新・ベルリオーズ入門講座 第7講

テ・デウム (1849)



“それは巨大だ。悪魔が私をとらえた《レクイエム》の「トゥバ・ミルム」よりもっと大きなフィナーレがある。”

(ベルリオーズ)


 テ・デウムは、レクイエムと並ぶベルリオーズの代表的宗教曲であり、どうしてもレクイエムと比較される宿命を持つ。そしてこの様々な意味で強烈な作品と比較された場合、どうしても二番手扱いされてしまうのも止むを得まい。しかしこれはレクイエムが偉大過ぎるからであり、テ・デウムの価値を低からしめるものではない。また、いくつかの楽章は、確かにレクイエムを凌ぐ霊感に満ちていると言える。



 ベルリオーズのフランス楽壇における「つき」は、1842年を境として、「一応」落ちてしまう。この年に、ケルビーニ、ベルタン、オルレアン公といった、彼の有力な支持者達が相次いで死去してしまったことが大きい。しかし、あくまでも「一応」である。一個人の人生は、ある時期を境として、それ以前がオールでそれ以降がナッシングなどという単純なものではない。

 これまでのベルリオーズは、とにもかくにもローマ大賞の受賞者であり、「幻想」「ハロルド」でヒットを飛ばし、政府委嘱作の「レクイエム」では国際的な大成功を収め、同じく政府委嘱作の「葬送と勝利の大交響曲」も良い結果を残している。36歳の若さで、レジョン・ド・ヌール勲章を授けられてもいる。(彼自身は嫌で嫌でたまらない仕事だったらしいが)批評家としても有力な地歩を固めつつあった。歌劇「ベンヴェヌート・チェリーニ」の大失敗の原因の一部が、こうした、ベルリオーズの「有力者ぶり」に対する反感に依るものであったことは間違い無い。(政界の有力者に支持されている精力的な若い前衛音楽家ほど鬱陶しい存在も、またとあるまい。)良い人生ではないか。しかし順風満帆であったとは言い難い。とにかく大編成の作品ばかりなので、経費が膨大なのである。「ロメオとジュリエット」にせよ「葬送と勝利の大交響曲」にせよ、聴衆の喝采を浴びながらも金銭的には殆ど赤字、という状況が、生涯続くのである。前衛音楽家に対するアカデミズムからの反発も、猛烈なものであった。1842年の学士院会員の補選の候補者8名のうち4名が音楽家であり、ベルリオーズより8歳年下のアンブロアズ・トマも含まれていたのだが、ベルリオーズは候補にも挙げられていなかった。のちの1851年の選挙ではトマが当選したが、ベルリオーズにはやはり一票も入らなかった。これはベルリオーズのフランスにおける「不遇伝説」の有力な裏付けなのであるが、これらをもって、当時のフランス楽壇からは無視されていた、と考えるのは妥当ではない。これらの選挙の結果は、上述した彼の業績から見ると明らかに異常であり、むしろ「いかに恐れられていたか」を示していると考えられる。

 とはいえ、1842年の選挙の結果に失望して、言わばパリを見限った形で、ベルリオーズは生涯続く演奏旅行に出発した。「苦難の後半生」のスタートである。しかしこれらの演奏旅行は実り多いものであり、端的にいって、彼はフランス以外の全ての国で、大成功を収めたのである。にもかかわらず、ベルリオーズはフランスを諦めきれなかった。1848年の二月革命を控えて、物情騒然としたパリでは、もうまともな音楽の営みなど行なわれていなかったのに...この有様では、1846年にパリで初演された「ファウストの劫罰」が惨めな失敗に終ったのもむしろ当然であろう。「テ・デウム」は、こうした状況の下で、どこからの委嘱を受けることも無く自発的に書き始められた。1849年に完成したが、この巨大な作品の演奏の機会はなかなか訪れず、ようやく1855年、パリで開催された万国博覧会の前日に、約950名の管弦楽と合唱団によって初演された。音楽的には大成功だったが、例によって莫大な経費のため、得られた利益は僅かだった様である。



