/1995 倉田わたる Mail [KurataWataru@gmail.com] Home [http://www.kurata-wataru.com/]