 先に述べた様に、テ・デウムは、その編成の巨大さからレクイエムと比較されることが、ままあるが、データ欄を読んでいただければ判る通り、レクイエムに比べると遥かに常識的な編成である。レクイエムにあってテ・デウムに無いのは、会場の四隅に配置されたブラスセクションと、膨大なパーカッション群である。逆に、レクイエムに無くてテ・デウムにあるのは、パイプオルガン、児童合唱、及びスネアドラムである。これが、どちらかというと暗欝なムードが支配的なレクイエムと、壮麗な輝かしさに満ちているテ・デウムの、響きの差となって現われている。特に重要なのは、後述する楽章構成の問題とも絡む、スネアドラム群の存在である。

 オーケストラと合唱は、教会の、パイプオルガンと反対側の端に配置される。児童合唱は、他の2つの合唱から離れて、オーケストラのすぐ近くの「壇上」に置くよう(即ち天上から声が降ってくるよう)、指示されている。(当然、副指揮者が必要になる。)この辺の優れた音場感覚は、レクイエムでも見られたものである。演奏時間は、レクイエムの丁度半分程で約50分。これはベルリオーズの主要作中でも、最も短い部類に属する。

 テ・デウムを分析する際に最も問題となるのが、楽章構成の問題、即ち「この作品は全何楽章なのか」という点である。この作品は楽章数が確定していないのである。

 ベルリオーズの作成した最終的な自筆スコアは、以下に示す8楽章構成である。


1.テ・デウム(神よ、我ら御身をほめ)
2.ティビ・オムネス(すべての御使い)
3.プレリュード
4.ディナーレ(主よ、この日)
5.クリステ、レクス・グローリエ(御身、キリスト、栄光の王よ)
6.デ・エルゴ・クェセムス(御身、尊き御血もて)
7.ユーデックス・クレデリス(審き主として来たりますと)
8.行進曲 − 旗の奉献のための

 第3、第8曲は、オーケストラ(というよりも、弦楽を伴う軍楽隊)のみによって演奏される、短い楽章である。

 一見して、バランスが悪いことが判るであろう。インバル盤では、全8曲をこの順番に聴くことができるが、有り体にいって、この2曲は邪魔である。悪い出来ではないのだが、他の6曲と比較すると、小振り過ぎる。

 実際、この2曲は、軍事祝祭用の場合にだけ演奏するよう指示されているのである。また、第3曲は初演の際カットされ、行進曲が3番目に演奏された。プレリュードがカットされたのは、要するに作曲者によって「不出来である」と判断されたかららしい。1855年の出版譜にも収められていない。普通はこの2曲は演奏されない。(即ち、全6楽章である。)

 それにしても奇妙な配列である。実際、こういう「実用音楽」は、純粋に音楽のみが演奏されるということはなく、式次第の中に組み込まれるものである。レクイエムだって、ミサの進行に従って、少しずつ演奏されたのである。だから、テ・デウムが、単体の音楽としてまとまりに欠けるのも不思議ではないのだ。実は、ベルリオーズは極めて大規模な祝典のためにこの曲を書き始めたのであり、現在のテ・デウムは彼の大構想の一部に過ぎないのである。その証拠となるのが、彼の以下の言明である。


 “第一統領の武勲を讃えるために、なかば叙事的、なかば演劇的に作られた、この「テ・デウム」は、壮大な構想の一部をなすものである。このエピソードには、もともと「イタリア平原からの帰還」という題名がつけられており、ボナパルト将軍がカテドラルのドームに足を踏み入れた瞬間、四方から清らかな讃歌が響き渡り、旗が振られ、太鼓が打ち鳴らされ、大砲が轟き、鐘が力強い音を響かせる、という状況設定になっていた。この作品に戦争の臭いが強く立ちこめているのは、そのせいである”

 共和制を忌み嫌った、熱烈な絶対王政支持者であったベルリオーズは、ナポレオン礼賛の風潮が広まった七月王政下の30年代から40年代にかけて、このテーマに魅せられて何度となく挑戦を繰り返した。その頂点がこの作品であり、カンタータ「五月五日」(第13講で解説する)、「葬送と勝利の大交響曲」(第12講で解説する)と共に、ついに書き上げられずに終わった、ナポレオンを主人公とするモニュメンタルな作品群の、氷山の一角をなすのである。



 各楽章について詳述する。(第3、第8曲を除く。)


1.テ・デウム(神よ、我ら御身をほめ)
 堂々たる開始楽章である。全管弦楽とオルガンがフォルテの和音をエール交換した後、荘重なフーガが始まる。ベルリオーズの管弦楽書法はシンプルさの極みであり、そこから最大限の効果を引き出している。
2.ティビ・オムネス(すべての御使い)
 “天才の凄味”を思い知らされる音楽である。構造的にはAA’A”であり、各部は、シンバル群の一撃で頂点を極めオルガンの後奏にフォローされる、長大なクレッシェンドに他ならない。それが3回繰り返されるうちに、どんどん色彩が変わっていく。
4.ディナーレ(主よ、この日)
 機能的には、最初の緩徐楽章である。
5.クリステ、レクス・グローリエ(御身、キリスト、栄光の王よ)
 レクイエムの第4曲「レックス・トレメンデ」と、非常に良く似た性格の音楽である。素晴らしい活力。
6.デ・エルゴ・クェセムス(御身、尊き御血もて)
 テノール独唱の入る唯一の楽章。となれば、どうあっても、レクイエムの「サンクトゥス」と比較しない訳にはいかないが、残念ながら、サンクトゥスほどの高みには到達していない。非常に高く評価する向きもあるようだが。第2の緩徐楽章。
7.ユーデックス・クレデリス(審き主として来たりますと)
 テ・デウムの他の全楽章を焼き捨てようとも残す値打ちのある、偉大なる終曲である。レクイエムの「ラクリモサ」ですら、ここまでは到達し得なかった。なんという堂々たる神の軍勢の進軍であろうか! 幻視者ベルリオーズの記念碑的業績である! 注目すべきは、(第3、第8曲の他は)この楽章でだけ用いられているスネアドラムの効果である。問題の2つの楽章は「軍事的祝祭の場合に限り」演奏されるのであるが、この壮大な終曲も、明らかに軍事的とまでは言わないにしても、軍楽隊の響きがする。約10年前に軍楽隊のために作曲された「葬送と勝利の大交響曲」を思わせる楽想が存在するのは、おそらく偶然ではない。この2曲の連関については、既に述べた通りである。
 明らかに軍楽隊のための音楽である行進曲についても、一言述べておかなくてはなるまい。この、12台のハープを伴う見事な行進曲は、後年の歌劇「トロイアの人々」の中の、「トロイア人の行進」の先取りである。

 「テ・デウム」は、黙示録の「恐るべき大王」とナポレオンの「栄光」をひとつに結び合わせようという試みであった。まさに誇大妄想狂の世界であり、そういう「狂気」は通常ならば空転し、惨めな駄作として消滅していくものなのであるが、幸か不幸か?天才作曲家の油の乗り切った時期に手掛けられたが故に、ある意味では空前絶後の狂気の傑作として、不滅の生命を授けられたのである。ハイネの言葉を引用しよう。


 “そうだ、一体にベルリオーズの音楽は、ノアの方舟以前とはいわぬまでも、どこか太古の世界に似ており、もはや絶滅してしまった動物種、お伽話に出てくるような王国と罪の数々、うずたかく積み重ねられた絵空事の山、といった印象を受ける。それはイギリスの画家、マーティンが描いたバビロンやセミラミスの空中庭園、ニネヴェ、ミズライムの不思議な仕掛けを思わせる。実際、絵画の領域を見渡して同類項を捜すとすれば、異常なもの、巨大なもの、素材の無限性に対する感覚などを共有しているという点で、ベルリオーズとあの気違いじみたイギリス人の間には、きわめて強い近親性が認められる。一方は、光と影のきつい効果、もう一方は、耳ざわりなオーケストレーション。ひとりは旋律に乏しく、もうひとりは色彩に乏しい。どちらも美しさを欠いており、まるで心が通っていない……”

 ジョン・マーティンとの比較は、まさに我が意を得たり、というところである。ジョン・マーティンは、ある意味では典型的なロマン派の画家で、その作風は、彼のどの作品でもいいから一目見たら忘れられない様なものである。それは、「極端な」大自然の「極端に」壮大な描写と、それに翻弄される蟻の様な人間、あるいは、「極端な」古代幻想大建築の「極端に」壮麗な姿と、それを見上げる蟻の様な人間、といったものである。

 例えば、「神の怒りの偉大な日」という作品がある。巨大な「岩山」が地獄に向かって「真っ逆さまに」崩れ落ちていくのである。「真っ逆さまに」である。この馬鹿馬鹿しい程のスケールに対抗しうる音楽作品は、ベルリオーズの「レクイエム」しかない。音楽的価値はともかく、モーツァルトでは話にならないのである。

 「パンデモニウムに入場する悪魔たち」という作品も、彼の代表作である。これは、ミルトンの「失楽園」に題材を取った作品で、パンデモニウム(大魔殿)とは、神の雷霆によって地獄に落とされたルシフェルが築いた大神殿である。赤黒く輝く岩山の中に、凶々しく聳え立つ巨大なドーム、そこを目指して進む、(地獄の)天地を埋め尽くす悪魔たち。この壮大な幻想絵画を見るとき、いつも頭の中に鳴り響くのは、ベルリオーズの「テ・デウム」の偉大なる終曲、「ユーデックス・クレデリス」なのである。悪魔の絵を見て神の栄光を称える音楽を想起するとは、と憤慨される向きは、エピグラフを読み返して頂きたい。ベルリオーズ自身、悪魔に魂を売っているのである。その音楽に感動する私もあなたも同罪である。地獄が我等を待っている。


*データ

作曲年代
1849年
初  演
1855年4月30日:パリ
編  成
フルート4、オーボエ4(1人はコーラングレ持ち替え)、クラリネット4(1人はバス・クラリネット持ち替え)、バスーン4、ホルン4、トランペット2、コルネット2、トロンボーン6、オフィクレド、チューバ、小サクソルン(行進曲のみ)、ティンパニ1対、大太鼓、小太鼓4、シンバル4〜5、弦5部(第1ヴァイオリン25、第2ヴァイオリン24、ヴィオラ18、チェロ18、コントラバス16)、ハープ12(行進曲のみ)、オルガン、テノール独唱、ソプラノ40、テノール30、バス30からなる合唱を2部(計200)、児童合唱600。
構  成
全8(または6)楽章。詳細は略。本文参照のこと。
所要時間
約50分

*推薦CD/LD

* アバド/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団/他
 (パイオニアLDC パイオニア PILC−1160)(LD)
 ホセ・カレーラスをテノール・ソロに迎えたライブ録画で、現時点でのベストチョイス。演奏面では、まさに中庸を行くものであり、そこを評価する。アバドには、ECユース管弦楽団を振ったCD(外盤のみ。グラモフォン 410 696−2)もあり、これも非常にメリハリの効いた、優れた演奏であった。
* インバル/フランクフルト放送交響楽団/他
 (日本コロンビア デンオン COCO−75769)
 既に述べた様に、通例演奏されない楽章も含めて聴く事ができる、貴重な盤。演奏も録音も申し分無いと言いたいところだが、やや、テンポが速すぎるように思う。しかし、特に「行進曲」を聴けるメリットは大きい。
* デイヴィス/ロンドン交響楽団/他
 (日本フォノグラム フィリップス PHCP9169〜70)
 上記インバル盤とは逆に、やや遅すぎるような気がしないでもない、名演奏。朗々たる広がりを味わいたければ、この盤が最高である。多少古い(69年)録音だが、問題にはならない。「レクイエム」とのカップリング。


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Dec 28 1995 
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